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腹が減ってればペット用のひまわりの種だってうまい

ひまわりの種を食べたことはあるだろうか。
酒のツマミとして発売されており非常においしい。
それと違いがあるのかは知らないがペット用のひまわりの種も販売されている。
ペット用とはあるものの人間も食べれるのだ。
殻を割り煎れば最高の味がする。特に腹が減っている時は。

両親は離婚した。
小学生低学年にして裕福な生活がしたい。
そんなありふれ、欲望にまみれた理由で特別良い思い出もないが金はある父親についていくことになった私。
離婚直後は今までと変わらない生活環境で過ごすことができた。
大きな違いは夕飯は近所のスーパーで出来合いのものを買いに行くことが増えたことだ。
母親がいた頃も、メンヘラの母は料理をすることは少なかった、記憶でも母親の作った飯よりも、母親の頼んだピザの記憶の方が強い。とはいえ、外食や出来合いのものを母が買って食事をしていたし、私立の小学校では給食が出ない、レトルトのカレーとご飯を持たせてくれたりもしたが普段自宅にいない父親との生活ではそうもいかない。
机の上に置かれた紙幣を元手に自分で買いに行くのだ。
あの頃よく食べていたのは鉄火丼、井村屋の蒸しケーキ。

井村屋の蒸しケーキは今でも好きだ。
今も変わらず美味い、愛してるぜ井村屋
プレーンだけ販売しろ、余計な味を販売するな。

他の家族から見れば不幸せなのかもしれないが当人からしてみれば好きなものを食べれる、最高の環境だ、そもそも家庭の味を知らないし、他人はこの環境は知らない。
そんな生活を数ヶ月過ごした頃、ある日突然言われた。
引っ越しだ。
なんとなくだが嫌な気持ちを胸に引っ越し先に到着。
そこは事務所の成れの果てのようなところ。

ようやくそこで知ることになる。
父親はすでにサラリーマンを辞め、会社を起こしていたのだ。すごい、30代前半の父が会社を起こしていたのだ。
それで順風満帆であればよかった、裕福な暮らしが待っている。しかしそんなことはない、会社は潰れ、残ったのが荒れ果て様々なものが散乱している事務所だ。
私は今日からここに住むのだ。
さらに続く、私立のそれなりの名門小学校に通っていた私だが、家庭のこの状況、保健室登校となる。
さすがメンヘラエース候補、すでにエースの頭角を表している。日々、電車に乗り保健室登校を続けるもそのうち、登校自体も難しくなる。結果、退学。

そんな状況が続きその当時はまだ名前さえついていなかったであろう、引きこもりの誕生である。
家の懐事情もだんだんと悪化していき、1日三食が二食へ、そして一食へ、理由は簡単だ金がない、食うものもない。
恐らくだがこの時期、父親は国から金を得て生活していたのだろう。その期限が終わり無収入となった。

この経験が生きたのか今でも基本は一日一食だ。
コスパ最高、低燃費人間。

そんな汚ねぇ事務所の汚ねぇベットで生活してるその頃、ペット用ひまわりの種が目についた、そのことを父とは特に会話をしたわけではないが黙ってひまわりの種を割り続けた。
茶碗一杯になるほど割った。そして電気コンロに乗せたフライパンで炒った。

美味かった。
あのひまわりの種の味は忘れない。

その時の極貧生活のことを、父を恨んだことはない。
そんなことで恨むほど自己形成はできていない。
だがとにかく金はない、荒れ果てた事務所でも賃貸料はかかる、滞納しているであろう、もう住めなくなるどうなるのだろうとなんとなく思っていた頃、一つの光が唐突に現れた。

父の母親、つまり私の祖母だ。
既に亡くなってしまったが、今でも私の親は祖母だと思っている。初めての家庭の味、裕福ではないが普通の暮らし、全てをくれた祖母が私は大好きだ。

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