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日々の「献立」は、まるで「ラブレター」のようなものだ。

「いってらっしゃい。」

朝ご飯も食べ終わり、一息。
一緒に暮らす友人を仕事へ見送ったあと、

今日の晩ご飯の献立は。
次の日の朝ご飯のこと、
お弁当のおかずは何があったっけなぁ。

そんなことを思いながら、ストーブの上に渡した物干し竿に、洗濯物を順番にかけていく朝の時間がとても好きだったりする。


年明けからシェアハウスで暮らし始めて、ほぼ毎食の夕ご飯を作らせてもらえるのようになってから、わたしの1日の満足度が格段に上がった。

それは間違いなく、自分の作りたいものを作りたい時に作って、しかも有難いことに好きな人たちに食べてもらえるという、最高にハッピーでピースでしかない環境で暮らしているおかげだ。

うちの住民はみんな料理ができるのに、わたしのわがままでほとんど全部を任せてくれて、それを「適材適所だよね。」と快く受け入れてくれる優しさには本当に毎日感謝してます。

わたしが台所に立つ時に思うのは、目の前の食材への感謝ももちろんだけど、わたしのごはんを食べてくれる人への感謝も大きいなってことに最近気づきました。

そうそう、今日は献立の組み立て方の話をしようとしたんだっけ。


「献立」=「ラブレター」

わたしにとっての献立は、つまりいうところのラブレターみたいなものだ。

テーブルに並べられた料理は、「あなたはわたしの大切な人です。」と言わんばかりの、すなわち最大の愛の告白である。

わたしが夕飯の献立を考える時は、

・主食(ごはんor麺、ときどきパン)
・汁物(お味噌汁、スープ)
・メインのおかず(ハンバーグ、魚の煮付けなど)
・副菜2品以上(サラダ、お浸し、玉子焼きなど)

を主軸として考えていて、料理を始めたころからこの組み立て方をしていたせいか、このバランスが自分の中で1番しっくりくるみたいだ。
食卓に並べた時にもおさまりがいい。

父が汁物が夕飯にないとダメな家庭で育ったので、わたしも自然と受け継いでしまったみたく、お味噌汁かスープは献立にはかかせない。

そこからまずはメインのおかずを考える。冷蔵庫の中身はだいたい常に頭に入っているので、あの食材そろそろ使い切りたいな〜と思ったらその食材を使った主食を決める。ここでのマイルールはメインの食材、味付けが前日の夜ご飯とお弁当と被らないことだ。

(例えば、前の日が照り焼きハンバーグだったら、次の日は挽肉以外の料理で、味付けはトマトソースとか甘酢系にする、みたいな。)

あとは汁物。(ほとんどお味噌汁。残り物の野菜を3種類ほど刻んで入れて、(入れる具材がないときは豆腐、ワカメ、お麩を重宝します。)

副菜も余ってる食材たちと、味付けのベース(ゴマ和え、お浸し、卵とじ、マリネ、酢漬け、スパイスetc...)を組み合わせる。

ここでもひとつこだわりがあって、ご飯、味噌汁、メインのおかずを並べたときに足りない味付けや色、(トマトの赤、ほうれん草のグリーン、玉子焼きの黄色など)あと栄養素(ビタミンCor加熱しても崩れないビタミン、たんぱく質、その他諸々)を副菜の2〜3種で補っていく。

副菜は作り置きすることが多いので、少し偏ることもあったり、栄養素も独学なので感覚でしかないが一応気をつけてみたり。

あとこのタイミングで次の日のお弁当のおかずも何入れようか考えると、少し多めに作ったり冷食に回したりできるからやりやすい。


こうやって諸々組み合わせた献立が、わたしの作るごはんなのであって、あの品数は決して作りたいものだけを適当に並べているわけじゃないのです、実は。笑

食べる前にまず目で美味しく感じられる彩りと、よく噛んで食事の時間を少しでも長く楽しんでもらえるように食感も大切。食べるということは身体の中に取り入れ、血となり骨となっていくのだから、栄養面だってもちろん気にする。

ここまでを朝起きてから夜の食卓に並べるまで、1日中無意識に考えながら過ごしているから、わたしの頭の中ってすごいな。って、客観的にみても思うし、それだけ人のために作ることが好きらしい。ひとりで暮らした途端、料理なんてしなくなってしまう。


こんなにもいろいろと頭を巡らせて、食べてくれる人が心も体も喜んでくれることを考えて作ったごはんたちを、愛と呼ばずにいられるだろうか。

つまり、わたしの作る献立は「ラブレター」なのです。

これだけ食べ物が飽和して手軽に手に入る時代に、今日もわたしのごはんを食べてくれてありがとう、あなたのことが大切だからあなたの身体のことを思って作りました、っていう感謝と愛のカタチです。

同じ屋根の下で暮らす仲間も、わたしのご飯を食べにわざわざ中津まで遊びにくる友人たちも、お店時代に足を運んでくださったお客様も、そのときそのとき、一緒に食卓を囲む目の前の大切な人たちへ。日々の労いと、今日もおいしいご飯で1日を締めくくってくれたらいいなという思いを込めて向かう台所。

献立って、愛と優しさのかたまりだなってつくづく思います。


ただ、こんな普通なら面倒に感じることもわたしがそうやりたくてやってるだけなので、別に込められた思いやわたしのお節介なんて、知ってもらえなくても全然良いんです。

なんか押し付けがましいから、今までは特に取り立てて人に言うことがなかったんだけど、この前献立の作り方について話す機会があってわたしの大事な部分だなと思ったので、文章として起こしてみました。


でもね、作り手としてはあなたの「ごちそうさまでした。」とほんのり緩む口元が見れたらそれだけ満足なので、難しいこと考えずに、シンプルに、ごはんの時間を楽しんでくれたらわたしはそれだけで幸せです。

牡蠣のオイルパスタめちゃくちゃ美味しかったなぁ。


おしまい。

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