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読書感想 「純度の高い強いつながりを描いている3作」ー 「平場の月」「夫のちんぽが入らない」「最高の任務」。

 どの本も、お恥ずかしい話ですが、かなり下世話な興味から読み始め、途中でとまどいも含めて読み進め、読み終える頃には、これも恥ずかしい表現ですが、澄んだ気持ちになれる作品ばかりでした。そして、どれも、知性への深い信頼というものが支えているような印象も残りました。

 3作とも、今さら、というようなタイミングでの感想ですが、どれか1冊でも読んで、相性がよければ、他の2冊もつながっていくように読めるのでは、と思います。個人的には、偶然ですが、この3冊をほぼ同じ時期に読むことができました。それは、幸運なことだったとも思います。

(ところで、感想の文章の長さが、3作で違うのですが、それは表現の技術の至らなさであって、その長さと、読んでいる時に感じていた面白さや凄さは、比例するわけではありません)。


「平場の月」 朝倉かすみ

 2019年の直木賞候補の作品で、50代の男女の恋愛小説でもあり、なにより、大人の女性のとても熱い支持を受けていることを知った。ある程度のあらすじを知り、さらに「平場の月」というタイトルが、カッコよく感じ、読んでみたいと思った。

 それは、そんな熱い支持の理由を知りたいというような、マーケティングに近い、どこか下品な興味だった。さらに、本を読む人間としては、邪道だと思うのだけど、貧しさもあって、図書館を利用し続けていて、予約をすることにした。とても人気で、何百人も待っている人がいた。2019年の夏に予約をして、手元にきたのが、2020年の2月の下旬だった。

 読み始めて、当たり前だけど、いろいろな要素がからんでいる作品だと感じた。

 何より、知性へのあこがれがあって、主人公の男性は女性に惹かれているようだった。声の響きに、頭の良さを感じ取っているのは、感じとる側にも、その感受性があるということだろう。しかも、中学生の同級生でもあり、その10代の頃に、男性から一度告白して、ふられているが、その惹かれてきた要素が、何十年もたっているのに変わらないことも描かれている。

 例えば、女性のこんな言葉で。

お医者さんの口から出た『がん』は、言い慣れているひと独特の無色無臭の『感じ』があって、わたしたちが口にするときにどうしてもくっつく色や臭みがなかったんだよ。シンプルに数ある病気のひとつのようだった

 当事者が、こんな言葉を選べるのは、かなり難しいと思える事でもあり、それが困難に対する知性を使った独特の強がりにすら感じ、そう思うと、そこに愛おしさみたいなものまであるようだった。


 そして、首都圏近郊でありながら、そこにはある種の抜け出しにくい階級みたいなものがあることも描いているのにも気づく。

 東京都内の一部以外は、首都圏近郊であっても、20分でも電車に乗れば、急速に都会の気配が薄くなり、それぞれの地元には、地元特有の強力な引力がある。私自身も、そういう場所に生まれ育った。そして、実は、文化的に恵まれた環境というのは、本当にごく一部だということを思い出させる。

 貧困の再生産というのは、この場合には、明らかに言い過ぎでもあるのだけど、恵まれた環境に育てば優秀になりやすく、そうでなければそれなりになることが多い。

 この小説の女性は、首都近郊で、家庭的にも困難な環境に育ちながら、知性を武器にできる場所まで遠ざかるが、その後、いろいろとあって、また地元に、孤独に、戻ってくる。男性は、地元で人間関係に恵まれ、女性の「人気」もあるから居心地の良さもあり、そこから強く抜け出したいと思えないところもあったようだが、それなりに幸せな生活も送っていた。ただ、やはり、いろいろとあって、孤独を抱えている

 そんな二人が、ふとした偶然で再会し、おそらく、本人たちも気づかないような、中学生の頃から、気持ちの深い所で続いていた、お互いの知性への信頼みたいなものも含めた、つながりを新たに作り上げ、幸せといってもいい時間も経験する。
 ただ、その知性への信頼とあこがれがあるがゆえの、男性が持つ反転した劣等感が、本人が思った以上の変な形で言葉になったこともあって、決定的にすれ違ってしまう悲しい瞬間まである。

