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吾輩はB〇〇である。名称などない/む~かしの名前で続きます♪


大抵のクルマには商標登録された商品名と車検証に記載された車両形式と言いう二つの名前が存在します。(続き)

愛称が変遷するにもかかわらず形式名は代々受け継がれているのがマツダのケース、

今はマツダ2、マツダ3のように欧州風のネーミングに統一されつつありますが最初の軽乗用の時代にはR360,K360,B360のようにアルファベットと数字だけの愛称でした。
最初の5ナンバー小型車として登場したファミリアは初代がSSA、2代目がロータリーも登場したSPB、3代目に相当するグランド・ファミリアではSN3等に変化し、後輪駆動の最後は映画/しあわせの黄色いハンカチに登場するFA4型に。

これが80年代に移り大ヒットを飛ばしたFFファミリアの第1世代(北米=GLC)では何の脈絡もないBD系に、カブリオレや4WDも登場した次の世代はBE系と2桁目のアルファベットの変化で世代を表しています。BE5PFなら85年からのファミリアとその兄弟車フォードレーザーで、五桁目のFがフォードの意味です。3桁目には排気量の100の位の数字が来ることが多く最初のユーノスロードスターはNA6C。(NはロードスターでAは第1世代、1600エンジンの6が使われています。1800だとNA8C)

平成に入ると3ナンバー化や車名の刷新が流行るようになり、ファミリア(欧州ではマツダ323)はアクセラに、カペラ(626)はアテンザへと名前を変えます。が、形式名は受け継がれており、ファミリアBH系の次はアクセラ初代BK系へ、そしてマツダ3となってからはBP系へと愛称が変われどBの系譜であることがわかります。
これはひとつ上級のカペラも同様、後輪駆動最後の2代目ではCB系を名乗っていたのが82年のFF化3でGC系に、以後一旦はクロノスに取って代わられ、再びカペラがCG系として復活。やがてアテンザと改名してもGG系,GH系として現行のマツダ6=GJ系に連なっています。

このルールは近年のスバルも同様でレガシィ初代はBC/BF系、2代目はBD/BG系とB系が世代交代してゆくのがわかります。インプレッサも同様にGC8に始まりGの系列で続きます。

スズキの場合はトヨタのそれに似ています。例えば人気のジムニーを歴代遡ってみるとLJ10系初代の頃は2ストローク二気筒エンジン。同時期のフロンテはLC10でした。モデルチェンジしたジムニー二代目は3気筒550ccエンジンにパワーアップしてSJ30系に。20系はどこへ行ったかと言えばこれは800ccの5ナンバー版。なのでSJ40はジムニー1000、そのあと1300はJA50系と続いて、現在超人気の現行型はJA11系からの流れを汲んでいます。

初期のホンダはアルファベットと数字(排気量)の組み合わせがそのまま車名。S500はスポーツカー,T360は軽トラ,L700はライトバンでした。ホンダと名付けた最初はホンダ1300、翌年の軽スポーツはホンダZでした。
乗用車にライフと愛称を用いたのは1971年のこと。でも商用タイプには前年(VA)ヴァモス・ホンダの称号が贈られています。ライフもZも形式名はSAで同一、シビックはSB/SG/SEで始まり初代アコードがSJ/SM系、初代プレリュードはSN、2代目スーパーシビック=SL/SS/SR/ST系、5ドアのクイント初代がSUへと連なります。車種を象徴する文字は見当たらず、開発・発売時期に準じたアルファベット順になっているのかもしれません。

2代目プレリュードはABなのに3代目ではBAに、最後はBBを冠していました。クイントから転じたインテグラは3代目からはDA,DB、DCと変遷します。SJでスタートしたアコードは2代目からSY/SZ・・・・とSを使い果たした後は/AC/AD系へと繋がります。ここだけは車種ごとのこだわりは無いと見えて、もっぱら開発順につけられたような、わかりにくさも。

当時英国ローバー社と提携の末生まれた初代レジェンドはKA1、以来歴代レジェンドはKAのあとの数字だけが増え、最終形ではKC2でピリオドのようです。

さて名代は受け継ぎながらも形式名が変遷すると言う。ファミリアとは逆のパターンが日産レパードでした。

初代はブルーバード6気筒版を土台にしたスタイリッシュな2、4ドアスペシャリティとしてF30でデビュー。あぶない刑事の劇用車で人気が出た二代目はスカイラインクーペが母体のF31でしたが、3代目ともなるとセドリックの仲間に昇格して、形式名もJY 32系へと激変。名称もレパードJフェリーと変化します。

そして続く4代目は完全にセドリックは兄弟車に。形式もJY 33とY 3*系のセドリックとの近似性を感じさせます。

これはマキシマとセフィーロにも見られるパターンで、FRセダンの初代セフィーロはA31系だったのが二代目ではFFセダンのJ30マキシマに統合されA 32系に、以後A33系を経てTiana J 31、32系へと暖簾を継ぎます。このJ3*系の名代は元々マキシマに与えられたもの。セフィーロの暖簾に隠れるようにして再び陽の目を見たら名前が変わっていた!と言う数奇な運命を辿りました。


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