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ペットを飼うにも資格は必要

犬はとっても可愛い。
犬は裏切らない、飼い主を裏切らない、犬種によってはその限りではないが。
犬と人間の主従関係があるためか、犬が元々そういう動物なのか。
それはわからないが裏切らない、体感上。
犬は飼い主を選べない、選択することができないから。
犬を飼うのであれば、最初から最後まで責任を持っていくべきだ。
私にはそれができなかった、だからこそもう二度と飼うべきではないと思っている。

楽しかった中学生活、平和な祖母との生活、それは終わった。
あまり触れ合う機会のなかった父親、二度ほど顔を合わせただけの義母、まだ見たことのない義弟。私はその家族と暮らすのだ。
都内に近い大都市県で。
同年代の友人は皆無、また新たに関係を構築しなければならない。
家族とも他人とも。

高校は県立の陸上の強豪校、偏差値は低く、名前さえ書ければは言い過ぎだがそれくらいの高校だ。
多少足の速さに自信を持った私だが、そこで井の中の蛙、挫折を味わった。
持って生まれた才能なんて私はなかった、強豪校、周りの皆は私よりも速く、根性もある。
一方私はそこまでの速さはなく、根性もない。
ある程度で満足なのだ、そう自分に言い聞かせ、部活をやめた。

何もすることなく、勉学にも力は入らない、そんな根性はない。
メンヘラのエース、根性は皆無なのだ。
友人関係も構築できない。そんな根性もない。
会話をする程度の間柄はできても深く関係は気づけない。

家での疎外感、高校での疎外感、それを察したのか父親が犬を飼うことを提案してきたのだ。父親の唯一のポジティブな行動と思っていることだ。
私はミニチュアダックスフンドと共に数年間を過ごした。
祖母との暮らしの次に幸せな時間だ。
高校3年間と専門学生の時間半年、この期間だ。
寝食を共にし私のような人間を癒してくれた。
最高の犬だ。
犬だった。

私は疎外感を気にしないようにし高校生活を送っていた。
犬におもちゃを与えたりペットフードを与えるためにアルバイトも始めた。
犬がいることでちゃんと生活を成り立たせようと思ったのである。
犬を軸に生活が周り、お陰で彼女もできたし、それなりの高校生活がおくることができた。

だが本質的には家族との生活はうまくいかなかった。
その結果、犬との生活を捨て、犬を飼うべき資格は無くなったのである。

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