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大学院博士課程(2014-)で最も不気味だった出来事

 私は2014年4月から、関西の大学院の博士後期課程(相当)に編入し、本当にいろいろいろいろいろいろ……あったけれど、2021年10月現在は博士論文を執筆中。

 執筆しようとすると、その内容に関連する時期のトラウマティックな出来事が頭の中に勝手に飛び出して絶叫しそうになるけれど、なんとか博士論文に取り組んでいる。

 本記事では、最も不気味だった出来事を紹介したい。

 修士・博士(満期退学)・博士(現在在学中)と3つの異なる大学院に在学した経験を持つ私は、もちろん過去の大学院でも、フツーにいろいろあった。最初の2つは「ほぼ男子校」みたいな環境だったから、しつこい口説きから肉体的暴力一歩手前まで、むしろ、あるのが普通。ただ、あっという間に深刻でシャレにならない事態に発展するので、むしろ対処はやりやすくて助かった印象がある。今の大学院で背負ったトラウマの中には、深刻でシャレにならない分かりやすい暴力的な何かというのもあるのだけど、多くは「悪気はなかった」「善意のつもりで」「親しみをこめた」という言い訳が通ってしまいがちな(ときには、本人も本気でそのつもりだったり)、単体ではとても問題にできない、小さなジワジワチクチクネトネトの集積だ。

 最も不気味だったのは、現在の大学院で数年前の8月に起こった出来事だ。

論文合評会が終わり、つかまってしまった

 その日は、朝から昼過ぎにかけて論文合評会が行われた。数名ずつのグループに分かれ、教員が2名ずつ配置されて行われる、なかなか充実した研究指導イベントだ(こういう仕組みは非常によくできていると思う)。

 終了後、私はしばらく多目的トイレに隠れ、他の院生たちがその建物から出ていくのを待っていた。編入から間もない時期、男女院生のつきまといに困らされることが相次いだので、性別問わず「ランチもお茶も飲みも全面お断り」ということにしていた。シラフで校舎の中で起こっていることが既に恐ろしすぎた。インフォーマルなお付き合いは冗談じゃない。

 建物の中がしーんとしたので、私は多目的トイレから出て出口に向かった。出口近くにはちょっとした掲示コーナーがある。私はそこで、留守宅の猫たちへのビデオメッセージを撮影しようと思った。当時、出張中はほぼ毎日撮影し、ペットシッターさんにお願いして留守宅の猫たちに見せてもらっていた。近年は、Skypeなどで直接猫たちを見せてもらって会話していることが多いけど。良く晴れた、暑い日の昼下がりだった。外に出たら太陽光線がキツすぎて動画自撮りは難しそうでもあった。

 私がスマホを構えて撮影を始めようとしたとき、同じ教室で論文合評会に参加していた女性の院生が、そこにやってきた。本業は心理職(たしか)の彼女が「何をしてるの?」と聞くから、私は「留守宅の猫にビデオメッセージを撮ろうとしてるんです」と答えた。まあだいたい、他の大学院生と私の会話は、こんなふうにタメ口対「です」「ます」になる。

 彼女が馴れ馴れしく話しかけてきたのは、親しいからじゃない。それまで、学内で会ったことは10回はなかったと思う。私にとっては全く親しくない人だった。それは彼女にとっても同じだっただろう。だから、なぜ彼女が馴れ馴れしかったのかは、今もよくわからない。

 最も思い当たる理由は、障害者差別だ。車椅子に乗っている私の頭は、彼女の腰のあたりにある。私の顔は、立っている小学2~3年生と同じくらいの高さだ。「子どもと同じ高さの顔=子どもとして扱うべき」というスイッチが入る人は、残念ながら世の中にたくさんいる。特に女性。

プライベートビデオへの乱入

 次に彼女がしたのは、「私も写るう」と主張することだった。私は驚いた。さっき話したじゃないか。東京の留守宅にいるウチの猫たちに見せるためのビデオだ、って。ウチの猫たちやペットシッターさんに会う機会があるとは思えない関西在住の彼女が、なんのために?

