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ラジオの記憶㉒初めて感じた「分断」の気配……「文化系トークラジオLife」。

  このラジオ番組を知ったのは、中年になって本を読むことが習慣になってからで、それまでにすでに放送も続いていたはずなのに、存在を知らなかった。

 「文化系」というタイトルがついているように、普段接するメディアでは、それほど聞かないような「文化的」なことをテーマにしていて、最初はとっつきにくかったのだけど、気がついたら、ポッドキャストで、台所で食器を洗っているときによく聞くようになった。

 2ヶ月に1回、いろいろなことを考えることができた。

 だから、自分自身の「最低限の文化的な生活」を支えてくれていた事の一つで、今でも感謝する気持ちがある。

 ほとんどサイレンスリスナーでありながら、コロナ禍になったあたりから、急に何通かメールを送るようになって、幸いにも2回採用された。

 うれしかった。

貴族の話

 2022年の6月の放送の前に予告編があって、テーマは、「3日目の休日、なにをしますか?」だった。バブルの頃に、当時、勢いがあった「ヤオハン」が、週休3日制を導入したい、という主張を聞いて以来だから、どこか懐かしさもあった。

 これからの休み方や働き方を考える、といった一種の思考実験なのかもしれないけれど、反射的に「貴族の話」のように思えてしまって、メールを送るのはやめてしまった。

 今は仕事そのものが少なすぎて、だけど、家族の持病があるせいもあって、いまだにコロナに感染しないことが優先事項になっていて、だから、人と接触しないようにしたいという制限を自分で作っているから、仕事がない、という意味では週休3日以上の時すらある。

 だけど仕事がない時の「休み」は、休日ではなくて、無職の時間に過ぎず、やたらと焦ったり、不安になっているから、恥ずかしながら、仕事がちゃんとあった上での週に3日の休み、といった想像すらできなかった。

 現代の「貴族」は、おそらくは仕事の量を自分でコントロールできる人だと思う。「週に3日の休み」も、そういう人たちの話だと思えた。自分は、基本的には、組織に属さずに仕事をしてきた年月が長く、その間に介護に専念をして仕事をしていない年月もそれなりに長いから、仕事に関しては忙しいというよりは、仕事がなくて貧乏という状態が長く、それも「貴族」とは程遠い状態だと思う。

 だから、メールを送る気力が起きなかった。

「知性」の力

 これまで、この番組を聴いて思っていたのは、普段は仕事をして生活をして、その上で、このラジオを聴いてメールで文章も書いて、その内容も、時々、私には難しいと思えることも少なくないから、皮肉ではなく「意識の高い」リスナーが多い、ということだった。

 さらには、私が採用された時もそうだったのだけど、その時の番組のテーマそのものに疑問を持つような内容であっても、「外伝」で取り上げられ、その上で出演者が否定する訳でもなく、そこから話を展開してくれていたので、番組の「知性の力」のようなものを明確に感じたこともあった。

 いろいろな意味で、自分にとって、リスナーも出演者も質が高く、一緒に作っていくような番組だと思っていた。

初めて感じた「分断」の気配

 それが、今回(2022年6月放送)、特に本編を終えて「外伝」の中で、初めてリスナーと出演者の「分断」の気配を感じてしまった。

 それは、本編でも紹介されたメールで、「週3日休みなんて、まだ、考えられない」というようにも感じられる内容で、しかも「外伝」では、そういった内容のメールも多いと言われていた。

 私も、ほぼサイレントリスナーとして、今回のテーマは思考実験としても「貴族の話」として、何かを書く気持ちになれなかった。

 そういったリスナーの反応に対して、番組の出演者は、まず考えることから始めてほしい。さらには、すっぱいブドウの例えも何度も使われていた。そして、それだけ日本が貧乏になった、という言われ方もされていた。

 現在、存在しないことを想像するには、ある種の余裕が必要で、だから、それができないくらい貧しくなってしまった、というのは、本当だと思った。さらには、まず考えることから始まる、というのもその通りだったけれど、それも、貧しさというものによって、その力が奪われがちだということだった。

 それもその通りだと思った。

 ただ、この「外伝」で、特に「分断」の気配を感じたのは、酸っぱいブドウという表現が何度も使われたせいだ。

酸っぱいブドウ

 酸っぱいブドウというのは、比較的よく使われる例えのようなもので、自分が手に入らないものをあえて悪く言って、自分を正当化する、といった意味合いだと思う。

 今回の場合は、「週3日休む」というのは、本来はいいもののはずなのに、現状では手に入るわけもないから、その「週3日休む」のは、よくない(酸っぱい)ということにして、リスナーが自己正当化しているのではないか、という指摘に思えた。

 ただ、聴いていて「分断」の気配を感じたのは、この「週3日休む」のが、本当に「酸っぱいブドウ」なのか、と疑問に思ったせいだった。

 このテーマのきっかけにもなったらしい出演者の宇野常寛氏の著書「水曜日は働かない」を読むと、水曜日を休みにすると、週休2日制が完成しているとすれば、全部の日が休日に接している、ということになり、それは確かにコンセプチャルアートのような気配もあるし、著者全体では、自分で自分の生活のコントロール権を取り戻すことを提案しているようにも読める貴重な作品に思えた。

 だけど、その時の「文化系トークラジオ Life」では、そういう感じとは少し遠く、リスナーが「週に3日休む」を考えたり、想像もできないのは残念だ、というように聞こえた。

 これは、自分の理解力不足の可能性もあるけれど、ただ、基本的に、今「週に3日休む」ことを考えるのは、早すぎるのではないか、と思っていた。「酸っぱいブドウ」として正当化しているのではなく、本当に、今、そのブドウは食べたくない。さらには、今は、そのブドウより必要なことがある、という反応をリスナーがしただけではないか、と思えた。

 この番組を聴いていて、初めて出演者とリスナーの「分断」を感じた。

今、考えたいこと

 私のような、ほぼサイレントリスナーに、リスナー全体のことを語れるわけではないのだけど、個人的には、「週に3日休む」よりも、今後、それとは違うことをテーマとした番組を聴きたい、と思った。

 例えば、こうしたテーマだった。

「これから、どうやって働きたいのか」。
「仕事への向き合い方は、どう変わっていくのか」
「働き方の主体を取り戻すために、どうしたらいいのか」
「今の時代に、仕事ができる、とは、どういう人なのか」
「年収が、どうして日本だけが上がらないのか」
「もし、人生100年になったら、どうやって生きていくのが幸せなのか」

 もしかしたら、暗くて重いのかもしれないけれど、こうしたことに関して、いろいろな視点からの言葉に触れて、再び考えた後に、「3日目の休みに何をする?」といったテーマであったら、自分なりに未熟でも文章を書いてメールを送って、もしかしたら読まれるかもしれない、とドキドキしながら番組を聞けたと思う。

 この番組を聴き始めて、(全部を聞いたわけでもないが)10年は経つと思うけれど、これだけ出演者とリスナーが「分断」されたような気配になったのは初めてだった。

 それは、出演者の方々が年齢を重ねたり、思考を深めたり、といったことで、ギャップができたというよりは、やはり放送中に触れていたように、日本全体が、それだけ貧乏になって、出演者が思った以上に、全体が底下げされている、という現実のせいだと思う。

 こうして楽しみにしている番組で、意識の高いリスナーでさえも、その考える力に影響が出るほど、日本全体が貧しくなっているかと思うと、それは、ちょっとショックだった。そして、そこまで考えを広げて、さらに先のことまで示して欲しかったのに、出演者にも、勝手に少しがっかりしていたのだと思う。

 それが、「分断」に感じたのだと思う。



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