新聞報道で記者の「意図」はどこまで許容されるか

今朝(2月1日)の毎日新聞の一面トップにこんな見出しの記事が掲載されていた。

五輪組織次長に顧問料
テスト大会落札企業から

「まさか!」とびっくりして本文を読むと、実際に顧問料を受け取っていたのは五輪組織委を辞めた後だとの記載はあったが、見出しだけを読んだ人は、在職中に顧問料を得ていたと勘違いするだろう。あまりに誘導的で悪意がある見出しで、見過ごすことはできないと思った。

公務員だった人が退職後のセカンドキャリアとして民間団体や企業に再就職するという流れ、いわゆる「天下り」自体は、社会にとってメリットがある慣行だと思う。例えば、長くスポーツ行政に携わった公務員が民間のスポーツ団体に再就職して経験を活かす、長く教育行政に携わった公務員が民間の教育機関に再就職して経験を活かす、というスキームは、税金を使って蓄積した知見を民間に還元するという意味で至極合理的だ。もちろん、「天下り」が「癒着」の温床となったり、それ自体が自己目的化してしまい、生産性や必要性が極端に低い民間団体が生まれる危険性はあるので、その点は十分にチェックすることが大前提になる。

そこで今回の紙面である。記事の中で、スポーツ法やコンプライアンスに詳しいという弁護士の次のようなコメントを掲載している。

五輪・パラ特別措置法で組織委職員を『みなし公務員』にした。『李下に冠を正さず』で、組織委で権限を果たしたという自覚があるのならば、特定企業との関係を疑われるような行為は控えるべきで、落札企業との顧問契約は不適切
毎日新聞(2023年2月1日朝刊一面)

組織委の職員が公務員だったという記述は正しい。問題は「落札企業との顧問契約は不適切」という部分で、顧問契約が在職中だったのであれば全くその通り許されることではないが、辞めた後に顧問に就任することが果たして「不適切」なのだろうか。

私はその逆に、組織委で培った経験は積極的に社会に還元すべきだと考えている。特に東京2020大会は、様々な問題を抱えながら不完全燃焼のまま終了した。東京2020大会の閉会式の後、達成感はなく、たくさんの宿題をもらった終業式のような気持ちになったことを覚えている(それは今に至るまで続いている)。だからこそ、組織委で仕事をした者は、その特異な経験をスポーツのために活かす義務があると思うし(職業選択の自由がある以上「義務」というのは言い過ぎですね)、実際に多くのかつての同僚がスポーツ業界に貢献している。

今回の記事について言えば、大会前の「談合」容疑を大会後の「顧問料」と結びつけて既成事実化しようとする意図があるのではないか。すべての報道は何らかの意図に基づいていることはやむおえないが、特に一般向けの新聞において、ここまで誘導的な見出しは許容されるべきではないと思う。幻想かもしれないが、SNSが幅をきかす時代だからこそ「新聞」は現実を映す鏡であってほしい。

なお、この記事の中で「談合容疑を否定」という元次長の立場は記載されているが、どんな根拠で否定しているかについての記載は一切ない。私は、この件は「談合」ではなく、開催都市契約上の義務を果たすための「調整」だったと考えている。この点についてはまた別の機会に述べたい。

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