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知ることはただの始まり      ~創造の扉を開く~

知ることは、ただの始まりだよ。

何故だか分かる?

知ることと、

活かすことは、

全く別だからだよ。

だから、

活かすことと、

知ることも、

全く別だよ。

全ては、

真逆を知るからこそ、

統一されるものだよ。

そこに到達しなければ、

常に、

ひっくり返されることばかりで、

どうにもならないよ。

だからね、

まずは、

理解の原点に帰ることが、全てなんだよ。

そのことを、

理解の終わりと言って、

理解の終わりは、

探求の扉を自身の力で開けることだよ。

そのことを、

創造の世界を開く、と言って、

そのことを、

4次元の扉を開く、と言っているんだよ。

この世界は、

3次元と4次元の狭間に存在するものだよ。

3次元と4次元の狭間に存在するって、

どういうことだか分かる?

3次元は、不完全を意味し、

4次元は、完全を意味してるよ。

不完全にも意味があって、

完全にも意味があるってことだよ。

そして、

次元とは、構造原理のことだよ。

構造原理とは、

完全があるからこそ、不完全が生まれ、

不完全があるからこそ、完全が生まれ、

それを司るものが、

次元そのものだよ。

次元は、十次元まであって、

十次元までが、構造原理で、

最終的には、

十三次元でひとくくりになるよ。

まあ、

次元の話しはこれ以上話すと、

難しくなるので、

ひとまず置いておくね。

纏めるとね、

不完全があるからこそ、

完全の意味が生まれるってことだよ。

破壊があるからこそ、

創造も生まれるってことだよ。

だからね、

3次元は、破壊を意味していて、

4次元は、創造を意味しているよ。

3次元の世界とは、

不完全な世界だからこそ、

破壊を主軸にする必要があって、

完全になれば、

破壊が主軸になることはないよ。

その世界を、天国と言って、

その世界に行けないことを、

地獄、

と言うんだよ。

結局は、創造を知らない限り、

何にも本当の意味では、与えられないからこそ、

与えられないことそのものを、

地獄、

と言っているんだよ。

だからね、

全ての基盤作りは、

3次元の破壊の仕組み(地獄の仕組み)を乗り越えることが、

必須なんだよ。

中途半端に、

4次元の創造の原理(天国の仕組み)を理解しても、

仕方がないってことだよ。

覚悟を決めて、

飛び立たないと、何も得られないし、

分からないってことだよ。

それができることで、初めて、

創造の世界の扉が、開かれるんだよ。

だからね、

理屈じゃないんだよ。

必要なものは、

覚悟と度胸と根性なんだよ。

4次元を知るって、そういうことだよ。

皆は覚悟が足りないから、

分からないんだよ。

それだけなんだよ。

だからね、

3次元の理解とは、

知って終わるだけの、

形が優位な(煩悩が深まる)理解なんだよ。

分かりやすく言うのなら、

コピー技術(表層の理解)を主としている、

ってことだよ。

言い換えるなら、

外にある、客体の力を主とした、

虚像空間の理解だよ。

そういうものを、

自身の力で完全に掴んでいない、

不完全な理解、

と言うんだよ。

逆に、

4次元の理解は、

知って終わらない理解で、

形そのものがない理解だよ。

言い換えるのなら、

煩悩解放の理解だよ。

ちなみに、

形がなくて、

知っても終わらないって、

どういうことだか分かる?

