
流れ星に願うこと。
「今年の流星群は、条件良いのかぁ」
極大日は13日の宵から。
二日月とのことで、月明かりも少ない。
そんなふうに知ったのは、通勤電車に揺られているときのことだった。
毎年この時期になると、そろそろかな?と頭に浮かぶ、ペルセウス座流星群。
なんだかんだで中学のころから観ているのではないだろうか。星の観えるまちで育ったことに、感謝したい。
とはいえ、どんなに条件が揃っていたとしても、晴れていなければ星すらも観えない。
案の定、今年の空は厚い雲に覆われていた。
夕暮れどき、わずかな期待を込めて海へ向かう。台風の影響だろうか。高波に向かってサーフィンをしている人たちが、普段よりも遥かに多い。
波に乗っている人たちを、目で追うことに夢中になっていたところ、カバンの中から着信音が響いた。友人からの電話が鳴っている。
「もしもーし。そちらは台風大丈夫かい?」
「昨日の夜、少し雨が強かったけれど、大丈夫そうだよ。ここ最近調子はどう?」
わたしたちは、最近の出来事をキャッチボールのようにポンポンと交わした。
最近モヤモヤしたこと。なかなか言えない葛藤。ついつい人に期待してしまっていたこと。
心の声を共有する。相手のボールをキャッチする。
そんなやりとりのうちに、ずっと自分の体内でからみあっていた複雑(だと思い込んでいた)な感情が、どれもシンプルな一本の糸にほつれていく。
ひとつ、ふたつとわだかまりが晴れていく感覚。
そこには、シンプルなひとつの願いが込められていた。
“ただ、目の前のひとと本心でつながりあいたい。”
それだけだった。どの悩みも葛藤も、最終的に浮かんでくる解答は、目の前のひとと分かち合いたかっただけ。そう気づかせてくれたのが、電話越しの友人だった。
「またね」
「また話そう」
***
気がつけば、辺りは真っ暗だ。
結局星はひとつも観えなかった。けれど電話を切るころには、ここ数日、肩に何かがのしかかっているような重みはすっかり消えていた。
生きていれば、そして生を分かち合える人がいれば、モヤモヤや悲しみも、祝いにつながっていく。
帰り道、中学のころ好きだった人に言われたひとことを、ふと思い出した。
「流れ星が観れたら、なんてお願いごとをする?」
「なんも願わない。生きてることが明るいんだよ〜」
この言葉をいただいたのは10年以上も前のこと。確か今と同じ季節だった。