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エチオピア皇室とDの意志

今回は「エチオピア皇室とDの意志」についてお話しします。

まず、こちらの絵をご覧ください。

レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」です。


次にこちらの複数の絵をご覧ください。

様々な人によって描かれてきた「最後の晩餐」は、聖書の物語の中の、一つの場面を描いたものです。

文字で書かれている聖書から、情景を想像することにより描かれているのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」における最大の謎は、絵の中に聖杯が描かれていないことです。

最後の晩餐の絵には、イエス・キリストが処刑される前夜、弟子たちとの最後の食事の場面が描かれている。
イエスが「これは私の血である」と言い、弟子たちに飲ませた。それは、ぶどう酒が注がれた聖杯を指している。

聖書に書いてあるとおりに「最後の晩餐」の絵を描いたとき、聖杯は必ず描かれる。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品には聖杯が描かれていないのである。

映画化もされたダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』においても、最後の晩餐における聖杯が、重要な意味を持っている。

『ダ・ヴィンチ・コード』では、聖杯は描かれていないのではなく、暗号として絵の中に描かれている、と主張されている。

イエス・キリストとその隣の女性(マグダラのマリア)の間に不自然に空いた空間が「V」の形をしている。計算されつくした絵の中で、この不自然な「V」こそが、聖杯を表しているのである。

そして、「これは私の血である」という表現は、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に照らして読み解けば、別の意味が浮かび上がる。イエスと女性の間に聖杯がある、ということはつまり、=イエスと女性の間に、その血を受け継いだ子どもがいる。

という暗号が隠されているというのである。これが、『ダ・ヴィンチ・コード』の重要なメッセージであり、イエス・キリストの子孫は現在も生きていると主張しているのである。

ここまでは知っている人も多いかと思います。

イエス・キリストに子孫がいるという主張は、ヨーロッパのキリスト教の世界では衝撃的で、多くの批判がされました。

キリスト教の世界にあまり馴染みのない日本人にしてみれば、なぜ、イエス・キリストに子孫がいることが問題なのか、分かりにくいと思います。

よく使われている説明は、次のようなものである。神であるはずのイエス・キリストが、人間と同じように女性との間に子どもをつくっていたなんてことがあるはずはない。聖書にも書いてないではないか。そのような主張は、キリスト教への冒涜だ、として批判されている、という説明です。

しかし、イエス・キリストに子孫がいて、本当に今も生きているとしたら、それはもっと巨大な問題なのです。

イエス・キリストの誕生により、ユダヤ教からキリスト教が成立していきます。
旧約聖書で書かれているところの救世主とは、イエス・キリストのことであり、イエス・キリストによって旧約聖書の預言は果たされた、と考えるのが、キリスト教である。
ユダヤ教は、イエス・キリストが救世主だとは考えない。つまり、救世主はまだ誕生しておらず、旧約聖書の預言はこれから先の未来で起きると考えている。それがユダヤ教とキリスト教の大きな違いです。
(※大まかな理解)

キリスト教において、イエス・キリストが救世主とされた理由の1つは、イエス・キリストがダビデの子孫だから、です。「救世主はダビデの子孫から生まれる」と信じられており、さらに聖書では、神はダビデの子孫に永遠(とこしえ)の王座を約束している。

イエス・キリストに子孫がいるとすれば、
それは言い換えれば、永遠の王座を約束されたダビデの子孫であり、旧約聖書が成立して以来、待ち望まれている救世主になるかもしれない存在なのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」に残した暗号は、それほど大きな衝撃を含むものなのである。

①ダビデ(D)の子孫には、永遠の王座が約束されている。
②ダビデ(D)の子孫から救世主が誕生する。

この2つを確認したところで、エチオピア皇室の話を始めます。

世界で最も長く続いている現存する皇室は、日本の皇室です。紀元前660年ごろから2600年以上続いています。

過去、世界で最も長く続いた皇室は、エチオピア皇室でした。紀元前10世紀ごろから1974年まで、3000年近く続きました。

エチオピア皇室も万世一系で男系継承です。
日本の場合は神武天皇からその血が続いています。エチオピア皇室は、メネリク一世から、その血が続いています。

メネリク一世は、シバの女王とソロモン王の間に生まれました。ソロモン王は、ダビデの息子です。
つまり、メネリク一世は、ダビデの子孫ということになります。

そのことはエチオピアの伝承をまとめた書物『ケブラナガスト』に書かれています。

現在のエチオピアの一帯を治めていたシバの女王がイスラエルを訪れた際、ソロモンの子を身ごもります。女王はエチオピアへ戻った後で出産し、メネリク一世が誕生しました。

『ケブラナガスト』には、さらに続きがあります。
成長したメネリク一世は、父であるソロモン王に会うためにイスラエルを訪れます。
ソロモンに会ったメネリク一世は、王家の洗礼(塗油)を受け、ダビデの名を授かりました。
と、『ケブラナガスト』に書かれています。

エチオピア皇室の歴史は、単なるアフリカの小国の物語ではないのです。
永遠の王位が約束された、救世主が誕生するかもしれない血族だったのです。

ちなみに、エチオピア最後の皇帝ハイレ・セラシェIの子孫は今も生きています。

おわりに

旧約聖書において、神がダビデ(D)の子孫に永遠の王位を約束していることは、世界の宗教事情に深く関与している。これから先の未来においても救世主への想いが、現実の世界にいろいろな影響を与え続けるだろう。ちなみに、旧約聖書の中でダビデの物語に登場する神とは、ほとんど「契約の箱」のことを言い変えており、契約の箱がある場所に神が存在していたと読むことができる。『ケブラナガスト』には、ダビデの名を授かったメネリク一世が、契約の箱をエチオピアへ持ち帰ったことも書かれている。契約の箱は現在、エチオピア(アクスム)の教会にある。その話はまたいつか。

※特定の宗教を批判する意図はありません。
※1つの解釈として考えられるだけであり、実際には様々な解釈が存在します。



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