My Favorite Things(8) Less is moreなIKEAのポエング
Less is more.
- Ludwig Mies van der Rohe
Less is more、「より少ないほうが豊かである」とでも訳すのだろうか。オリジンかどうかは不明だが、ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエが広めた言葉とされている。
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ・・・建築・デザインの世界に大きな影響を与えた第一次世界大戦後のドイツのデザイン学校、バウハウスの校長を勤めたこともある建築家で、建築だけでなく椅子のデザインでも有名だ。建築ではバルセロナ万博の際にデザインしたドイツ館『バルセロナ・パビリオン』が、ガラスと鉄と大理石から構成される現在のモダニズムの系譜の源流のデザインとして高く評価されている。個人的にはガラスが多用されたスクウェアな別荘、アメリカ・イリノイ州シカゴ郊外にある『ファンズワース邸』が気に入っていて、写真から図面を起こして検証したり、自分の別荘を建てるならこんな感じにしようと夢想したこともある。ちなみに日本の別荘地として有名な軽井沢においてはいくつかの規制のひとつとして勾配屋根を原則としており、軽井沢にファンズワース邸に近い建物を建てることはできない。
椅子の世界では先述のバルセロナ・パビリオンに合わせてデザインされた『バルセロナ・チェア』が有名だ。当時のスペイン国王アルフォンソ13世夫妻に座ってもらうために作られた椅子で、その出自から王の椅子とも言われる。ピカピカに光るステンレスの脚が2組、それぞれX字にクロスしハサミのような曲線で両端を支え、背面と座面には小さな四角のパターンになるよう鋲が打たれた黒の革がふっくらと奢られている。座面はやや斜め後ろに傾いており、座ると背筋が伸びるようになる。チェアと銘打たれているが、利用用途してはソファに近い。
我が家のマンションのロビーにKnoll社の正統的なバルセロナチェアとバルセロナベンチが設置されているが、デザイン性だけでなく座ると革のしっとりした感じが実にいい傑作だと思う。ちなみに会社に設置するのにバルセロナチェアのリプロダクト品を買って置いたが、本物とは座り心地がまるで違った。モノにもよるのだろうが、やはりKnoll社の本物にはかなわない。
さて、冒頭の言葉、Less is moreだが、より少ないことは良いこと、というのを掘り下げて考えてみようと思う。言葉数が少ないだけあってさまざまな解釈があるだろう。言葉通りにシンプルに考えると「物が少ない方が良い」というミニマリズム的発想のようにも思える。
私の解釈はこうだ。そのモノの機能性だけをカリカリに考え、機能性に貢献する以外の機能や装飾を廃して、全てをその機能性だけを追求して構成したとする。無駄を廃し、必要なものだけで構成する。そうするとごまかしは効かず巧みに設計しなければならないだろう。そうして出来上がったものは、その本質、機能性がより浮き出てくるのではないだろうか。そういうビジョンが一義的にLess is moreなのだろう。
例えば今は亡きSteve Jobsの思想にも同様のものを感じる。ジョブス自身が創業し追放されたアップルコンピュータ社に1996年に戻ってきた後に、カラフルでシンプルなiMacを世に出し、青色吐息のアップルを再びコンピュータのメインストリームに押し戻した。それからも彼のイノベーティブな発想は続き、iPod、iPhone、iPadとよりシンプルなコンピューティング環境を創造し続けた。これら商品はまさにLess is moreを徹底したようなものばかりで、分厚いマニュアルを読む必要はなく、デザインもシンプル、最小限の機能に絞り込まれている。iPhone出現当時市場に溢れていた同時代の日本製やNOKIAの携帯電話のボタンの多さと比べると、そのベクトルの違いに驚く。その後アップルコンピューターからアップルへと社名変更したアップルはLess is moreの文法をきっちり守り追求している企業の一つだろう。
日常の当たり前の活動を当たり前に行うことを「自動化」という。人々はその行為の意味や手順を知覚することなく習慣として当たり前に日々行なっている。それ自体は悪いことではないのだが、そういう自動化された姿が本当に正しい行動なのか、さらに改善することがないのか? と考える人も出てくるだろう。そういった自動化された行為を再認し、深く本質を考えて再構築すること、これを「異化」という。演劇の世界ではブレヒトという人がこの異化の効果を使い、見慣れた日常を再構築するということをやったことで知られている。
自動化の世界から解き放ち、そのものを突き詰めて考え、一度原点に立ち戻って異化し、機能的に必要なものから再構成してデザインする。それがLess is moreの真意なのではと思っている。
そうすると素材の特性やデザインされた形状の意味合いの比重がとても大きくなる。例えば柱を立てるとする。構造的に丈夫とされる工法で柱を立てて、その柱の周りにデザイン要素を加えるべく、壁で覆ったり、コンクリやモルタルで覆って、さらに壁紙を貼ったりするが一般的だろう。Less is moreの発想にたつと、まず柱そのものの意味合いを考え、適した素材、形状を考えるのだろう。鉄筋がいいのであれば鉄筋で、それを加工して強度に耐えるシンプルなデザインをする。そして何も覆わずに、ビスや鋲さえも露出して柱にするのだろう。内包する機能が露出することによる美、そう捉えることもできるだろう。
私が自宅で愛用するアームチェアがある。IKEAで買った『ポエング』(POÄNG)というチェアだ。当時IKEAに在籍していた日本人デザイナー中村昇さんが1976年にデザインしたベストセラー商品で、世界中で数千万脚売れた商品だそうだ。
このポエングは湾曲した積層合板が組み合わされたフレームに、座面と背面が一体化されたクッションが嵌め込まれている。このクッションは数種類が用意されており、布地や革などから選ぶことができ、後で交換することもできる。
デザインとしては極めてシンプルで、何も隠したり装飾することなく、機能性に寄与するパーツ以外は一切排されている。無駄なものが何一つ存在しない。部品数を絞り安価に大量生産できるというIKEA側のメリットもあるだろうが、パーツとしてまとめると実にコンパクトで、ユーザーとしても店頭で購入して持ち帰り、家で利用者自身が組み立てるというIKEAのスタイルにも合致している。これだけ大きなチェアにもかかわらず購入時のパッケージの大きさは大したことなく、車があれば持ち帰ることができる。組み立てるのもそれほど難易度は高くなく、パーツを組み上げてネジを閉めるだけで簡単に組み立てられる。自分で組み立てるので構造も理解でき、メンテナンスも自身で行える。実によくできている。Less is moreを体現したような逸品だ。
ポエングに座ると、フレームの木がややしなり、実に座り心地がいい。ロッキングチェアに座って揺れている感じにも似ている。別売のオットマンと合わせると快適さが向上し、そのまま眠ってしまいそうになる。やや太めの木のフレームは肘当てにもなり、手を置いたりちょっとしたものを置くのにも使える。
そして何より値段も素晴らしい。私が買った時は5,000円ぐらいだったように思うが今はちょっと値上がりしていて、さっきサイトを見ると最も安価なモデルで6,999円だった。それでも十分に安い。デザインだけではなく価格もLess is moreなのだ。
そう、世界は素晴らしいモノで満ち溢れている。