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飯塚幸三氏の業績と事件について

 2019年4月、池袋暴走事故を起こした飯塚幸三氏は、東京地裁で禁固5年の判決を受け、控訴せず刑が確定。2021年10月12日、東京拘置所に収容されました。刑務所で本当に5年間を過ごすのかどうかは不明ですが、刑に服した形です。
 私は、亡くなった母子やご遺族とも飯塚氏とも関わりのない第三者ですが、ほっとしました。ただし、「ほっとした」の意味合いは、日本の多くの方とはズレていると思います。というのは、飯塚氏の実績は、私の過去の研究と無関係というわけではないからです。

飯塚氏の実績をどう扱うべきなのか

 飯塚氏が工業技術院の元院長であったことは、広く知られています。しかしながら、どういう経歴と実績によってその地位に任じられたのかは、あまり伝わっていないと思います。私も、事件までは特に関心を向けたことがなく、特に意識したことのない人名でした。

 wikipedia「飯塚幸三」にまとめられた経歴を見ると、地道にこつこつ、「陽が当たる」とは言いにくいけれども重要な基礎研究に取り組んできた人物であることがわかります。

 時系列で見てみると、大学を卒業してから職業キャリアの初めの約15年間は基礎研究者として計測技術に取り組み、15年目~20年目で実績をまとめて博士学位取得、同時に業界団体等での活動も開始。20年目~30年目は管理職としてプレイング・マネージャー的に研究開発を続行。30年目以後は工業技術院長、退職後も業界団体等で活発に活動。その世代の、健全なキャリア形成パターンの一つに見えます。

 地位を危うくするような特段の不祥事はなく、池袋暴走事故は工業技術院退職からはるか後のこと。報道等で「元院長」とされていることには、「その呼称、使う?」と首をかしげたくなる思いもあります。時期的に言えば、私が1980年代に在学した大学や1990年代に在職していた会社を持ち出して「元○大学生」「元○社社員」と呼ばれるのと似たようなものですよね? 2000年以前の首相や大企業の社長が「元首相」「元社長」と呼ばれるのなら、まだ理解できなくもないんですが。

 いずれにしても池袋暴走事故は、飯塚氏の職業キャリアが形成され終わってはるか後、現役を退いてからもはるか後の事件でした。もしも私が科学・技術専業のライターだったら、事件や裁判への世の中の激しい反応がある真っ最中でも、必要であれば飯塚氏の業績をポジティブに紹介したでしょう。そして、そのことに大きなためらいを持たなかったと思います。事件によって犠牲者を生み出したことが飯塚氏の業績が生まれることにつながっているのならともかく、そんなことは全くありません。であれば、「それはそれ」という態度が正しいのです。内心の「ううううむ」は別として。

被害者感情と「被告感情」について

 とはいえ事件直後の飯塚氏の行動として伝えられる数々、そして訴訟での飯塚氏の主張には、私も大いに首をかしげていました。もしも、その事故で亡くなったのが私の身近な大切な人々だったら、死刑廃止論者の私は「死刑だ死刑」と叫んでいたかもしれません。でも私は、被害者の方々やご遺族の身近にいるわけではなく、ただの第三者です。そこまでの感情は持てませんでした。
 そもそも車椅子族の私は、暴走する車ではなく「わざと車椅子に向かって轢くフリをする車(いるんですよ!)」「無理な左折をする車がいて、巻き込まれなかったけれども車椅子が接触。相手はベンツで塗装が傷ついた。こちら無事。さすがパンテーラ(私の車椅子のメーカ)」といったことが日常的な脅威です。暴走しなくても、車は充分に怖いんです。

 飯塚氏の訴訟での主張には、さまざまな疑問を抱きました。疑問の一つは、「自己責任を減らし、減刑を獲得することが目的なのだろうとは思われるけど、そのために有効かどうか」というものでした。「腕利きの弁護士が、その方向で陳述を組み立てたら、ああはならないだろう」とも思いました。法廷戦術を真面目に組み立てる気がなかったのでしょうか? 謎です。