 私はそういう内容を、丁寧に繰り返した。でも、彼女は「私も一緒に写るう」と繰り返した。面倒くさくなった私は、「一回撮ってやって満足して離れてもらった方がよさそうだ」と判断し、彼女の要求を受け入れた。

 この写真は、その動画のスクショ。ウチにいた猫は瑠(りゅう・2008-2020)と咲(さき・2016-)の2にゃんだった頃。まだ灯(あかり・2017-)は参加していなかったはず。だったら、たぶん2017年か2018年。手前の私の体重は今よりも10kgくらい重かったので、顔がまるまるとしている。

クソ心理職_バーコード

  (2021年10月14日変更。変更部分は太字
 写り込んできた彼女の顔の加工は最低限にしていた。少なくともその時の彼女に、「これは他人に知られたくない恥ずかしい行為」という感じは全くなかった。だから本来、加工の必要は全くないはずだが、とりあえず眼に線だけ入れた。メガネも、ほぼ隠れて形がわかりにくくなるように配慮した。それでもご本人や親しい方々には、誰だか丸わかりだろう。
 個人情報保護? それは重要。でも、彼女が自発的に写り込んで私に映像を提供したわけ。偶然写ってしまった通行人の場合とは全く違う。
 というわけで、万一、彼女から名誉毀損として訴えられた場合にギリギリで争える線を確保して写真を提示していたのだが、末尾に示す事情により、彼女の顔は完全に隠すことにした。代わりに「彼女はこの中の誰かです」という情報を貼り付けた。

リテイク、そして泣いた私

 1分ほどの動画撮影が終わり、彼女は満足して「じゃあね」と建物を出た。私は校舎内に用事があるふりをして、彼女と反対側に動いた。

 頭の中がなんともイヤな感じにざわざわしはじめた。彼女は「その動画をあとで私にも送って」とも「YouTubeに公開したりしないで」とも言わなかった。だったら、何のために撮らせたのだろうか。私のプライベートを侵したい? 私が嫌がっているからやらせたい? そういう理由しか思い浮かばなかった。たぶん、私にとって好ましい理由ではなかったのだろう。彼女が、私を傷つけまいと考えているのなら、私が「ウチのプライベートに使うもの」と難色を示した時点で、一緒に写ることを断念したはずだ。

 私は、さっきと同じ場所で、猫たちへのメッセージビデオを自分ひとりでリテイクした。そしてペットシッターさんに送り、帰りのバスに乗った。

 バスが動き出すと、涙が溢れてきた。些細なことじゃないか。体を触られたわけではない。暴言を言われたわけではない。ものを盗られたり傷つけられたりしたわけじゃない。ほんとうに些細なことだ。だから断りにくかった。そういうつけこみかただったわけだ、さすが心理職。誰が悪いのか? 私だ。はっきり断らなかった。すぐ近くに事務室があるのだから、そこに行って、窓口が開いてなければドアを叩いて「助けてください」と叫べばよかった。黙って彼女の言いなりになること以外の選択肢は、たくさんあった。そもそも、大学院に編入したのは私の自己責任だ。私がそんなことをしたからいけない……。

 私は人目もはばからずに、約40分間、バスの中で泣き続けた。

それでも、ご本人が名乗り出るのを待ちたい

 どうにも気持ち悪い、でも巧妙で避けにくいイジメの一種。日ごと、月ごと、年ごとに、私の心の中でジクジクした痛みが強まっていった。

 私は決意した。ご本人に直接会おう。なぜ、そんなことをしたのか、ご本人の口で説明してもらおう。でも反応は、返ってくるとして「覚えてない」とか「そのくらいで騒ぐなんておかしい」「怒り方が異常」とかだろう。それでもいい。

 私は大学院のメーリングリストに、前掲の写真を(加工なしで)「どなただかご存知の方は教えてください」というお願いとともに投稿した。誰からも反応はなかった。誰も知らない院生? 院生のふりをして校舎に紛れ込んでいた誰か? いや、そんなことはないだろう。その時の論文合評会に参加した院生のリストに彼女の名前は載っている。

 私は、彼女が名乗り出るのを待っている。「肖像権を侵した」とキレるのでもいい。だったら「その動画がほしいわけでもなく、取り扱いを注意してほしいわけでもなく、強引に写り込んだのはなぜ?」と問いただすから。