 全部で9章ある、章立ては、女性が、男性の主人公に向かって言う言葉になっている。情緒をあまり感じさせないようで、とても深い思いがこめられているようで、それを並べて読んだだけで、読んでいた時の、ふっと少しだけ温かくなるような幸せな気持ちや、切ない悲しさまで蘇ってくる気がするから、かなり周到な構造になっているのだと改めて思った。(青砥は、主人公の男性の名字)

「夢みたいなことをね。ちょっと」
「ちょうどよくしあわせなんだ」
「話しておきたい相手として、青砥はもってこいだ」
「青砥はさ、なんでわたしを『おまえ』って言うの?」
「痛恨だなぁ」
「日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ」
「それ言っちゃあかんやつ」
「青砥、意外としつこいな」
「合わせる顔がないんだよ」


「夫のちんぽが入らない」  こだま 

 この小説は、さらに下品な興味で読もうと思った。図書館では蔵書数が少ないこともあって、予約してから2年待った。

 読み始めてから、自分自身の下世話な好奇心に対して、このタイトルは本当だから、確かに、応えてくれるのだけど、読み進めると「違う」作品だと、早いうちにわかってくる。

 表紙の装丁が美しくて、繊細で、読む前には微妙な違和感があるのだけど、読み進めるほど、内容はその装丁に近くなり、超えてくる気配さえ出てくる。

 主人公(といっても筆者自身)の女性は、育った環境が厳しくても、ただまっすぐに正直に生きている。そして、幸せになったり、やっと困難を乗り越えたと思った次の瞬間には、こんなことがあるんだ、というような理不尽な出来事が、また繰り返し続いていく。

 事故のような大変な出来事や、切実な逃避としての堕落といっていいような時間もあって、それでも、どこか淡々と濃度の濃い20年の歳月を書き続ける。

 何があっても、悲惨といってもいいことがあったとしても、澄んだ印象が続いていくのは、やはり著者の知性が、やっとの思いで支えているから、ということにも気づき始め、そのことで、また少し切なくなる。もちろん、状況が辛過ぎて、そこと距離をとりたいがあまり、心理的に乖離といっていい状態になっている可能性もあるのだけど、でも、それよりも、著者の純粋さみたいなものが、読んでいくほど、迫ってくるような思いにもなる。

 安直な言い方になってしまうのだが、この作品の二人の男女は、魂の結びつき方が、とても強く、理不尽な運命としか言いようのない最悪の体の相性を持ってしても、ほどけないまま、時間がつもっていく話でもある。同時に、そこまでのつながりの経験がない人でないと、本当の意味で、この作品は分からないのではないか、とも思わせる凄みのある作品でもあると思う。

 あとがきが、途中から活字ではなく、著者本人の肉筆と思われる印刷に変わり、そこに、こんな言葉がある。

さすがにこの題名で世に出すのは難しいだろうと思っていたが、編集者の高石智一さんに「このタイトルがいいんです。最高のちんぽにしましょう」と力強く言われた。何があってもこの人に付いて行こうと決めた。タイトルの猥褻さを見事に消し去り美しく繊細な「ちんぽ」に仕上げて下さったデザイナーの江森文晃さん、(中略)本作にもたくさんのアドバイスを下さったまんしゅうきつこさん。この本を通して、みなさんと関わることができ、私はとても幸せだった。おかげで、あの春の即売会の熱が、私の中でずっと続いている。

 ここにも、純度の高いつながりがあり、そのおかげで、この作品を読者として読むことができた。こうして書いていると、なんだか、偽善的でもあるし、図書館で借りたうしろめたさもあるけれど、読んでいた時の気持ちを思い出し、こうした関係者の人たちにも、御礼を言いたい気持ちにもなる。


