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書けないライターの自分探しと西武ライオンズベスト9

私、大城あしかは、旅とサッカーを紡ぐWeb雑誌『OWL magazine』に参加することになりました。

OWL magazineは、彩り豊かな個性あふれるライター陣が、それぞれのサッカーに対する思いを込めて記事をリレー形式で毎日更新しています。

時は来た!大城あしか『OWL magazine』所信表明


「OWL magazineに寄稿する際は、まずは所信表明記事を書いてもらうことになっています」

代表の中村慎太郎氏から、話があった。

実は、すでにOWL magazineに記事を寄稿しているのだが「大城あしか名義」の記事はひとつもない。

7月7日に挨拶文を書いてから、早や5ヶ月。
いまだに所信表明を書いていない。いや、書けずにいる。

実は自己紹介が大の苦手である。
苦手というか、自分のことをよく知らないのかもしれない。

自分を知るために「己を見つめ直す」「自分との対話」が有用だという話を聞くが、ドロドロの内面を見るのが怖くて、いつも逃げてきた。

多分、私の中で所信表明を書くことは、自分自身を見つめ直すことだという脳内変換をしてしまって、怖い、逃げたいと感じて「書くこと」から目を背けてきたのだ。

でも、もう逃げられない。時は来た!
この機会に乗じて書き綴るしかない。

社会不適合者、ライター業で逆転ホームランを狙う


私は20歳で雑誌出版社に勤めて幾多の転職を経験したのだが、会社勤めで一度も出世はできなかった。

気の合う上司や先輩たちとは折り合い良く仕事をするのだが、そりが合わない人たちには協調性を欠く行動をとることがあり部下としては使いづらかったのだと思う。

会社員は向いていない。

従業員の立場だと、上司や先輩は選べない。いっそのこと仕事をする相手を自分で決めようと考えるようになり、39歳の時にライターとして独立することを決めた。

そもそも、なぜライターとして文章を書いていこうと思ったのか、思い返してみると小学生の頃までさかのぼる。

きっかけは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の読書感想文だったと思う。
担任の先生に、文章が上手ですと褒められたのだった。

「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか」
「どこまでも行くんです」
ジョバンニは、少しきまり悪わるそうに答えました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ」
                       
文献:『銀河鉄道の夜』

子どもの頃は電車が好きで、運転手や車掌になりたかった。
だから、この汽車のシーンが好きだった。
終点のない銀河鉄道の旅情が幼心を刺激した。

どうして褒められたのが嬉しかったのかと言うと、九州男児の父は厳格で、私は褒められた記憶があまりないから。大人になって父にそのことを問うと、反骨心を持って立ち向かってほしかったからだそうだ……。

しかし、完全に逆効果であった。
ガラスのハートは粉々になり、へこたれてしまった。

だから「文章が上手ね」と褒められたのがとてもうれしくて、その気になったのだと思う。読書感想文の校内コンクールで優勝したとか、何かの賞をとったわけでもないのに。

でも、他のことは、なにをやってもさほどうまくいかなかった。その中で文章を書くことは楽しかった。僕の取り柄は文章が上手なこと。それだけを心に握りしめていた。

そして、中学生の頃に家庭不和があり、なにもかもどうでもよくなった。それでも友人や担任の先生や外で会う大人たちに恵まれて、なんとか道を外さずに社会人になった。

望まざる「コタツ記事」引きこもりライターの行く末


会社に勤めるも堪え性がなく嫌なことがあると辞めてしまうのだが、就職面接は苦痛に感じたことはなかった。

入社テストの作文で志望動機を書き綴ると、すぐに次の仕事にありついた。だから、ライターとしてやっていける自信があった。文章を書くことを仕事にできると思っていた。

過去に雑誌出版社で働いていた経歴のおかげか、ライターとして開業してすぐに仕事をもらうことができた。

ただ、実際に得ることができた仕事はインターネットで調べたことをまとめる「コタツ記事」だった。雑誌出版社で経験した取材ライターの依頼をすぐにつかみとることはできなかった。

