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KOBE豚饅サミット® 夜明け前①

2011年11月11日にKOBE豚饅サミット®2011がはじめて開催され、その日以来11月11日は「豚饅の日」として日本記念日協会にも登録されている。
KOBE豚饅サミット®(以後サミット)とは南京町 老祥記、元町 四興樓、そして三宮一貫楼が発起人となり神戸発祥の豚饅を通じて街を元気にしようというプロジェクトの総称である。2011年の開催以降、期間中に会場に訪れる来場者数はサミットの認知とともに年々増え続け、今ではイベント開催
3日間で3万人以上を集客する神戸初冬の名物イベントの一つに数えられるまでになった。

不肖私はこのサミット発起人の一人であり、元となる草案を考え出したのも私である。今日はこのサミットがまだ形になるまでのお話を紹介したいと思う。

正確な時期は多少記憶が曖昧になっているが、着想の芽はおそらく2008年あたりに遡る。その時期はちょうど大阪北ヤード開発が公に報道され始めた頃で、その北ヤードに三越が進出(のちに伊勢丹と経営統合)および梅田阪急百貨店の建て替え工事、なんば高島屋の増床工事など主たる大阪の商業施設が軒並み北ヤード開発に呼応し小売り面積を増やすなど新手の商業施設を迎え撃つ手立てを重ねていた。

とある経済観測で三越開業の2011年には大阪都心部の小売り面積が当時比較で約1.5倍になり、これまで大阪と神戸で買い物をしていた阪神間の顧客の大半が大阪に流れてしまい、神戸の消費緊縮がより一層進むとの記事を見た私は、まだまだ再生途上の自社の状況を鑑みて危機感が募り、なんとか梅田の一角に販売拠点を設けようと考えるようになっていた。

最も興味を惹かれたのがやはり新しい市場である北ヤードに進出する三越伊勢丹だった。進出形態がJRとの合弁会社であると情報を得た私は当社の
JR三ノ宮駅前店をリーシングした担当と連絡を取り、この度の三越伊勢丹の北ヤード開発担当を紹介してもらいアポイントを取ることに成功した。

某月某日、JR西日本本社内のJR大阪三越伊勢丹開業準備室にて当時の担当と面談をした。物腰やわらかな好青年という印象の担当相手に、私といえば鼻息荒くその当時の思いのたけをぶつけていたように思う。その暑苦しさとは対照的にいかにも冷静に担当の彼は

「三宮一貫楼さんはよく存じております。ただ今の段階でまだどのような形態でリーシングするのかは不透明な部分が多くなんとも言い切れないのが現状です。ただ北ヤードには当社だけでなく三菱地所も3区画の土地を購入しており(今のグランフロント)・・・。」

三菱地所!?その時にまた初めて聞くワードが。私の気分は黒船来航の報告を受けた幕臣のそれだったように記憶してます。ただその彼は別に私をひるませようとした訳ではなくその後に持ち上げてもくれた。一通り現状を丁寧に説明した後に、三越伊勢丹のリーシング300店あと三菱地所3区画でざっと900店のお店がひと時に増えるとどういうことが起きる?的な問いがあり、その彼の見解として梅田界隈は間違いなくオーバーストアになると予想をし、今はバタバタするよりも自社だけではなくお店側のリーシング担当が来るまで待った方が得策であると説き伏せられました。はやる気持ちを抑えつつこの日はその部屋を後にしました。

果たしてここまでの話がKOBE豚饅サミット®にどう繋がっていくのでしょう?自分でも少し不安(笑)

(つづく)

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