見出し画像

小説『再会』第一章「とおくの鈴の音」

今日、私はある男の子と、久しぶりに会うことになっている。

新宿駅東口改札を抜け、長い階段を上り切り地上に出た。背の高い建物に切り取られた空は案外青く澄んで いて、ふぅと深い息が漏れる。飛行機を降りて新宿に向かうまでの道のりの中、地元とは全く異なる雑多で都 会的な光景に気圧されてばかりいたけれど、この濁りのない青空にどこか救われた気がした。

スマホで再度地図を確認する。キャリーケースを引き、慌ただしく目的地へ向かっていると、歩くたびに私 の荷物がガラガラと重たげな音を立てる。その「田舎からきました」みたいな雑音と、ちらりと向けられる無 感情な視線が気になり、私は駅まで引き返してコインロッカーに荷物を預け、早足で待ち合わせ場所の喫茶店 を目指した。

立ち並ぶ百貨店をぐんぐんと通り過ぎていく。小道に入ってすぐの場所に、その店はあった。白いレンガ造 りの外壁に、ウッド調の看板。扉はなく、長方形にくり抜かれた空間は、地下階段へと繋がっている。どうや らお店自体は地下に存在しているらしい。

ひっそりと灯すレトロなランプに導かれ、階段を降りていく。真っ白な壁に飾られた観葉植物や不思議な形 象の絵画を眺めながら足を進め、最後の段を踏み終えたとき、視界がいっぺんに広がった。赤茶けたソファに 黒い光沢感のあるテーブル。チューリップを逆さにしたような形のペンダントライト。うっとりするほどノス タルジックな空気に染まっている。

「麻莉ちゃん」

名前を呼ばれ、見回すと、すぐに声の主を確認できた。早打ちする鼓動をなだめながら、ぱっと駆け寄る。 東京へやってきたのだという興奮が、まだ胸を火照らせている。

「久しぶり、美紀」

そう手を挙げると、彼女はくっきりとした二重まぶたを細め、「うん」とふんわり微笑んだ。

「麻莉ちゃん、ようやく卒業できてよかったね」
「いやあ、授業サボったツケを払うのが大変だったよ」

席に着くなり、話題は自然と生まれていく。先日、私は通っていた地元の大学を、5年かけて卒業した。「終わりよければすべてよしだよ」と、美紀は微笑み、白い頬にかかる長い黒髪を耳にかけながら、話を続けた。

「留年したって聞いたときは、ちょっとびっくりしたな。意外で」
「そう?」
「うん。だって高校時代のあなたって、成績優秀で、なんでもそつなくこなしちゃうようなタイプに見えたから」 
「まー勉強は、たしかに昔から得意だったんだけどさ」

だって教えなきゃならない人もいたし、と言葉が舌の上に並んだけれど、ちょうどウェイターさんが現れた ので、口をつぐんでメニュー表に目を落とした。

私はアメリカンコーヒー、彼女はアプリコットティーを注文する。お冷のグラスを手に取りながら、先ほど の会話が連れてきた懐かしい記憶を、ぼんやりと思い返していた。

まさか、あの神崎美紀と、こんな風に会うようになるなんて。

高校時代の自分を思うと、どうも苦笑してしまう。あの頃の私は、まさか彼女とこうして関わることになるなど思ってもいなかっただろう。

「麻莉ちゃん、どうしたの?」

美紀が、純真無垢な瞳で、美しく微笑む。

◇◆◇

神崎美紀、という女の子は朝でも昼でも夕方でも、いるだけでなにかほの明るいものを発散しているような 女の子だった。これがオーラか、と高校に入学したばかりの頃、圧倒されたことをよく覚えている。制服から 伸びるすらりとした手足に、小さな顔。健康的なつやをたたえた肌。胸元まで伸びた黒髪は、つむじから毛先 までつねに手入れの行き届いた輝きをはなっていた。入学当初から、彼女は誰の目にも留まるはっきりと目立 つ存在だった。

美紀の周りにはいつも人が賑やいでいて、まるで桜が白くあふれているみたいな華やかさがあった。

 私はというと、幼い頃から友達は少ないタイプで、教室ではいるようないないような、漠然とした存在感の生徒だった。そういった自分の地味さを卑屈に思うでもなく、また美紀のような人物を羨むこともなく、目の 前で過ぎていく光景をぼんやり遠く眺めながら、毎日を淡々と消費していくだけだった。

だから彼女に対しては、「きっと自分が交わることのない人だ」と漠然とした意識がよぎるだけで、それ以上の関心を持つことはなかった。

高校三年生の春、彼、永山春翔が現れるまでは。

ここから先は

1,582字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?