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ラジオの記憶④「心に届く声の質感」

 ラジオから声が聞こえてくる。
 画像はないから、その声に、たぶんテレビを見ている時より、集中しているのかもしれない。
 だから、もしかしたら、その「声の質感」に対して、すごく敏感になっていて、気がつかないうちに、より多くの情報を受け取っているような気がする。

「伝える内容」が優先される声

 2018年のこと、TOKYO FMラジオ番組「Time Line」を聞いていた。それは、月曜日から木曜日まで夜の7時から、その時に話題になっているニュースも含めた番組で、その日のパーソナリティによって、少しカラーが違っているので、同じ番組なのに、聞く曜日と聞かない曜日があった。(今は終わってしまった番組)。

 その日によって、テーマに合わせたゲストが登場して、話す。
 いろいろな人がいて、様々なことをしゃべる。
 
 ラジオ出演に慣れている人、もしくは、人前で話す事が日常と思われる人は、聞いていて安定感がある。また、たまに、自分が、自分が、という人もいたと思う。何かしらで発言したり、表現したりする人たちは、もちろん、自己顕示欲と無縁なわけはないのだから、まずは、自分が前に出て、という場合があってもおかしくない。

 ニュースを含めた番組で、テーマに沿って話すとなると、そのテーマごとに出演するゲストが変わる。そして、その日は、申し訳ないのだけど、私は全然知らない人だった。

 話が始まる。

 聞こえてきた声には切実さがあった。
 そして、何より、話している内容を自分よりも優先させているのは、分かった。

 個人的には、特にFMラジオで、そこまで内容そのものを伝えようとする意志の強さを感じる事は少なかったが、そのおかげで、内容は伝わってきたし、それだけでなく、感傷的な言い方だけど、確かに心に届いてきた気がした。

 団塊ジュニア世代で、いわゆる就職氷河期が中年期を迎え、その世代の中で、勝ち組と負け組に分かれ、その分断は、他の世代からよりも、その中での分裂のほうが、かなり厳しくなっていて、その世代の勝ち組から負け組への非難は激しいことが多い。それは、氷河期といっても、自分はやれてきた、だから、やれないお前らはダメだ、という、より苛烈なものになっている、という指摘だった。

 不思議な声の質感だった。

 それは、おそらく、失礼かもしれないが、話すことを仕事にしていなかったり、人前で話すのに慣れていないから、安定感や安心感は少ないかもしれないが、そういうことよりも、伝えたい、という気持ちが強いせいで、伝わる力は強い、というアンバランスさのせいで、不思議な印象になっていたかもしれなかった。

 何より、これだけ、自分のことよりも、内容を前に出せるのは、珍しいと思った。

 「ニャート」という名前で色々と書いている(リンクあり)のを知った。

 
その後の「ニャート」

 それからツイッターなどを見ていた(リンクあり)のだけど、そのラジオ放送が終わってからしばらくは、更新が途絶えていたようなことがあった。

 どうやら体調が優れなかったり、ご家族の介護が始まったり、といった理由らしかったが、今もブログや、noteなどでも、ラジオで話していた時と、つながるようなテーマに取り組んでいた。自分自身の経験も含めて、精神疾患など、毎日のように働けなくなった場合などに、どうしていけばいいか?という切実で、実はあまり十分に議論されていないのだけど、これからは、特に必要になってくることなどを考え続けていた。

 それは2年前のラジオで聞いたことと、筋が通っていることのように思え、あの時の「心に届く声の質感」で感じたものを証明してくれているような気がして、本人はいろいろと大変だろうけれど、その実践をしてくれることに関して、なんだかうれしい気持ちがしている。

FMラジオへの印象

 FMラジオのパーソナリティに対して、恥ずかしながら、個人的には微妙な偏見がある。なんとなくおしゃれで、英語の発音の時に急に人格が変わるような話ぶりの女性か。もしくは、クリエイティブな仕事で社会的にも成功した、余裕のありそうな男性の落ち着いた低めの声が聞こえてくることが多い、と思っている。(これは、ひがみが多めだと思います。すみません)。

 当然だけど、何かの作業の手を止めさせてしまったりするのが、そうしたラジオ放送の目的でもないだろうから、番組に届くメールも、明るくて、おしゃれな内容が多く、それは目的にかなっているから、そういうものと思って、特に週末のFMラジオを聞いていた。

 20年近い介護生活が続き、夜中担当のために、完全に昼夜逆転の生活が続き、2年前に、突然介護が終わったものの、午前5時半就寝のリズムを直すのに、約1年半かかった。そして、午前中に起きられるようになって、今までは、深夜のラジオに親しんでいたのに、聞く番組が変わってきて、特に午前中のラジオの内容は、深夜と同じ周波数と思えないほど、違って聞こえることもあった。

FMからの「心に届く声」

 そうやって、今まで聞かなかったようなラジオ番組をいくつか覚えて、日常的に聞くようになり、午前中のラジオにも少し慣れたが、その頃、日曜日の午前中のJ-waveの番組を聞いて、意外な気持ちになった。

 このラジオ局で、この曜日のこの時間帯に、少し心の深い声へ届きそうな「声の質感の人」がしゃべっていたからだった。

 失礼ながら、知らない人だったが、サイトを見たら、玄理(ヒョンリ)という女優の方だった。

 「本棚」をテーマにしたインタビューで、パーソナリティーの聞き方が、約束事で進んでいる感じがしなかった。時々、インタビューされている相手が、あ、そこを知っているんですか、といった感じになって、そこから先は、話の内容が一段密度が濃くなることもあった。

 こういう「心の比較的深いところに届く」リアルさを持つ時間が、FMラジオの日曜日の午前中に存在するとは思わなかった。(これも偏見で、すみませんが)。

 それは、自分が興味があることを、失礼にならないように、率直に聞きたいことを聞く、というインタビューの基本を守り続けるパーソリティがいる事で、初めて可能になるはずだった。

 他にも、気候問題など、重めだったりする話題に対しても、パーソナリティの玄理が、自分の興味が持てることとして聞いているので、ラジオを聞いている人間にとって、必要以上に重く感じないようだった。

 もちろん、女優なので、「正直さ」を演じている可能性もあるものの、それでも、もっとスムーズに話が出来る能力がありながら、より自分に正直であることで、どこか予定調和から微妙にはずれる瞬間が顔を出すから、「心に届く声の質感」として聞こえているように思っている。

「ラジオの記憶」というタイトルで書いているので、今現在も進行中の番組を紹介するのは、微妙にズレるのかもしれず、申し訳ない気持ちもあるけれど、ここまでの私の感想が、大げさかどうかを確かめて欲しいということも含めて、聞いてほしい、という気持ちがある。

 「正直」である声は、たぶん人に力を与えるはずだから、と思うので。


(他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしいです)。

ラジオの記憶③「伊集院光に教えてもらったトム・ブラウンの凄さ」

テレビについて①「オードリー 若林正恭 バラエティをドキュメンタリーに近づける力」

読書感想   『認められたい』   熊代亨  「承認欲求で悩むすべての人に」

いろいろなことを、考えてみました。

暮らしまわりのこと。


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「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月 (無料マガジンです)。

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