「やりたい仕事をやる」のではなく「目の前にある仕事をこなす」ようになる。すると、記事を作ることが楽しいと思えなくなり、気力がなくなり文章を書けなくなった。

大旗を振って応援した選手に働き方を重ね合わせる


私の働き方をプロ野球選手に例えると、代打・代走要員である。仲間が仕事で困っていることがあったら引き受ける、手を差し伸べることに関してはまったく苦にならない。

サッカーで例えると、ベンチに控えるGK、いや第3GKといったところだろうか。OWL magazineの記事なので、サッカー選手で例えようと思ったがちょっとむずかしい。


青春時代に打ち込んだライオンズの応援。
そうだ、プロ野球選手で例えてみよう。

大好きな西武ライオンズを福岡で思いっきり応援したくて、高校卒業後に友人と一緒に応援団を立ち上げた。あの頃の熱い気持ちを思い起こしながら、自分探しのためのベストナイン選出を行った。

自分はライオンズの選手に例えると誰だろうか。

「ライオンズファン歴26年の大城あしかが選ぶベストナイン」

1 ショート 松井稼頭央
2 セカンド 辻発彦
3 センター 秋山幸二
4 ファースト アレックス・カブレラ
5 サード 中村剛也
6 DH オレステス・デストラーデ
7 レフト 吉竹春樹
8 キャッチャー 伊東勤
9 ライト 小関竜也

清原和博の名前がないことに、もの寂しさを感じる。いずれはプロ野球界の表舞台に戻ってくることを願う。

さて、このようにベストナインを挙げてみた。詳しい人の中にはレフトの吉竹春樹はクエスチョンマークがつくファンがいるだろう。選出した理由は、私が初めて入った応援団が「吉竹春樹会」だったからだ。

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ここで考えてみよう。自分の働き方を例えると誰だろうか。

西武ドームの天井直撃打が印象に残る、ホームランを量産したカブレラ?

俊足巧打のスター選手、メジャーにも渡った松井稼頭央?

選手時代はいぶし銀として活躍、Bクラスに甘んじていたチームの監督に就きV2を成し遂げた辻発彦?

いや、いずれにも当てはまらない。
スタメンに選ばれる選手は該当しない気がする。

そこで思い出す。私は福岡ドームでライオンズの応援団として活動していたのだが、「猛犬注意」と記された大旗を振っていた時期がある。犬伏稔昌としあき選手を応援する旗だ。

犬伏選手は、1996年に西武入団、プロ6年目に1軍初出場(3試合)を果たすが、その後3年間は2軍で過ごす。10年目に左投手から初本塁打を挙げると12年目の開幕2戦目に3番・指名打者としてスタメンに抜擢、結果を出して「左キラー」と呼ばれた。

2004年、2位でペナントレースを終えたライオンズはこの年から始まったプレーオフで首位ダイエーホークスと優勝(3戦先勝)を賭けて争った。2勝2敗で迎えた第5戦、ライオンズの先発は松坂大輔。ホークスに先制されるも、逆転に成功したライオンズだったが、9回裏に同点に追いつかれる。

延長10回表1死1,3塁の場面、一軍の出場が8試合のみだった犬伏選手が代打でバッターボックスへ立った。

ホークスの抑えエース三瀬投手からセンターへ犠牲フライを打ち上げて勝ち越し、その裏を抑えたライオンズが41年ぶりに福岡の地で優勝を果たす。

私は犬伏選手にチャンスを掴んでほしい、優勝をチームにもたらす一打を放って欲しい一心で大旗「猛犬注意」を振りかざした。

犬伏選手は輝かしいスター選手ではなかったが、間違いなく僕らのヒーローだった。

ライオンズの選手に自分を例えると、犬伏……。かな……。


活躍できる場所を求めて移籍を繰り返す控え選手のような人生

突出した成果や、秀でた才能があるわけではない私だが、それでも40歳を手前に独立してフリーライターの道を選ぶ。

特に輝かしい実績などなく、報酬が文字単価1円に満たないコタツ記事をひたすら書く日々。当然、食べていけるだけの稼ぎを得ることはできなかった。

若くて勢いのある新鋭ライターの活躍をSNSなどで見かける度に、自分を責めた。自分の文章は陳腐なもので、多くの人の目にとまることはない。やめちまえと。

「自分はライターです」と宣言していたくせにだんだん書けなくなった。安っぽいプライドや「こんな文章でライター名乗っているのか」と後ろ指を刺されているような感覚にまとわりつかれた。

