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本刈谷貝塚 土偶 24:龍神か

ここからは刈谷市の本刈谷神社(本刈谷貝塚)と市原稲荷神社(いちはらいなりじんじゃ)の境内末社市杵島神社(いちきしまじんじゃ)を結んだレイライン上の北西方向に存在する2ヶ所の神社を紹介していく。

本刈谷貝塚土偶ヘッダー

本刈谷神社(本刈谷貝塚)と市原稲荷神社境内末社市杵島神社を結んだレイラインを北西方向に延ばせば若狭湾に到達する。
この熱暑で前回、南東方向に出かけた時には熱中症寸前の状況になってしまったので、熱暑の続く間、モーターサイクルで出かけるのは陽が傾き始める午後3時以降にすることにした。幸いにして夏は6時くらいまでは明るい。
しかし、となると動けるのは愛知県内に限定される。
そこで愛知県内の北西方向の祭祀の場を地図上でチェックしたところ、伊勢湾の北部に位置する以下の2社がヒットした。

1MAP本刈谷神社/境内社市杵島社/雨神社/田代白龍王大神

まずは津島市高台寺町の雨神社に向かったのだが、雨神社なんて初めてだし、ネット上には住所と社名しか情報が無かった。
「雨」が社名に付いていることからすると、龍神が関係した神社だろうと推測するしかないし、現場に行って案内書や由緒書をチェックするしかなかった。
幹線道路から路地に入って雨神社に向かうと、周囲は水田地となり、水田地を抜けると集落に入った。
集落に入ると山門のあるT字路に出たが、よくみると、山門は両袖で仁王像が睨みを効かせた仁王門だった。

2MAP雨神社/用水路

仁王門脇には「村社 神明社」の社号標があり、神仏習合の場のようだった。
南に延びる仁王門前の道はこの集落の目抜き通りのようで、10mあまり南に下ると、右手に白山社、左手に雨神社、2社の前に出た。
白山社は東を向いているのだが、雨神社はまともに西を向いている。

3高台寺町 雨神社

社殿がまともに西向きの神社は、雨神社を含めて、これまでわずかに3社目だ。
社地には細かな砂が敷き詰めてあり、その中に60cmほどの高さの石垣が巡らされた土壇が設けられ、数段の石段上の右手に自然石に「雨神社」と白文字の入った社号標、左手に葉の茂った潅木があり、石段の正面奥の寺勾配を持った石垣の基壇上に銅板葺素木造の社が祀られている。
社が土壇の中央ではなく左に寄せてあるのは社号標の背後部分に祭祀時に必要なスペースを取りたかったものと思われる。
しかし、案内書の類が見当たらない。
モーターサイクルでやって来ているので、祈雨祈願の神だったりすると、下手に参拝して帰りに雨にでも降られたら困るので、参拝は遠慮した。

4高台寺町 雨神社祠

後日、ネットで調べてみたところ、「雨神社」は全国に2社しか存在しないようで、もう1社は滋賀県東近江市市子川原町に存在することが判った。
市子川原町 雨神社を調べてみると、こちらには教育委員会の製作した案内書『滋賀県指定有形文化財 雨神社本殿(あめじんじゃほんでん)』があったが、
社殿に関する説明が主なので、その出だしの部分だけ参考までに以下に抜粋してみた。

雨神社は古くは干ばつの際、雨乞いを祈願した神社と伝えられる。
本殿は棟札により大永三年(1523)に建立されたことが明らか。

両雨神社が同じ系統の神社とは確定できないものの、やって来る前に社名から推定していた通りの由緒だ。
高台寺町が水田地であることからすれば、ここの雨神社も祈雨の神である可能性は高い。
しかし、祭神に関する情報は市子川原町 雨神社の案内板にも無かった。
だが、市子川原町 雨神社には2社の境内社が存在した。以下だ。

・龍神社
・樹下神社(じゅげじんじゃ) 祭神:玉依姫命(タマヨリヒメ:龍神)

市子川原町 雨神社の祭神も龍神である可能性が高い。
龍神に水は付きものなので、上記雨神社のMAPの南側に東西に引かれた水路があるので、見に行った。

5高台寺町 用水路

用水路だが、左手の尾張地方に多い河原石を積み上げた石垣と、表通りからは隠れたような路地に挟まれた用水が、すごく好い雰囲気だ。
こんな好い雰囲気の路地がまだ残っているなんて。
上記写真の右手にMAPにも記入してある地蔵堂があって、ヘッダーの写真はその地蔵堂とこの用水路を撮影したものだ。
この地蔵堂は浮き彫りの装飾が素晴らしく、奉られている地蔵菩薩には女性用の鮮やかな着物が着せられている。
尾張西部地域には地元の路肩に祀られた地蔵菩薩に女性の振袖などを着せて、艶やかさを競うような風習があるのだが、なぜそうなったったのか、現時点ではまだ知らない。
半田市では山車を引き回す青年たちが法被で歌舞き、化粧をする。
その石仏版ではないかと見ているのだが、元は侍が最後の戦いに出る際に施す死化粧ではないだろうか。

気になっていた仁王門を観に戻ると、本堂は残っているのだが、廃寺になっているようで、隣の神明社との間に境が無かった。おそらく、廃寺になったことで、ここに神明社が移されたのだろう。
現場には案内板などは無く、ネットで調べてみると、薬師寺だったという。
薬師寺の旧名は皇諦寺(こうだいじ)と言い、現在の集落の町名「高台寺町」の由来となった寺院だったようだ。
高台寺町という町名なのに高台がどこにも見当たらないのが不思議だったのだが、その謎が解けた。
この水田に囲まれた集落は門前町でもあった事になり、旧いが魅力的な建物がいくつも残っており、中には屋根の上に装飾瓦の犬が立っている洒落た蔵があったりして、非常に面白い街並みだった。

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今回、雨神社を調べていて、雨神社は2社のみだったが、「雨」を社名や寺院名に含む例は多いことを知った。今後、そうした神社仏閣に遭遇することも出て来るだろうと思われる。

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