見出し画像

伊川津貝塚 有髯土偶 56:白鷺の食卓

愛知県田原市高松町と大草町(おおくさちょう)の坪井橋から同じ大草町にある八所神社に向かいました。八所神社は汐川(しおかわ)をたどっていて、流域に存在する初めての神社で、汐川の右岸(南岸)210mあまりに位置する神社でした。

MAP1 愛知県田原市大草町・西神戸町 汐川
MAP2 田原市 大草町 八所神社/西神戸町 志田橋

坪井橋を南岸に渡り、真っ直ぐ南下して大草豊島線に出て、大草豊島線を北東に向かうと、森の中で北に向かうアスファルト舗装された分岐道があり、その森の中を抜けるトンネルのような分岐道に入っていくと、まだ新しい住宅の前に抜け、道は左(西)に90度近く折れ、西に延びていた。
もしかすると、その住宅の私道かなと思わせる道だったが、神社はその先にあるはずなので、進むしかなかった。
アスファルト舗装の道は70mあまりで、今度は右(北)に折れていたが、その角からは道巾1mあまりしかない無舗装の農道が分岐して、真っ直ぐ西に延びていた。
農道の先10mあまりに小型の石鳥居が見えるので、農道の入り口に愛車を駐めて入っていくと、農道の左手はトウガン畑、右手は神社の境内になっていた。

MAP3 大草町 八所神社

その農道の北側に面して南向きの社頭があった。

愛知県田原市大草町 八所神社

石鳥居は伊勢鳥居で、鳥居前には対になった常夜灯。
石鳥居の東側には並んだ銅板葺屋根を持つ手水舎が設置されている。
上記写真右奥には社殿建築らしくないが和風の建築物が見える。

石鳥居をくぐると境内は開けており、鳥居正面の10m以内に瓦葺切妻造で横幅の広い躯体を持つ社殿があった。

田原市大草町 八所神社 社殿

板壁などの木部はすべて赤銅色の防腐剤で染められている。
正面中央には向拝屋根が突き出しており向拝屋根下は4間幅のアルミサッシのガラス戸が締め切られ、ガラス戸越しに賽銭箱が透けて見えている。
この社殿の左端にはやはりアルミサッシの開き戸が取り付けられており、社殿内には袋部が仕切られているようだ。
向拝屋根下に入って参拝した。
この神社に関する情報は残っていないようだが、田原市には江戸時代に創祀された複数の八所神社が存在し、参考までに神戸町(かんべちょう)にある八所神社の祭神をみてみると、以下のようになっていた。

・天津日子根命(アマツヒコネ)
・活津日子根命
(イクツヒコネ)
・熊野久須毘命
(クマノクスビコ)
・多紀理毘売命
(タキリヒメ)
・多紀津毘売命
(タキツヒメ)
・市杵島姫命
(イチキシマヒメ)

神戸町 八所神社 由緒

日本神話のアマテラスとスサノオの誓約(うけい)によって生まれた五男三女の神のうちの男神3柱と女神3柱を祀った神社だ。
伊勢湾をはさんで、渥美半島の対岸には五男三女神の親神アマテラスを祀った伊勢神宮内宮があるので、そのことと無関係ではない神社だと思われる。

ガラス戸越に社殿内を見ると拝殿の奥には2段に分かれた渡殿があり、その奥の本殿覆屋内には総素木造の3社が並んで祀られていた。

田原市大草町 八所神社 拝殿〜本殿覆屋

室内の壁は白壁と素木の木部で統一され、すっきりしている。

本殿覆屋内中央の社がもっとも大きいが、よく見ると扉の前左右に神札が置かれていた。

大草町 八所神社 本殿覆屋 社殿

置かれている神札には「津島神社神札」と墨書きされている。
五男三女の神の男親であるスサノオを祀った神社だ。
ここから津島神社に参拝するにはフェリーで伊勢湾を渡って伊勢市東隣の鳥羽市に上陸し、伊勢市の皇大神宮(アマテラス)で神札を受け、伊勢湾西岸沿いを北上して津島市で神札を受ければ親神2柱の神札を受けて戻って来られるのだが、移動で1日仕事になる。

