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本刈谷貝塚 土偶 19:盤状集骨墓

このページでは縄文人の美しい埋葬形式を紹介します。

本刈谷貝塚土偶ヘッダー

愛知県の刈谷市郷土博物館(かりやしきょうどはくぶつかん:下記写真)には

1刈谷市郷土博物館

本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)から出土した人骨が大きなアクリルケースの中に密封して展示されていた。

2本刈谷貝塚 盤状集骨墓

もちろん、この人骨は本刈谷貝塚土偶の関係者である可能性がある。
当初、単に人骨が展示されているのだと思っていたのだが、それだけではなかった。
案内プレートには以下のようにあった。

《盤状集骨墓》
 本刈谷貝塚(天王町)出土 縄文時代晩期(※約3,300 〜2,800年前)
 手足などの長い骨を四角く並べ、角(かど)に頭の骨を割って配置している。
 骨の特徴から、身長159cmの成人男性と推定される。 
                               ※=山乃辺 注

ここでは、ただ縄文人の骨を展示しているのではなく、主に三河湾周辺の縄文時代の貝塚で多く見つかり、「盤状集骨墓」と呼ばれている特有の「埋葬形式」を展示していたのだ。
盤状集骨墓は再葬墓の一つの形式であり、「再葬墓」とは一旦、埋葬されていた死者の骨を掘り出し、別の土坑(どこう)に埋葬し直した墓のことだ。
再葬墓は時代や地域によって多種多様な埋葬形式が存在してきた。
特に近年、多くなってきているのは永代供養墓という、それまで参拝してきた墓を仕舞って、同族であることを問わない集合墓に改葬する形式だ。
実は本刈谷貝塚から出土した盤状集骨墓は個人の墓だが、盤状集骨墓の中には複数の人間の骨を集めて埋葬したものも存在する。
「盤状」とは写真でも解るように方形を想定して、角に頭蓋骨を置き、4辺に大腿骨と尺骨で囲いを設けた形状を示している。
そして、板状の内部を平行に長い骨で4等分し、4等分された隙間にその他の骨を配置している。
以下は上記の手順の図解だ。

3盤状集骨墓

こんなにも合理的で美しい骨の収め方があるだろうか。
こうした盤状集骨墓は貝塚から出土している。
なぜなら、日本列島では土が酸性であることから、貝殻のカルシュウムで土のアルカリ度が高くなっている貝塚以外で骨が残っていることは稀だからだ。

墓は人類にとって、先祖への想いのタイムカプセルであると考えていたのだが、息子のフィンランド人の彼女と話をしていたら、フィンランド人の多くが墓を持っていないと聞いて驚かされた。
しかし、遊牧民族の子孫の多いフィンランド人にとっての墓は、定住する必要のある農耕民族にとっての墓の考え方とは別の意味を持つものなのだろう。
再葬以外で移動させる事のない墓は狩猟も行い、移動生活のメリットも知っていた縄文人共同体にとっての「社会安定装置」としての役割は大きかったろう。
その装置は今やDNAのタイムカプセルの役割も果たすようになり、縄文人が何者であるのかを追求するためのゲノム解析も進み、『生命誌ジャーナル』(つむぐ 87号/生命誌研究館/神澤秀明)によれば、現代日本列島人が縄文人のDNAを受け継いでいることが証明され、東アジア人から孤立し、独自の進化をとげた集団である可能性が出てきたという。
つまり、縄文人(=現代日本人)は東南アジア人とも北東アジア人とも別種である可能性があるという事なのだ。

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ゲノム解析では知る事のできないのが、文化だ。
渥美半島(愛知県)から出土した盤状集骨墓たるや、

https://twitter.com/ponka2/status/1123593703937925120/photo/1

その美しさは、もはやアートと言える。縄文人の中に高能力の人間が多かったことが解る、一つの例だ

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