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人が笑顔になるコンテンツってなんだろう

物事をこなすように生きている毎日。自分を偽って過ごす命の浪費。
自分のカラダからのサインをしっかり読み取ればわかる。
そして、なにより楽しくない。

この時世、人々や社会は生き方を変えるきっかけを与えられているように思えてならない。

先日、志村けんさんが亡くなった。私は、小学生の頃に「8時だョ!全員集合」を観て覚えたネタを月曜日に学校の教室で真似て笑いを取るような少年だった。

クラスの仲間たちは、みんな私の「バカな姿」を見て笑ってくれた。バカできる仲間数人とコントのようなこともしていた。そんな様子から自分のことを「宇宙人」と呼ぶクラスメイトもいた。ひそかに恋心を寄せていた子の笑顔を見ることができることが、学校へ行く一番の楽しみだったことを思い出す。

学生時代はひょうきんキャラで青春を謳歌した。ただ、人前に出て「笑い」で飯を食っていこうという気概はまったくなかった。

社会人になると「カッコよさ」を求めるようになった。もともと黙っていてもモテるタイプではなく、仕事がバリバリできるわけでもない。

20代はひょうきんキャラの名残のようなもので、自分の周りに人がたくさんいたけれども30代、40代になるにつれてプライドだけが磨かれていき、ひょうきんキャラは鳴りを潜め一緒にバカできる「友」も少なくなっていったような気がする。

いや、自分から遠ざけているのかもしれない。

志村さんのお弟子さんを努めた、げそ太郎さんが弟子になって3年目に独り立ちをしたく、弟子をやめさせてくださいと志村さんに申し出ると、こう叱られたそうだ。

『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』

ー 引用 https://bunshun.jp/articles/-/37114?page=4

「やる人はどの環境にいても絶対にやる」

この言葉は、私にも深く突き刺さり心に響いた。
環境を変えようとするのではなく、「今の現状で何をするのか、何ができるのか」であろうかと考えさせられた。

そして、自身の行動によって自分が置かれている立場や日々の生活を行っている環境を変えたいという考え方を改めて思い起こすことになった。

私はもちろんコメディアンではないのだが「仕事を通じて人の笑顔が見たい」、喜んでもらうために自分の持ち味を発揮できればなによりだと感じているし「喜んでもらえること」が仕事の醍醐味であると思う。

そう。広義的にいえば仕事もエンターテイメントなのではないか。ということに気づいた。これまでも、このような持論を掲げているひとは数多くいるに違いない。でも、私は自身ができることを少しづつ進めている。

ギスギスした現況、どうせなら笑っていられる立場でありたい。そう思いませんか。少しでも笑顔でいられる時間を過ごすにはどうしたら良いか。

このようなことばかり考えていたい。この辺の考え方を、また書きます。


それでは、今回はここまで。

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