拝殿の西側に回ってみると、本殿覆屋の横幅寸法は拝殿より短く、祀られた社は拝殿内から見えた3社のみようだ。

大草町 八所神社 拝殿〜本殿覆屋

ここも神戸町 八所神社と同じ神が祀られているとすると、3社にどうやって6柱の神を割り振ってあるのか推測がつかない。
境内にはほかには何も設置されていなかった。

大草町 八所神社から志田橋に戻り、汐川北岸堤防上をたどって、290m以内に架かった志田橋に向かった。

愛知県田原市西神戸町 志田橋

志田橋の左岸に着くと、汐川川下に向かうに従い田原市市街地に近づくため、橋はしだいにコストを掛けたものに変化してきているのが実感できた。
川幅も広がり、橋長も40mに近いものになっている。
ここはすでに大草町の東側に面している西神戸町だ。

特別な親柱も設けられ、親柱には照明も埋め込まれている。

田原市西神戸町 志田橋 親柱

徒歩で志田橋中央に出て、上流方向を見下ろすと左岸(下記写真右手)は雑草が深すぎて護岸の様子は確認できないが、右岸(下記写真左手)の橋に近い部分は2種類のコンクリートブロックが張られているのが確認できた。

MAP2内⑧ 西神戸町 志田橋 〈上流方向〉

1種類は上記写真左手前の大きくて平らなものだが、もう1種類の奥側のコンクリートブロックは細かな凹凸のある特殊なもので、やはり汐川の水速を抑える目的のあるものだと思われた。
その結果なのか、左岸寄りの水面には複数のまんじゅう型に繁殖した雑草が露出している。
土砂が堆積しているのだろう。
なかには水中から直接茎と葉が伸びている場所もある。
汐川最奥には青色にペイントされた坪井橋の橋桁も見える。
そして、水面に何か動くものがあった。

カメラでズームしてみると、シラサギの群れが2グループ立たづんでいるのが確認できた。

MAP2内⑨ 西神戸町 志田橋 シラサギ 〈上流方向〉
MAP2内⑨ 西神戸町 志田橋 シラサギ 〈上流方向〉

砂が堆積したことで、ついに底生魚(水底にもぐって生活する魚)が棲みつき、それを狙ってシラサギがやってきたのかと思ったのだが、シラサギがせわしなく歩き回ってエサを探している様子はない。
シラサギは夏に日本列島に飛来する渡り鳥だが、三河では冬でも見かけた。
清冽な水域を好まないシラサギは水田や畑地でもよく見かける。
水田や畑地にはミミズやバッタなどの昆虫類が多く、蛇やトカゲ、ネズミなどの小型の哺乳類も捕食する。
けっこう悪食家だ。
河川でシラサギが見つけるエサはドジョウを主とした魚やカエル、ザリガニなどの甲殻類、昆虫類となる。
逆に天敵はハシブトガラスと比較的大型の猛禽類全般、そしてヨーロッパでは人間だった。
ヨーロッパでは鷹狩りの獲物として捕獲され、珍味として王族の食卓に登る側になったようだが、日本ではシラサギは羽根が純白であることから縁起の良い鳥とされ、食べた話は聞かない。
ここまで、渥美半島に多いシラサギの撮影に成功できなかったのは水田や畑地にいるシラサギはこちらが見つける前に愛車のエンジン音で飛び去ってしまうからだった。
汐川内にいるシラサギたちは汐川の川幅が広がり、堤防も高くなったことで、人間からパーソナルスペースが保てるようになり、エンジン音でも安心して休息が取れるようになってきたのかもしれない。

◼️◼️◼️◼️
日本列島ではシラサギはサイズやくちばしの色などで6種類に分けられるのですが、目の前にいるのはダイサギとチュウサギのようです。シラサギは三河湾沿いでは鷺山(さぎやま:集団繁殖地)を形成しているのを見ましたが、

こうなると縁起が良いというよりは不気味で、糞や雛の腐臭や鳴き声で公害につながる状況になります。これも人間の都合です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?