「最高の任務」 乗代雄介

 著者に対しての、下世話な好奇心から、この著者の本を読むようになった。

 ある作家のトークショーで、この作家のことを初めて知り、そのエピソードで興味を持った。ひたすら、小説を書き写している人であるということ。文学賞の授賞式で、たった一人でのぞんだ作家で、そんなことはほぼないこと。もしかしたら、本当に小説が友達で、実際の友人がいないのかもしれない、ということ。

 それは、決して非難や悪口ではないし、作家としての実力は前提として、変わった人だという、どこか感心や、共感とともに語られていたように思えた。それまで、私自身は、無知で恥ずかしいのだけど、まったく知らない作家だった。その語りで、その人物像に興味をおぼえ、読んでみようと思って、そして2冊目が、この本だった。

 この著書は、二篇で構成されているのだけど、今回は「最高の任務」のことを書きます。

 姪と叔母。微妙な関係。だけど、教養というもので、深くむすびついているから、読んでいて、読者でさえ、特に最初は、容易に入り込めない。

 そして、読み進めると、教養という言葉だけでは少し冷たく感じるくらいの、二人にしかわからない、どこか似た、微妙に暗い魂を感じ始める。そして、その二人が、書くことと読むこと、そして、知ろうとすることへの信頼で、時間を超えて、つながりを確認していく話になっていく。

 書くこと、書くものを残すこと、それを読むこと。そうした行為によって、過去も未来も、複雑に重なりあうような構成になっていて、それは、まだ2冊しか読んでないから分かったようなことを言うのも恥ずかしいが、書くことや読むことに対して、正面からの疑問を持ち続けながら、同時に書こうとしている作家だから出来ることだと思う。

 だから、そういう作家でしか出来ない青臭くもあり、新しくもある作業は、この作品でも続けられていて、その中で、姪と叔母の、この二人のつながりの強度の印象が、だんだん濃くなっていく。

 大学卒業を間近にした姪は、昔のことは忘れていたりする。
 だが、家族と共に行動をしながら、感受性の強い子にありがちな、小学5年生あたりで難しい子として扱われていたことも、思い出していく。そして、その記憶とともに、その時に行われていたことを思い出すだけでなく、未来である今になって、いろいろなことが新しく分かられていって、それは、叔母の残した書いたものとも関係してくる。

 叔母との底の深い信頼感は、もしかしたら祝福されない種類の知性に支えられていて、家族の中でも、おそらく、その二人にしか分からないようなことでもあるのだけど、それに対して理解はできないとしても、家族も排斥はせず、見守り続けている。

 だから、叔母と姪の関係に対して、そのつながりの純度にも感心もするが、読者も排斥されず、全体として気持ちのいい印象が残るのかもしれない。日常を過ごしていると、そんな綺麗事はあるわけない、と思いがちなのだけど、読み終わると、それが信じられるようになっているところも、この小説の、すごさを感じるところだった。


 ところで、2冊目の「夫のちんぽが入らない」のあとがきに、唐突に乗代雄介が登場する。

二〇一四年春、懇意にしてもらっている仲間三人(たか、爪切男、乗代雄介)と合同誌『なし水』を制作し、即売会で頒布した。私は「夫のちんぽが入らない」という一万字のエッセイを寄稿した。売れたいとか執筆を仕事にするぞとか、そんな大それた動機ではなく、面白い文章を書く仲間に認めてもらいたくて、ただ自分の恥を全力で晒しにいった作品だった。三人にウケればそれで満足だった。

 乗代は、文学賞の授賞式で、たった一人で臨んだらしいが、もしそれが事実だとしても、友達がいないのではなく、大事な文学の(同人誌)仲間たちが、たぶん全員「顔出しNG」なだけだったのかもしれない、とも思った。

 ここにも、純度の高い強いつながりがあるようだった。


(関連するnoteです。よろしかったら、読んでいただけると、幸いです。クリックすると、リンクしています↓)。

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いつもじゃない図書館へ行って、帰ってくるまでのこと。


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