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しじみの味噌汁

実は甲殻類・軟体類・貝類が壊滅的に食べられない。物によって程度に差はあるが、食物アレルギーである。

夫がしじみの味噌汁が食べたいというから、私は食べないけど作ることにした。貝類を調理するのは初めてである。調理というほどのことじゃないけど。

買って来たしじみをざるに開けて塩水に浸け、砂抜きにかかる。しじみはすぐに顔(?)を出しはじめ、ぷくぷくと泡を吐く。
そのまましばらく冷蔵庫に入れておくと、結構な量の砂を吐き出していた。

さて、味噌汁にするということは、当然ではあるが目の前のしじみを茹でなければならない。

え、めっちゃ元気なんだけど、これ茹でるの可哀想じゃない?

当たり前のことなのだが、私にはものすごい抵抗があった。自分は食べもしないのに、私は今目の前で生きている多くの命を奪うのだ。

雪平鍋に水を入れ、しばし見つめる。

意を決してしじみを流水でザッと洗い、ザルから鍋にザラザラと投入した。

鍋の中に入っても、まだ泡を吹くしじみがいる。覚悟を決めて、コンロに火を点ける。

一度引っ込んだしじみが、カパカパと開きはじめた。

うわああああごめんなさいいいいいい!!!!!

鍋の中で大量殺戮を行った罪悪感が、一気に押し寄せて来た。無理だ。これは無理が過ぎる。

大袈裟な、と思うかもしれないが、自分は食べもしないのに己の手で殺したのだ。

抑も私は、私の目の前に来た時点で既に死んでいるものは気にせず食べるが、私のために生きているものを殺してもらってまで食べたいと思わない。だって、既に死んでいるものだけで、私の腹は満たせるし。

というか、私は肉も魚も生やそれに近い状態で食べることはない(食感や冷たさが苦手)。だから新鮮さは特に求めていないのだ。

襲いかかる罪悪感が想像より大きくて、私はもう二度としじみの味噌汁は作らないと決めた。あさりもだ。蛤のお吸い物を作ることもないだろう。

極端な動物愛護思想を持っているわけでもない。殺虫剤なんか使いまくる。ただ、自分に害を与えるわけでもなく、自分で食べもしないのに、殺すことが耐えられなかった。

自分が食べるのなら罪悪感がないのかは、食べられないので分からない。今後も分かることはきっとないと思う。


ちなみに、あくまでも私の場合だが、エビにしろイカにしろ貝にしろ「美味しいのに食べられない」というのはまるでなく、口にした時点で違和感が生じる(すなわち美味しくない)ので「食物ではなく毒物」という認識に近い。
だから食べられないことを「もったいない」とか「可哀想」などと言われても、全くピンとこないのである。不便なことはあるが。

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