 現在の大学院で私が経験した最も不気味な出来事の相手方のご本人さん。名乗り出てくださいね。私、待ってます。

後記:どういう「差し障り」が発生したか

 この記事を公開し、公開したことを大学院内のMLに投稿したところ、しばらくして私自身の現在の指導教員(A氏とする)から、研究指導のついでという形で、「彼女(X氏とする)を知っている人が見れば誰だかすぐ分かる写真の掲載を止めてほしい」とハッキリ言われたわけではないが、でもそういうふうに解釈するしかなさそうなメッセージがあった。

 A氏は「教員として、他の院生の人格権侵害の可能性がある行為を『どうぞお好きに』と認めるわけにはいかない」とハッキリ言うわけにはいかないのだろう。それを言うと、私から「私のほうはどうでもいいんですか?」と問い返されたときに答える言葉がない。

 学事に関連して学内で発生した出来事ではあるが、当事者はどちらも成人である。しかも、一応「部外者立ち入り禁止」ではあるけれど、事実上誰でも入れる場所である。もしも起こった出来事が「X氏がいきなり竹刀で私を殴って顔に長さ3cmの擦り傷をつけた」といったことであっても、大学が責任を問われるかどうかは微妙。そこに誰と誰がいるのかを、大学はコントロールできない。出来事の予見可能性もない。したがって大学側には予防のしようがない。X氏の指導教員であるB氏が「やれ」といったわけでもない。当時の私の指導教員であるC氏が「やられても泣き寝入りしろ」と言ったわけでもない。というわけで、X氏と私に関係している教員が責任を問われる可能性もない。あくまでも、X氏と私の個人間の問題である。

 では、このnote記事に関してはどうなのか。事前に大学院内部のMLに投稿したところから、X氏は知っている。私の望みは、X氏に名乗り出てもらって、なぜそんなことをしたのか説明してほしいということに過ぎない。でも、知っていて知らんふりをしているというわけ。「ある程度の誠実さを期待できる相手なら、この出来事は最初から起こらなかった」ということなのかもしれない。もちろん私は、X氏がどこの誰なのか知っているけれど、このnote記事にはX氏の個人情報を微妙にずらして載せている。あくまでX氏と私の個人間の問題だと考えるのが妥当だろう。繰り返すが、どちらも成人なのだ。大学や教員が出てくる必要はないはずだ。そこが大学院でさえなければ。

 X氏は、B氏がこれから積極的に売り出そうとしている様子である院生である。B氏は、私の指導教員であるA氏の上司にあたる。B氏がどうしてもイヤだと言う限り、A氏は私に研究を遂行させたり全うさせたりすることが事実上できない可能性、あるいは「博士学位論文の提出条件を満たしているはずの院生一人に博士論文を書かせて学位取得させるだけのことが、こんな面倒くさいことになるんなら、やってられん」ということになる可能性がある。A氏自身の研究教育活動も無事では済まない可能性がある。B氏を良く知っている人は否定しないだろう。

 私は、A氏を困らせたいわけではない。X氏が私にしたことについて、A氏には何の責任も関係もない。X氏に「こんなことをしない人間になってほしい」という気持ちは、私には最初からない。大人がそんなに簡単に変わるわけはない。X氏の周囲の教員たちにも、研究以外でX氏に働きかけるつもりはないだろう。つまりX氏はおそらく今後も、本記事に何が書いてあろうが、このままなのである。

 私にとって最良の成り行きは、X氏に関連する自分のダメージがこれ以上拡がらないこと。というわけで、X氏の顔を完全に隠した。しかし報道に従事し、言論と表現の自由のもとでメシを食っている者として(この点は学術研究も同じはずなのだが)、「自分の学位のために権威権力に屈して筆を曲げた」という形になることは、受け入れられない。学位が取得できない場合、学位が取得できた場合よりも、私は今の執筆活動や報道活動を強力に展開することになるだろう。その妨げになる要因を作るわけにはいかない。

 というわけで、X氏の顔をバーコードで完全に隠した。そのバーコードには、現在私が在籍している大学院の関係者一覧がある。その中にX氏も含まれているのだが、誰だか特定できるだけの情報はここにはない。

 これでいいでしょ!(やけくそ)

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。