自身の力で掴んだものだけが、

本当の力と本当の理解の扉を開く、

可能性になるってことだよ。

これができると、

理解には終わりがないことが分かるよ。

だからね、

3次元の理解は、形主体の物理学問で、

終わりのある理解。

4次元の理解は、形のない空間学問で、

終わりのない理解ってことだよ。

真相は常に、

終わりがないことを受け入れられるからこそ、

見えてくるものだよ。

ある意味、絶望を知ることで、

光を知るんだよ。

理屈じゃないって、そう言うことだよ。

だからね、

個体(具体性)として何かを捉えるのではなく、

空間(抽象性)として何かを捉えることで、

全ては見えてくるようになるよ。

結果、

3次元的な理解より、

4次元的な理解の方が、

ワンランク上の学問になるよ。

何故なら、

終わりがないからね。

細かく言うのなら、

逆転の発想をそのまま活かせることが、

ワンランク上の学問なんだよね。

だからね、

ワンランク上の学問って、

活かし方も、

学び方も、

全てが正反対なんだよ。

だから、

その正反対を知らなければ、

どうにもならないってことだよ。

そのどうにもならないものを、

どうにかするのが、

物凄く難しいんだよ。

だからね、

正反対を知ることって、

創意工夫が必要なんだよ。

創意工夫こそ、

感覚を開くとだからね。

理屈ばかりを追ってる人ほど、

これって分からないんだよ。

物理的に考えることも、

それと同じなんだよ。

だから今まで、

誰も理解できなかったんだよ。

何かに囚われるって、

無自覚だからこそ、

余計に理解も及ばなくなるんだよ。

物質文明優位って、そういうことだよ。

偏ることそのものが、

物質文明そのものとも言えるレベルだよ。

だからね、

文明の在り方が、

理解の在り方を定めているだけなんだよ。

だからね、

そういう次元の違いが、

3次元(物質理解)と4次元(神秘理解)には、

あるんだよ。

そして、

次元の克服とはね、 

転換が必要なんだよ。

その転換のことを、

闇から光への移行、

と言うんだよ。

それは、

全く正反対だからこそ、

困難であり、至難なんだよ。

だからね、

そういう物質的な理解を越えたものを、

物質的な理解からしか学んで来ていない人達が、

簡単に理解できる訳がないんだよ。

だからこそ、

いくら自身のやり方で学んでも、

あまりにも的を得てない可能性の方が、

高すぎるんだよ。

実際にね、

今までの世界だって、

何かを学ぶ為に学校があったんだよ。

そういうレベルの話が、

3次元と4次元の違いなんだよ。

だから、

いくら一人で理解しようと頑張っても、

とてもじゃないけど、理解がおぼつかないよ。

だからね、

4次元を知る人に、

しっかりと教えて貰わないと、

何も分からない状態で、

終わりかねないよ。

全ては、基礎を学んでこそ、

実が育つんだよ。

そういうことを、

分かりやすく伝えると、

最早、今後の時代はね、

具体的に何かを学んでも、

仕方がないってことなんだよ。

具体的な理解を手放すことが、

始まりなんだよ。

具体的な理解は、3次元的な理解で、

抽象的な理解は、4次元的な理解で、

それは、

今までの考え方を、

逆転させてこそ、

始まりだってことを意味してるんだよ。

そういう、

天と地がひっくり返るようなことを、

知ることが、始まりなんだよ。

そういう理解を得ることを、

自身を深める、

って、言うんだよ。

その状態まで、

理解を得ることを、

3次元の扉を壊し、

4次元の扉を開くって言うんだよ。

それを言い換えるなら、

進化の秘宝を得るってことだよ。

進化の秘宝を得るって、

どういうことだか、分かる?

物質と空間が同化し始める、

ってことだよ。

こんなこと今まで、聞いたことある?

物質は、物質。

空間は、空間だったでしょ。

でもね、

理解って全てが一体化するからこそ、

深まるものなんだよ。

意味が分かるかな?

だからね、

最早、

一般的な理解の次元を、

圧倒的に越えてるんだよ。

でもね、

真実を知るってそういうことなんだよ。

そういうことだからこそ、

簡単に分からないんだよ。

むしろ簡単に分かってしまったら、

価値もないんだよ。

時代の移り変わりって、

そういうことだよ。

だからね、

こういうチャンスを掴めない人を、

センスがない、って言うんだよ。

センスがない人を、

心がない人、

または、

心が弱い人、って言うんだよ。

この意味、分かるかな?

心が全てを掴む要素になる、ってことだよ。

だからこそ、

心を養え、って言うんだよ。

心を鍛えろ、って言うんだよ。

精神を知るって、そういうことだよ。

両極(陰陽)を知るって、そういうことだよ。

だからこそ、

今までの常識と同じように捉えてたら、

何にも掴めないよ。

頭で考えることは、

もう古くさくて、

新時代の扉を開くって、

古くさいことを、手放すことだよ。

そうすることで掴めることが、

もっとも素晴らしい世界を、作ることだよ。

次元を越えるって、そういうことだよ。

今までとは、全くの別次元の話だよ。

だからね、

物質と空間は、

同化するからこそ、

進化するんだよ。

逆に言えば、

その同化を阻むことが、

退化を生むってことだよ。

だからね、

進化を知るより、

退化を知ることの方が、

実は進化に通じることなんだよ。

分かりやすく言うのなら、

闇(退化)を知るからこそ、

光(進化)になれるんだよ。

だからこそ、

退化を知ることは、

3次元理解の克服を意味してるんだよ。

3次元の克服って、何だか分かる?