文章を書くだけでは食べていけず、いろいろな仕事にたずさわった。コワーキングスペースの受付、起業支援施設の館長にもなった。

ライター以外の肩書きが増えていくにつれて「書きたいこと」と「書けること」いや「書かなくてはならないこと」の判断ができなくなった。頭の中でそれらがグルグル駆け巡り、文章から逃げた。

以前、勤めていた会社で役員から「人にはそれぞれ役割があるんだよ」と言われた。おそらく「君にも活躍できる場所はあるよ」という意味だったのだと思う。

しかし、私は上から叩きのめされたような気持ちになってしまい、パフォーマンスを発揮できず挙句の果てにリストラ対象になった。

「努力すればできるのに、なぜ努力しないのだ」と常に言われていたのだが、努力はしてきた。そう言われるたびに、これ以上どう努力すればいいんだと悩み苦しんだ。

その過程で気づいてしまった。彼らは努力という言葉でムチを奮っていた。努力とは「成果」のことだったのだ。

本当は「成果を出せと言っているのに、なぜ成果を出さないのだ」と叱責していた。努力が足りないと蔑み見下し、挫折して成果が出なかった私の気持ちに寄り添うことはなかった。

良いところを伸ばすことで成果が出る場合もある。成果の出し方は人によって違う。

私を活かす方法を模索するのではなく、会社に役に立つための矯正を強いられていたのだ。その期待に添えられないからリストラ対象になった。

上司の指示に従うと、自分が自分じゃなくなるような気がして消えてしまいそうで怖かった。どうしたらリストラされなかったのだろう。どう振る舞えば昇進できたのだろうか。

これまでいろいろな経営者を師と仰いで仕事をしてきたが、すべて物別れに終わった。理由は思うところがあるけれど、昨今は「自分の実力不足」だと思うようにしている。

そしていま、私はOWL magazineで何をやりたいのか。

大好きなサッカー旅、アウェイ観戦の紀行文を書くことができるかも。
応援しているクラブの試合を取り上げて、感じたままを書くことができるかも。そのような思いから、著者陣の仲間になりたいと思った。

いつしか主役の座を狙おうとする気持ちはあった。
いや、自分が書く記事の中では主役になれるはずだ。

中村慎太郎と焼肉、そしてフクロウ仲間たちと共に


そんな中、2021年の4月。
中村慎太郎氏と出会い、胸の奥に秘めていた野望を打ち明けた。

いまは西葛西出版のオフィスとして使っているスペースで二人で肉を焼き、談笑しながらほおばった牛ロースは格別だった。

会う前に中村氏から「あしかさん、お酒は好きですか」とメッセージをもらっていた。迷うことなく「大好きです」と返答をしたこともあり、エールビールをあらかじめ冷やして用意してくれていた。

うまい肉を食い、大好きなお酒を飲み、話が弾む。なんだか初めて会って話をしているような気がしなかった。昔からの仲間といつものように酒を交わしているような気持ちになり、楽しかった。

