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【雑感】太宰、落ちてゆくヨーグルト、五情・五欲、積んである本、等

はじまりました月曜日。最高気温30℃といっても外に出ると秋の暑さである。早いぞーここから年末までは瞬く間に終わるぞーという時期が来た。年末にかけてはコンクールの他、仕事の各種イベント、知人の慶事あたりが大きな出来事だろうか。自身については「ただ、いっさいは過ぎていきます。」(太宰治:人間失格)になるかもしれないし、ならないようにがんばるかもしれない。まずは仕事と、積んである本やエンタメの摂取だ。

太宰の話

太宰治の話をもう少し続ける。人間失格は確か高校時代に読んだ記憶がある。なぜなら大学で先輩と色々話した記憶があるから。余談だが、その先輩とは今では年に一度会えるかどうかといった状況ながら、ふと今でも元気にしているかなと思ったり、きれいな夕雲を見たりすると思い出す。先輩とのエピソードはまた別の日に書こう。太宰に戻ると、

「私は、その男の写真を三葉、見たことがある」

この書き出しよ。自分にとって苦しいというか辛いエピソードがあるのでそう何度も読み返さないが、この書き出しは忘れられない。

あえて主人公が周囲の人間から好かれるためにおっちょこちょいを演じていて、それがバレていないと考えていた少年時代に同級生の竹一から言われる「ワザ。ワザ」という言葉。器用貧乏かつ小手先だけでうまく立ち回れていると思いがちな人間としてはこれも身につまされる。

そして第一の手記から以下の文章。当時は中二病から社二病ぐらいまでにハマりがちな思想・感覚と思っていたが、あらゆる年齢において通ずる気がしてきている。

「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。」

夏目漱石のこころや三島由紀夫の金閣寺といった作品を中~高校生で読むことを国語の授業では是としているのだろうけど、性格形成への影響という面からすれば結構リスキーなのでは。夏目漱石や太宰治、三島由紀夫は当時の流行作家として劇物?冲方丁や西尾維新と同じような存在?であった可能性もあるし。こればかりはタイムマシンで当時に戻ってリアルな人々の意見を聞かないと判断できない。(冲方丁や西尾維新を批判しているのではありません、念のため)

落ちてゆくヨーグルト

蓋を開ける前のヨーグルトを冷蔵庫から落として「終わった…」と思ったが幸いにも溢れていなく、中にはかつてないクリーミーなヨーグルトがいた。そういうのもあるのか(by孤独のグルメ)。まったく人にはおすすめできない食べ方、結果オーライ。七転び八起き?なにかこういう状況に適した慣用句があった気がする。

花粉症や腸内環境に良い!という話を信じて毎日食べているヨーグルト、確かに良くなった気もするし食べない期間が続くと何となく調子悪いなというほどにはなっている。科学が進歩したらこういう因果をすべて数値化できるようにならないかな。一体どれほどの説が巷に溢れているのだろうか...コラーゲンを食べて吸収はさすがに過去の遺物としてもブルーベリーと視力の関係とか...

Netflixドラマ「ブラック・ミラー」でSNSや人からの評価がすべて数値化されて目に見える回があったけれど、それと同じように健康状態や身体能力もポイント化される時代になってほしい。しかしブラック・ミラーは印象的な話が多い。時間があって1か月ぐらいサブスク加入してみるかという人がいたら是非。よく会う人々の中では確か1人ぐらいしかNetflixユーザーがいなくて、その人は好きなジャンルではなさそうだったのでおすすめしていなかった。次に会ったら話してみよう。

五情・五欲、四苦八苦について

話は変わっていきなり仏教について少し書く。

近頃よく考えていた、感動や苦悩や想いをうまく言い表せない問題について、もっとも言語化できているのは実は宗教なのではないかと今更ながら思う。印刷物が普及する以前は言葉で伝道するしかなかったのだし。

五情:人間の五つの感情。喜・怒・哀・楽・欲、または喜・怒・哀・楽・怨。

要出典だがWikipediaには中国の思想と書かれており、喜怒哀楽に怨が追加されているのが興味深い。

五欲:仏語。人間がもつ五つの欲。色 (しき) ・声 (しょう) ・香 (こう) ・味・触 (そく) の五境に対して起こす欲望。また、財欲・色欲・飲食 (おんじき) 欲・名欲・睡眠欲の五つ。五塵 (ごじん)。

五感から受ける刺激に対する欲求である。そろそろ五という文字がゲシュタルト崩壊してくる。そして、

四苦八苦:四苦とは「生老病死」(しょうろうびょうし)。人として免れることのできない苦しみを指す。これに「怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦、愛別離苦」を足して、つまり4+8ではなく4+4で8。

信州善光寺のWebサイトより。

本当に仏教は確信突いてきてさすが何千年という時の流れに残り続けているだけはある。五欲もそうだけど、四苦八苦の求不得苦、愛別離苦なんて逃れられる人がいるのだろうか。自分自身でいうと怨憎会苦は会わないと決めれば回避できそう、五蘊盛苦はようやく解き放たれたれつつあるというか努力も伴ってそうそう苦しめられる機会は減らせてきたようだけど、先の2つは希望や願望と表裏一体、何かを成し遂げようと思ったら絶対についてまわる事柄だと思う。

悟りを開かないから逃れられない、悟りを開くためには、、、ぐるぐるしてくるのでこのあたりにする。

普段の音楽ではキリスト教文化に触れることが多く、仏教は新鮮で知れば知るほど興味が尽きない。実家は曹洞宗が菩提寺で、ある時期は和尚様(たしか理系の某国立大出身)から友達数人で勉強を教わりに行っていた現代の寺子屋的な経験もしていたのに。それはそれで楽しかった。

不思議.netに掲載されているこのスレも定期的に思い出す。

Wikipediaより下記とかも。お釈迦さま = ゴータマ・シッダールタが本名は知っていても菩薩とはこういう意味だとは知らなかった。

菩薩(ぼさつ)とは、ボーディ・サットヴァ(梵: बोधिसत्त्व, bodhisattva, 巴: bodhisatta) の音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略であり[1][注釈 1]、仏教において一般的には菩提(bodhi, 悟り)を求める衆生(薩埵, sattva)を意味する。

積んである本

今回はなんとも漢字と平仮名が多く入り乱れる文章になった。最後に積んである本を書いていく。これで全量のはず。意外と少なかった。

佐藤究:テスカトリポカ(読み始めた!)

中村文則:教団X、R帝国、逃亡者

池澤夏樹:すばらしい新世界、光の指で触れよ




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