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「ヒーロー」の資質とは何か——ウルトラ無知オタクのシンU感想Act2

※この記事には「シン・ウルトラマン」の
シナリオ部分へのネタバレが含まれます。
あらかじめご了承ください。

「仮面ライダー剣(ブレイド)」より引用 「だが私は謝らない」と発言する烏丸所長。
読了後のクレームは受付致しかねますので
あくまで自己責任でお読みください。


 以前の記事でも書いた通り、私はウルトラマンにまったく詳しくない人間である。
 この記事は初代ウルトラマンやウルトラシリーズの内容を踏まえて書いたものではなく、「シン・ウルトラマン」という作品単体で見た感想だということを念頭に置いておいて読んでいただきたい。

 私が思うに、シン・ウルトラマンはふたつの「核」の上に成り立っている物語だ。

 ひとつは「」。
親愛、友愛、慈愛。愛には様々な形があるが、シン・ウルトラマンではリピアーというひとりの外星人がはるか彼方の惑星に住まう小さな生命達に愛着を持つ様が描写されている。
 リピアーの愛は上位者視点での愛ではなく、同じひとつの生命体として対等な目線で向き合ったが故の愛——いわば隣人愛だ。

 作中でも度々描写される通り、リピアー達外星人は地球より遥かに進んだ技術を有している。
 外星人と比べ、地球に住まう人類は一個の生物としてのスペックも文明のレベルも何もかも未熟であまりに頼りない。

 例えるなら、外星人が人類に接する時の目線は我々人間が虫に向けるそれに近いのだろう。
 人間の駆除を目論んでいたザラブは言うまでもなく、人類に好意を示していたメフィラスも「上位者」としてのスタンスは崩していなかった。
 メフィラスが地球と人類に向ける好意は偽りではないが、それは対等な目線から注がれるものではない。彼の「好き」は我々の言葉で表すならば「愛玩」に近しい感情だ。

 一方で、リピアー=ウルトラマンは禍特対の仲間を信頼し、一方的に庇護するだけでなく時に彼らの力に頼ることもある。
 また、リピアーはまだ弱く未熟な人間という種に対して必要以上に干渉せず、自然に成長していく様を見守ろうとしていた。そんな彼のスタンスは、我が子を思う親心にどこか似ているような気がしてならない。
 そして、命を懸けてでも人類を守るために戦い続けたウルトラマンの姿は、奇しくもリピアーがかつて「理解できない」として興味を抱いた神永新二の最期の姿と重なるのだ。

 リピアーは自身の感情について「人類をもっと知りたい」「彼らの未来を守りたい」としか語っておらず、「人間が好き」だと明確に言い切った場面はない。その感情が「愛」だと口にしたのは、彼と向き合った外星人だけである。

 リピアーが自分の内にある人間への感情を「明確に定義できない、曖昧でよくわからないもの」と認識していて、それを他者に語る際に便宜上の形として「知りたい」「守りたい」という言葉にあてはめていたのならば、その正体不明の感情こそが彼が「理解できない」と感じた人間の心——すなわち「」だと言えるのではないだろうか。

 そしてもうひとつ、物語の根幹に組み込まれた重要なファクターが「ウルトラマンの定義」だ。
 物語の終盤、リピアーは禍特対の仲間に向けて残したメッセージの中でこう語っている。

「ウルトラマンは決して万能の神ではない。
 君達と同じ一つの生命だ」

 実際、ウルトラマンは禍威獣を圧倒するだけのパワーを持ってはいるが決して万能というわけではなかった。
 神永と融合した影響で活動時間に制限ができたほかにも、ザラブの催眠が効いたり、メフィラスとの戦闘で正面から力負けしたりと次第に苦戦が目立つようになり、最強の破壊兵器であるゼットンには傷すら付けられぬまま完敗を喫した。

 ウルトラマンは強大な力を持った戦士ではあっても、無敵の存在ではない。そのことをリピアー自身もよくわかっていたはずだ。
 にも関わらず、勝ち目がないと知りながらゼットンに挑んだのはなぜか。それは彼が人類を深く愛し守りたいと願っているからに他ならない。

 自身を犠牲にしてでも誰かを守ろうとするその姿勢は、まさしく彼がウルトラマンとなるきっかけを作った神永新二と同じなのだ。

 神永新二もネロンガが暴れ回っている最中、集落に残っていた子供を助けようと危険を承知で単身現地に向かい、リピアーが降着した際には身を挺して暴風から子供を庇っていた。

 ウルトラマンは万能の神ではなく、命を賭して戦う覚悟と人を想うやさしさを持ったどこかの誰かに過ぎない。そう考えると、神永新二もまた「ウルトラマン」の定義に当てはまるのではないだろうか。

 シン・ウルトラマンの主題歌、『M八七』の冒頭で歌われている「遥か空の星」とは、禍特対から見たリピアーのみならずリピアーから見た神永新二のことも指しているのかもしれない。

 このように解釈すると、リピアーから命を与えられた神永新二が仲間達に見守られながら目を覚ます——というシン・ウルトラマンのラストシーンが少し違った意味を伴って見えてくる。
 あのシーンはリピアーの来訪より以前に人類のために戦っていた「もう一人のウルトラマン」の帰還の場面であり、リピアーが神永から受け取っていたバトンを返す場面でもあるのだ。

 シン・ウルトラマンが構想通り三部作となり、続編にあたる「帰ってきたシン・ウルトラマン」が封切りされたならば、その中で神永新二と新たなウルトラマンの邂逅も描かれることだろう。
 二人のウルトラマンがどのように出会い、その時互いに何を想うのか——その可能性を思い描くだけで胸が躍るのは、きっと私だけではないはずだ。

 と、続編への期待を隠し切れなくなったところで文章を締めさせていただきたいと思う。
 ご清聴ありがとうございました。

 だらけていたせいで前の投稿から一月以上経って投稿するという情けない有様で申し訳ないです。
 シン・仮面ライダーおもしろかったね。

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