物質的な理解の、盲点を知ることだよ。

盲点を知ることは、意識を解き放つことだよ。

意識を解き放つとは、

何かを得るのではなく、捨てることだよ。

言い換えるのなら、

物質的な理解を、

とことん手放す、ってことだよ。

そういうことを、

自身を見直す、って言うんだよ。

見直すことは、

自身をまずは否定し、最終的に肯定をするってことだよ。

全ては、否定から始まり、

肯定に終わる、ってことだよ。

自身の枠を壊すって、そういうことだよ。

今ある理解の在り方を細分化する為に、

表(肯定)と裏(否定)を知り、

自身の無自覚な部分を、

意識上に浮上させる、ってことだよ。

浮上する=未熟

ってことだよ。

未熟なものは、克服することで、

成熟するものなんだよ。

だから、

上辺だけを書き換えた所で、

成熟なんてしないんだよ。

浮上したものを、昇華させてこそ、

成熟するんだよ。

だからこそ、

問題を浮上させることが、

全てのきっかけになるんだよ。

それには、

バランスの取れた否定と肯定が必要で、

そのことを、

陰陽の転換術と言い、

転換した先の世界のことを、

理解の統合(理解の一致)、と言うんだよ。

それを積み重ねることで、

意識と無意識は、

次第に一体化して行くんだよ。

その一体化の先に、

無意識の克服があって、

無意識を克服できることで、

物質的な理解から、

本当の意味で、解放されるんだよ。

そのことを、

煩悩の克服、と言うんだよ。

煩悩とは、

意識と無意識を一体化できることで、

次第に克服できるものなんだよ。

そこから更に、

一体化を深めるで、

全てに広がり、

全てに通じて行くんだよ。

だからね、

そういうことが、

分からない人や、できない人が、

悩みを抱えてる人なんだよ。

悩みを抱える=偏り過ぎてる

なんだよ。

理解が偏り過ぎてて、

大切なことほど、

分からなくなっている、ってことだよ。

だから結局、

なにも受け取れなくなっているんだよ。

大切なことほど、

自身で受け取れなくしてるんだよ。

だからそんな状態で、

分かることなんてないし、

大切なことが分からないからこそ、

進化なんてする訳ないんだよ。

だからね、

理解が偏り過ぎてるから、

何にも分からないし、

何にも変わらないんだよ。

だから、

そういう自身の現状を、

まずはしっかりと把握することが、

最初の一歩なんだよ。

だけどね、

その最初の一歩すら、

踏めない人が、

圧倒的に多すぎるんだよ。

何故だか分かる?

今までのツケが多すぎるんだよ。

自身に囚われ過ぎてるんだよ。

昔の考え方に、囚われ過ぎなんだよ。

今の現状に、しがみつき過ぎなんだよ。

結果、 

自身の積み重ねが、

全てを盲目にさせているんだよ。

だからこそ、

間違いを間違いと認識すらできないし、

認識できないからこそ、

容認することすら叶わないんだよ。

まさに、カオスなんだよ。

自身がカオスだからこそ、

簡単には、受け入れられないんだよ。

言い換えるのから、

カオスだからこそ、守るしかないんだよ。

カオスそのものが、無自覚を生み出し、

無自覚だからこそ、

何も変わらないし、

何も分からないんだよ。

だからこそ、

カオスの克服こそ、全ての克服なんだよ。

カオスの克服は、

最大級だからこそ、

中途半端にやるほど、

不可能なんだよ。

今の社会を見てみなよ。

あの姿と同じだってことだよ。

今の社会と自身が同じなんだよ。

変わりたいと思わないかな?

だからね、

そんな状況だからこそ、

何か新しいことを知れたとしても、

本当に大切なことほど掴めず、

結局の所、

上辺だけの書き換えにしか、

繋がらないんだよ。

たから、

何も始まらないんだよ。

全ては、

自身のおこないの清算が、

できてないからなんだよ。

毒だしができてないからなんだよ。

だからね、

自身が何も知らなかった!