 ともあれ、亡くなった女性とお子さん、そしてご遺族が最も望むことは、あの事故が起こらなかったことであろうと思います。その方々の思いを遂げることを応援する方々の多くも、そうであろうと思います。私もそうです。しかし、あの事故は起こってしまいました。

 代わりに何をするのか? そこは、私は世の中と大いにズレていると思います。飯塚氏が法廷で、誰から見ても真心からの謝罪と追悼の思いを語って誰もを感動させたとしても、亡くなったお2人は生き返らないし、同様の事故再発防止にも役立ちません。というわけで、私はそこにあまり関心を持てなかったのです。

 被害者感情があれば、「被告感情」もあります。被告が自分にとって最良と思われる主張を行うのは、裁判の場で認められた被告の権利です。自分に都合よく自己弁護に終始する権利は、当然あります。その権利が軽視されていることには、危機感があります。

「知り合いの知り合い」「知り合いの知り合いの知り合い」がたくさん

 私は1980年代、研究所の技術補助員として光半導体の研究開発に従事していました。その後、大学院修士課程に進学し、光情報処理で修士号を取得しました。飯塚幸三氏は研究者人生の後半、光計測の研究をしていましたから、共通の知り合いや知り合いの知り合いがたくさんいそう。というか、間違いなくいます。はっきり言えば、飯塚氏は当時の私の仕事上の近縁にいるような人物なのです。いちいち数え上げはしませんが、私の知る人々の中にいる「飯塚氏の知り合い」「飯塚氏の知り合いの知り合い」は数十人では済まないでしょう。たとえば、私の修士時代の指導教員は、飯塚氏の東大での指導教授のもとで助教授でした。

 同時に、現在の私の職業上の職業倫理は、贔屓の引き倒しはしないことを要請します。科学技術専業では「ない」ライターである現在の私にとって、飯塚氏の過去の実績や業績を妥当に扱うとは、どうすることを指すのでしょうか。幸い、飯塚氏について触れなくてはならない場面はほとんどありませんでしたが、悩ましかったのは事実です。

 「上級国民」という用語も、頻繁に見ることになりました。このことも、まことに悩ましかったです。
 重要なことは、「上級国民」であろうがなかろうが罪刑法定主義が貫かれることです。公判開始後にメディアが「上級国民だから辛くあたっていい」という態度に与しないことも重要です。既に舞台は、上級国民が優遇されない法廷に移っているわけですから。
 「上級国民がいるかどうか」「誰が上級国民か」「上級国民がどういう優遇を受けているか」の重要性は、相対的に少し下がると思っています。罪刑法定主義が貫かれ、メディアが「『上級国民』だからといって持ち上げもこき下ろしもしない」という態度を貫いている限り、「上級国民」の存在や優遇の毒は薄まっていくはずです。上級国民の存在やあり方が問題なのなら、まず変えるべきところは税制であり分配です。そこは私が最も注力してきたところの一つです。

 しかし、私の記事の読者層の方々、「上級国民」ではない方々を含めて誰もが幸せであることを目指して書いている記事を読んでいただいている方に、こんなことを伝えることは可能でしょうか? 「上級国民!」という感情に「そうですね」と同意することをせずにいることは、それだけで苦しかったです。

収監、そしてホッとした私

 ともあれ飯塚氏は収監され、具体的に罪を償うこととなりました。 もしかすると、自らの職業経歴とキャリアを将来にわたって最も傷つけない方法として、飯塚氏が自ら「控訴せずに刑事罰に服するしかないだろう」という選択をしたのかもしれません。

 そのニュースに接した時の私の感情は、「ああ、これで飯塚氏の業績について遠慮せずに触れられるぞ」というものでした。飯塚氏は、池袋暴走事件の罪を罪として償いはじめました。このことが意味するのは、「研究者としての飯塚氏と業績は、暴走事件と全く無関係に扱って大丈夫」ということです。実際には、触れるにあたって「あの事故の……」と心がジクジクすることは避けられないかもしれませんが。

 誰も、理不尽に命を奪われませんように。
 明日もあると思っている日常が、明日も続きますように。
 末尾ながら、亡くなった女性とお子さんのご冥福を祈ります。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。