無駄を選択するという至福。
そこには、薪を集める人がいます。
火を起こす人がいて、水を汲みにいく人がいる。
ガスコンロがある時代にどうしてこんなに手間暇かけているのだろうか。 ふとそんなことを考えていた。
ただ、皆の自然体な良い顔をこっそり眺めていると、その答えは私には必要がないなと思いました。
東京で日々を過ごしていると、どうしても理由を考えてしまいたくなる。
どうしても先を急いでしまいたくなる。
ただ、私が見る先には、死以外思い当たるものがありません。
にんげんに宿命があるとするのなら、「生」と「死」以外私はまだ知らない。
だから、もっと、無駄を愛したいし、理由のない遠回りをし続けたいなあと思う。
先を急ぐと、あの木々がうつす影が美しいことを忘れてしまう。
あの花の香りに気づかぬまま道を通り過ぎてしまう。
だからまだまだ音を感じながら、時に音を忘れながら、 光を浴びながら、影を感じながら、失敗を繰り返していきたいなあって思う。
少しずつ、すこしずつではあるけれど、生涯かけてつくっていきたい、理由なく溜まれる場所のイメージが湧いてきました。
それは、大切な人との対話の中に生まれるものだし、大切な自然が教えてくれることだ。
時に、すごく悔しい想いをして、やってられるか!って叫びたくなる時があります。
でも、そんな事象が自分の中で大切に大切に育んでいきたい一コマであることにも最近は気が付いてきました。
時に怒りという二次的感情がこみあげてきて、お酒に頼ってしまうこともあります。そんな時、救ってくれる詩があることを知りました。
何が言いたいかさっぱりです。
でも、この想いをどこかにこっそり残したいなと思いました。
理由なく溜まれる場所を作るために、影と曲線の美しい空間を生み出していきたいなと思う。
ヨロコビだけでなく、悲しみや怒りもそっと包み込める人になりたいなと思う。 それは、つまり、物理的にも、心理的にも光が差し込む必要がある。
更に、光が差し込むには、音や手触り、香りや風、その場にあるものがないと感じるよう馴染む必要があって。
きっとその先に見えるものが理由なき集まれる場所。
様々な交じり合った五感と、交じり合った感情の先に、少しだけ笑みが混じっていたらいいなって。
木漏れ日(Komorebi)から光が差し込むように、笑み(Emi)が差し込んだらいいなって。
そんなきもちで、Komoremiというみんなの居場所をつくっていきます。
無駄を愛していきます。
誰よりものろまだけれど、ひとつひとつ、パズルのピースを当てはめていると、自然と笑みがこぼれている。
この瞬間がたまらなく幸せで。
また明日から、心からたのしみだなあ。
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