と、

自覚し、闇を受け入れるまでは、

何にも変わらないし、

何にも知らないのと、

同じなんだよ。

だからね、

間違いを認めてこそ、

始まりなんだよ。

自身の愚かさを知りて、一歩目なんだよ。

毒を吐き出してこそ、二歩目なんだよ。

理解を統合できてこそ、スタート(三歩目)なんだよ。

ここまで来れてる人がいないのが、

現実なんだよ。

だからこそ、

できる人は、できないを知ってこそ、

本当の価値を知るんだよ。

それが、

上辺ではなく、中身を知るって、

言うんだよ。

理解は、一体化してこそ、

中身となるんだよ。

だからね、

4次元を知ることって、

ただの始まりなの。

その始まりを知って、

自身で探求し積み重ねることが、

全てなの。

それができないし、

分からないのなら、

分かるように、

教えて貰うことが、

必要なの。

そこを、

恥ずかしがったり、

プライドだったり、

見栄をはったり、

何かにしがみついていたりしたら、

何にも分からないよ。

やるべきことが見えてるのに、

そこに全力をむけられないのなら、

どうしようもないよ。

進化するって、

楽じゃないんだよ。

進化を知ることって、

真逆を受け入れることなんだよ。

理屈を繋げることじゃないんだよ。

感覚を繋ぐことなんだよ。

感覚を繋ぐことに、

嘘は通用しないよ。

嘘が通用するのは、

3次元までの話で、

4次元から先は、

嘘なんて通じないよ。

むしろ、

嘘を付くことなんて、

恥ずかしいし、滑稽でしかないよ。

だから常に事実とは、

知った先が重要なんだよ。

行動が全てなんだよ。

頭でいくら知っても、

分かってる風にしかならないよ。

そんなことしても、

何の意味もないよ。

そういうことが、分かった上で、

何をするのか?

それとも、

したいのか?

それを見極めることが大切で、

見極めることは、

自分は何が得意で、

何が不得意なのか?

上や下は、関係ないよ。

上や下の時代は、もう終わったんだよ。

個性を活かすことが、

今後の時代だよ。

個人の個性を活かされたらね、

その個性に上も下もないんだよ。

個性は一人一人が違うからこそ、

上とか下の関係性なんて、

無意味なんだよ。

極めてしまえば、

全ての人が、

オンリーワンだからだよ。

オンリーワンに、

上や下なんて必要ないんだよ。

自然がそれを示してるんだよ。

だからこそ、

それが、

本来の在り方で、

答えそのものなんだよ。

だからね、

自身の答えを得てこそなんだよ。

それまでが、難しいんだよ。

難しいからこそ、

他人の答えなんて、

自身に当てはまらないこと、ばかりなんだよ。

他人のことが分かる人は、

全てを克服した人だけだよ。

だからね、

何ができて?

何ができないのか?