そして2人ともできあがった別れ際、創業を目指す出版社の副社長として名乗りを挙げていた。

「僕たちと一緒にやっていきましょう。OWL magazineの出版社化に力を貸してください」

その思いが確信となったのは、中村氏のこの言葉だった。
これは、今までお世話になった経営者とはまったく違った。

これまで経験してきたことを昇華させて活躍できる機会がきた。
そして、ビジネスの世界を共に進んでいく仲間と巡り会えた。

「場所は提供するが、成果を挙げるかどうかは君次第。」
「自分で仕事をとって稼げ。」

自身の力で成し遂げられるなら、とっくに起業して社長になっている。
そうではないから、創業者である師の側に就いて奉公する道を選んだ。

創業者に尽くして、共に会社を大きくしていこうと考えていたはずだった。
しかし、いつしか私は彼らを越えてやろうと思うようになっていた。

それは何故だろう。師を尊敬できなくなったからだ。
こうなると、ほころびが生じて仕事に支障が出る。

チャンスをつかめない人が存在する。
なかなか成果を出すことができないのはなぜだろう。
チャンスがないのではなくて、つかめないのだ。

やりたいことがある。
周りにお膳立てしてもらってもなぜかできない。

そう。OWL magazineの著者仲間になることができたのに所信表明を書かない私、あしかのように。

灰のような日々に光明が 主役になるチャンスを掴め


そういう場合は、まず本当にやりたいことなのかを考えるべきだと思う。

サッカー旅にたずさわる仕事がしたい。
自分で発信できるメディアをもち運営したい。
できればいつか自分の本を出したい。

ライターとして独立してから、このような思いがあった。
これらは、OWL magazine、西葛西出版で実現できるのではないか。

やりたいのであれば、がむしゃらになって行動するはずだから。
結果など考えずに、チャンスをものにしようとして必死になるはず。

必死にならないのは甘えているのか、諦めているのか、ただ憧れているだけではないだろうか。そもそも本当にやりたいものなのか。

居場所や目標に向かう道は自ら作る必要があるけれど、用意された場所に満足してしまうと守りに入ってしまう。

OWL magazineで記事を書き、すたすたぐるぐるの著者として名を連ねることはもちろんのこと、出版社の役員としてやりたいことはすべてやる心持ちでOWL magazine、西葛西出版に骨を埋める覚悟である。

多くの購読者をもたらすことはできないかもしれない。ランナーがいるチャンスの場面にホームランで大量得点を挙げることはできないが、犬伏選手のように犠牲フライを打ち堅実に成果を出すことはできる。

西葛西出版の副社長としてやるべき仕事はたくさんある。でも、オールラウンドに活躍することはできないかもしれない。

左投手相手に、着実に仕事を成し遂げていった左キラーと呼ばれた犬伏選手のように「この仕事はあしか担当」と、頼りにしてもらっている書籍の営業や渉外ごとに尽力する。


この波に乗るのか、それともまた人のせいにして言い訳を言いながら立ち去るのか。思いっきりのびのびとやりたいことができる環境なんて、そうそうあるものではない。

フクロウの仲間たちや西葛西出版の社長、中村慎太郎氏の脇を固めて、自分が求められている場所で結果を出すべく準備をする。

生きづらさを感じて、もがいていた自分はもういない。仲間のために力になることを考えて前を向いて進もう。

そして、ライターとしてやっていくにはピリッとしたスパイスも必要かもしれない。これからもOWL magazineで書いていく。西葛西出版から出す書籍の著者になる。

今日から、人生リスタート。
OWL magazine、西葛西出版を大きくする。
目の前には光指す道のりが広がっている。

もし誰かに「あなたは脇役だよ」と言われたとしても、自分の人生では主役だ。そのために花を咲かせなければならない。大きくてキレイな花ではないかもしれないが、胸を張って主役を演じればよい。

福岡ドームでライオンズを優勝に導いた犬伏選手のように、控え選手が主役になれる場面があるはずだ。

人生はチャレンジだ、チャンスは掴め。
いいんだね、やっちゃって。

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この画像をTwitterアイコンにしていたところ、OWL magazineのライター仲間の五十嵐メイ氏から「この白いおじさんとは仲良くなれそうもない、あしかさんの良さが消えてる」とアドバイスをもらった。

仲間から愛されていることを実感する。
みんなありがとう。そして、これからもよろしくね。

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この写真は、新社長の中村氏が新副社長の就任祝いとして、妻と一緒に焼肉に連れて行ってくれたときのものです。

妻は「いい仲間に恵まれてよかったね」と涙を浮かべて喜んでいました。


OWL magazineは、サッカー好きな個性あふれる著者たちが毎日更新しているWebマガジンです。月額700円ですべての記事を読むことができます。

奇しくもこの記事で野球のことしか書いていませんが、私はアビスパ福岡を応援しています。

西葛西出版の社長、中村慎太郎氏と一緒にYouTubeをやってます。

チャンネル登録よろしくお願いします!ここまで読んでくださった方は絶対ですよ!

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