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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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2020年10月の記事一覧

「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」②「見えにくい政策を考える」

 毎日のように新しくコロナに感染した方々の人数は発表されていて、特に、東京都内の感染者数は、10月に入るあたりから、再び増加傾向のように感じています。(全国の中で、もっとも感染者数が多いので、そこを基準にしました)。  10月1日。235人。  10月2日。196人。  10月3日。207人。  それでも、すでに以前のように大きなニュースでの扱いではなくなり、かなり小さくなっているように思いますし、私も視聴者の一人として、それほどの関心の持続が難しくなっています。当初から

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テレビについて④今さらですが『忘れられた戦後補償』を見て、国家の冷たさについて、考えたこと。

 テレビに録画したまま、ずっと見るのを忘れていたというか、興味はあったものの、タイトルも重そうだったので、どこか見るのをためらっていた。このままだと、「ハードディスクの宿便」(©プチ鹿島氏)になってしまうと思い、大げさだけど、少し思い切った気持ちで、恥ずかしながら、2ヶ月も遅れて、やっと見た。 NHKスペシャル 「忘れられた戦後補償」  私自身は、もちろん戦争を知らない。親も子供時代に戦争中だから、戦地に行ったわけでもない。それでも、子供の時に、戦争中は大変だった。今の子た

遠すぎたアメリカ……「大 リーグボール」という名前の意味を、50年ぶりに考える。

 すでに知らない人が多くなってしまったと思いますが、昔、「巨人の星」という野球漫画、そしてアニメがありました。 アニメにもあった「昭和の空気」  1968年にテレビで、アニメ放映が始まっています。週に1度の放送で、3年半続きました。主人公の父親はプロ野球の選手でしたが、戦争に行き、命は落としませんでしたが怪我をし、それが元でプレーに支障が出て、そのために苦肉の策として編み出した方法も、卑怯と指摘されて、引退します。  その後、長屋で貧乏暮らしをしながらも、2人目の子供が男

もしかしたら、「最も古いレトロニム」=「現金」かもしれない。

 レトロニムのことを考えると、過去と未来が、ややこしくなる。 「固定電話」と「紙の本」 それほど詳しくおぼえてはいないのだけど、最初に耳に残ったのが「固定電話」だったと思う。それは、確実に昔はない言葉だったのだけど、携帯電話ができてから、同じ電話なので、区別の必要が出てくる、という事情なのは、わかった。  一つの方法は、今までの家に置いてある電話を、「電話」のままとして、「携帯電話」という言葉を付け足して区別する、ということもできたし、今でもそれをしている人は少なくないか

テレビについて③「頭がいい人の気持ちよさ オードリー ・タン氏の思考の姿勢」

 遠くて、薄い印象しかなかった。  台湾が、マスク不足などにITを使って、素早い対応をして、コロナ感染拡大を押さえ込んだ、というようなニュースは知っていたが、それに対して、統制がとれた国だから出来たのではないか、といった粗い認識(それは実は古いのだけど)しかなかったのだけど、それでも、すごいことだったのではないか、という気持ちはずっとあった。    ただ、その後は、自分の住んでいる東京都内での感染者数が多くなっていって、そのことに気を取られ、その上で、報道はイタリアやアメリカ

「かわいいを見つける」を教わった話。

 ほぼ何も考えていなくて、機能と値段だけを見て、下着のシャツを2つ買った。それで、そういえば、と思い出して、多少ゆるくなっても、はきつづけて、捨てるタイミングを逃してしまう下着のパンツも2つ買った。  それで、家に持ち帰って、包装をあけて、パッケージも破って、中身だけを棚にしまう、といった経過の中で、パッケージは、あとは捨てることになるのだけど、その見た目が微妙にひっかかった。妻に聞いたのは、時々、それが取っておきたいものになるからで、見せたら「それ、かわいい」と言われた。

「実質」が「情報」をこえる幸福感。

 最初は、本当に恥ずかしいほど、ミーハーな動機でした。  テレビを見ていて、ドラマ仕立てとはいえ、毎回、役者の人たちの訪れる「グルメバーガー 」といわれるお店の、ハンバーガーが、 とてもおいしそうでした。  それは、演技力によって、演出によって、よりそういう風に見えていることを、頭でわかりながらも、やっぱり見ていて、少し幸福感をわけてもらったような気持ちになっていたようで、自分の表情もやや柔らかくなっていたように思います。    そして、いつのまにか「食べたい」という気持ち

ラジオの記憶⑤「最終回の涙声」

 9月から10月にかけては、テレビやラジオでも、番組改編の時期といわれ、今は、出演者も内輪ネタでありながら、そのことを話題にしているから、ただの視聴者であっても、そのことについて気になるようになってきた。  それでも、ラジオのほうが、番組の寿命は長いことが多く、好評であれば、10年も20年も続いて、それこそ、生活の一部になっていくことがある。だから、最終回に出会うチャンスは、テレビよりもラジオのほうが少ないと思う。  少し前の話になってしまったけれど、9月に2本の番組の最

「新世紀エヴァンゲリオン 地上波補完計画」についての短いレポート

「新世紀エヴァンゲリオン」が最初にテレビで放映されたのが、1995年のことだから、もう25年も前になる。10代は当然として、20代の前半の人にとっても生まれる前のアニメだから、そういう作品に対して、どのような感じになるのかは、想像するしかないけれど、気持ちの距離感は相当遠いのではないだろうか、と勝手に思っている。 過去になっていく「未来」  自分にとっては、もう若いとはいえない頃、しかも深夜の一挙再放送で「エヴァンゲリオン 」を見て、それから、ずっとすごいとは思い続けている

「外部の視点」の必要性

 全国に、今も統計上は、10万を超える宗教法人が存在する、ということを知って、ふっと思ったのは、世の中には、やはり理不尽なことが多い、という実感だった。  宗教について、私自身は、特定の宗教を信じたこともないし、神や仏の存在も信じていない。だから、宗教について、何かを語ったり、書いたりしてはいけないのではないか、といった気持ちがどこかにある。それでも、年を重ねるたびに、以前はたとえば、一緒に学生時代を過ごしていた人間が、宗教を信じるようになり、当初は、誘われるたびに、その人

「場所に記憶が宿ること」について。

ご近所の方に自転車をいただいた。 自転車の譲渡証明書  すぐに乗ろうと思ったのだけど、その自転車の防犯登録はそのままだから、もしも、乗っていて、職務質問などをされ(昔された)、「〇〇さんにもらったんです」といったようなことを言うと、その場合には、たぶん電話など連絡がいってしまって、その時に、不在だったりしたら、すごく疑われそうだし、在宅の場合は、迷惑をかけてしまうと気がついたのは、自転車をいただいてから、しばらくたってからだった。  これ、どうすればいいんだろうと思って、