それを明確に知ってこそ、

人って変われるんだよ。

それって、

正しいや間違っている、ではないんだよ。

正しいや間違っているは、

二の次なんだよ。

好きや楽しいが一番なんだよ。

その一番を後にするから、

何もかもが狂うんだよ。

狂うからこそ、分からなくなるんだよ。

だからね、

狂った先に、答なんてないんだよ。

だから、

自分に都合の良いことばかりを、

無意識で求めるしかなくなるんだよ。

一番手前を諦めてるから、

他を諦められなくなるんだよ。

それが、

究極的な煩悩の罠なんだよ。

だからこそ、

自身の都合の良いことの中に、

答なんてないんだよ。

けど、

自身の都合の良いことしかできないから、

どうしようもないんだよ。

だから、

謙虚にもなれないんだよ。

全ては、

歯車を回せてないから起こる、

綻びが原因なんだよ。

些細な間違いが、

カオスを生み出してるんだよ。

だからその根幹を正さない限り、

何も変わらないよ。

だからね、

そんな状態でね、

自身の花なんて、咲かないよ。

咲いたとしても、

偽りの花でしかないよ。

そんな花咲かせても、

仕方がないよ。

後で盛大に、スッ転ぶだけだよ。

だからね、

取って付けた様な、

外の知識を得たところで、

何にも変わらないよ。

何にも分からないよ。

だからね、

外を知ることって、

何にもならないの。

それが、答えなの。

自身を知って、

外を知るからこそ、

何かが起こるの。

答えが得られるの。

物事は、順序が全てなの。

順序の歯車を回せることが、

理解なの。

そのことを、

自然理解と言って、

その自然理解は、

自身の内面に隠されてるの。

だから、

自身を知らずに、

内面が開くことはないの。

内面を開き、磨けることが、

答えの証なの。

進化を感じれることが、

答えの証明なの。

物質的に考えることは、

これに気が付けないことなの。

だから、

自身を知らずに外を知っても、

盲目になるだけなの。

それは、
 
身近な人を蔑ろにしているのと、

なんら変わらないよ。

だからね、

分かってる人に、

自身を調整して貰うしかないの。

自身を自身で調整できなかったからこその、

今があるんだよ。

それを自身で調整できたなら、

もっとまともな人生を最初から、

送れていたんだよ。

何事もそうだよね。

スポーツしても、

勉強しても、

人に注意して貰えるからこそ、

分からないことが、

分かるようになったりするよね。

教えて貰うことは、

注意があるからこそ、輝くものなんだよ。

その輝きを塞ぐものが、

自身の煩悩なんだよ。

だから本当はね、

沢山のことを学ぶ必要は、

ないんだよ。

ちょっとしたミスを正すだけで、

分かることが、

物事の理解の本質なんだよ。

それこそが、

物凄く難しいんだよ。

だからそこに、

価値があるんだよ。

その本当の価値に、

気が付けない人が多すぎなの。

目の前の安易な成功に囚われ過ぎなの。

全ては煩悩に囚われ、盲目だからこそ、

分からないんだよ。

だからね、

外を主にして学ぶことって、

そういう些細なミスを正すことじゃ、

ないんだよ。

外を主にして学ぶことって、

あくまでツール(形、具体性)を得ることで、

ソース(無形、抽象性)を得ることじゃないんだよ。

ソースに通じないものは、

自身に無理矢理繋げることなんだよ。

外を主にして学ぶことは、

そういうことが、

基本構造にあることなんだよ。

構造とは、無くしてこそ、

ソースになるんだよ。

そういうことが分からないと、

一生、

構造理解だけで終わって、

深層理解には、

決して到達しないよ。

しかも、

構造理解だけで、

成果が出せる人は、

元々のセンスと才能が高い人だけだよ。

だから、

そういうものがない人からしたら、

なんの役にも立たない、

ガラクタ同然なものが、

構造理解の落とし穴そのものだよ。

そのガラクタを掴まされてるのが、

現代だよ。

ある意味、

それが許されるのは、

子ども位だよ。

子供は頭が柔軟な方だから、

ガラクタからでも学べる可能性は高いけど、

大人は頭が固い人ばかりだから、

ガラクタからなんて、

とてもじゃないけど、

学べないよ。

まあそれでも、

それしか学び方を知らないから、

そういう間違ったやり方で、

学ぼうとしている人が多いよね。

捉えたを変えるとね、

沢山のことを学ぶ必要があるのは、

子供だけなんだよ。

沢山のことを学べるからこそ、

子供は、

ガラクタからでも学べるんだよ。

大人はそれとは、

全然違うんだよ。

違うからこそ、

大人がすることは、

ガラクタから学ぶのではなく、

ちょっとしたミスを正すことだよ。

些細な違いを、自身の力で見付けることだよ。

なのに、

大の大人が、

ちょっとしたミスを正すのではなく、

外を主として、

何かを学ぼうとする。

自身を主として学ぶことが、

大人のすることだよ。

それができずに、

何の為の、今までの人生だったの?

識別能力を高めることが、

学びの本質じゃないの?

全てに通じる学びに変換できてこそ、

学びの真髄じゃないの?

これはね、

誰かから学ぶな、と言っているのではなく、

学ぶなら、自分の感覚を大事にして、

学べってことだよ。

自身を活かすって、そういうことだよ。

だからね、

外ばかり見てる人って、

本当にお門違いだよ。

何にも分かってないとしか、

言えないよね。

今まで上手く行ってたとするのなら、

それはたまたま、

時代に適合してただけだよ。

適合してて分かることは、

浅いことだけだよ。

適合しないで分かることが、

深いことだよ。

だから、

そう言うことも分からないで、

成功しても何にもならないよ。

本当に大切なことほど、

見えなくなるよ。

だからね、

いつまでも、

子供みたいなことしてるんじゃないよ。

見てるところが間違え過ぎてるよ。

だからいい加減にそういうところを直さないと、

何にもならないよ。

落とし穴に落ちるよ。

だからこそ、

そういう些細なことを知ることが、

始まりなんだよ。

謙虚の意味とは、そういうことだよ。

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