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家は、暮らしの宝石箱。

最寄りの信号まで自転車で45分、コンビニは車で20分。目の前の川には毎年蛍が飛び交い、家に帰れば近所のおばあちゃんが育てた野菜のお裾分けが、鍵のかかっていない玄関に置いてあるし、(名前など書いていないが野菜の種類で誰が置いていったか大体分かる。)街灯もほとんどない。

寝る時のBGMはカエルの大合唱に時々加わる謎の鳥の声。深夜の帰り道は「イノシシと目があったらどうしよう。」とドキドキしながら帰るし、頭の上をフクロウが飛んでいったりもする。もちろん携帯の電波も劣悪。当時中学二年生、人生初めての携帯電話を手にした少女は、友人にメールを打っては送信するためわざわざ寒い中自室のベランダに出て、電波を拾うために真っ暗な空に向けて手を伸ばしていた。

そんな絵に描いたような田舎で育ったわたしは、成長と共に募る都会への憧れを胸に抱き、大学進学を理由に地元を飛び出したのだが、どういった訳かまたこの我が地元、中津に帰ってきている。

一度離れるとその大切さがわかるとはよく言ったもので、当時はとてもつまらなく退屈に思えたこの自然も暮らしも、今となっては懐かしく、そして愛おしく思えるようになり、すごく好きだ。都会の暮らしでは味わえなかった、家の裏の山も川も、冷たい空気も穏やかな時間も夜の星空も、みんなみんな、大好き。

そんな大好きな田舎暮らしをずっと死ぬまで続けたいし、自分がいなくなった後もずっとこの景色と暮らしがあり続けて欲しい。わたしがこれからやっていかなければならないのはこの暮らしを守ること、受け継ぐこと、そして伝えていくこと。自分がおばあちゃんになった時に、幼き頃に見てきた地域のおじいちゃんおばあちゃんたちと同じような、自然と共存していく豊かな暮らしがしたいし、自分の子供にも経験させたい。


そう心に決めた矢先に、とても素敵な映画に出会えたのでここで少し紹介します。


「人生フルーツ」

90歳の津幡修一さんと87歳の秀子さん、この仲睦まじく、とても温かくてキュートなご夫妻が主人公のドキュメンタリー映画。人生においてのお金ではない「豊かさ」を求めて、自分たちで「衣・食・住」を担い、自らの暮らしを通して最大限に表現していく。

そこにはわたしが思い描く「憧れ」と「理想」の暮らしがぎゅっと詰まっていた。

木を植え、家を建て、畑を耕し、何十種類もの野菜や果物を育てては収穫し食べる。とったフルーツはジャムにしたり、自家製の燻製器でベーコンを作ったり、機織りだってする。生活に必要なものは自分たちの手で作り出し、巡る四季とともに自然に寄り添いながら暮らしていくその姿は、わたしがかつて育ってきた、田舎での暮らしととても似ていた。


「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。」

とある建築家がいった言葉として、映画の中で出てくるキーワード。

この言葉を聞いた瞬間、ここ最近わたしの頭の中に潜んでいた迷いがほどけたような気がした。

というのも、ちょうど今住んでいる部屋を手放して次の暮らしの拠点となる場所へ引っ越すか、残したまま二拠点で活動するか迷っていたところだったのだ。もちろん二拠点にすると家賃諸々の生活コストが2倍かかるのでとても痛い。それでも約2年半過ごした1LDKのアパートがわたしはとても気に入っていた。白を基調とした割とシンプルでまとまったお部屋。お気に入りのインテリアを揃え、好きな食器を買い集め、ちょっといいベッドも置いたりして、とにか自分の好きなものを集めたし、好きな人たちを招いて一緒に食卓を囲み、穏やかな時間を過ごしたりもした。

そんなわたしの好きと大切が詰まった部屋は、まさしくわたしの大切な「宝石箱」。

映画に出てくるつばた夫婦のお家も、修一さんの好きな建築家の家を模倣して建てた最高の箱に、二人が育てたキッチンガーデンの野菜や果実、手作りの燻製器や長年大切に使ってきたであろう生活道具、二人の好きなものや愛を注いで育ててきたもの、重ねてきた暮らしの細やかな工夫たちで溢れている。

わたしは常に好きなもので周りを囲むことで自分の機嫌を取っていくタイプなので、着るものも持ち歩くものも、その時の自分の気持ちに寄り添いながらきちんと選んで侍らせる。

これは家もまた然りで、自分の生活の拠点となる家は自分の好きなもので埋め尽くすべきだし、好きな人達と過ごしたい。好きなもの、心地良いと感じるものでいっぱいにしたその箱は、まさしく「暮らしの宝石箱」なのだ。

そんな部屋を手放してしまうのは寂しいし惜しいなと思ってしまったので、年明けからお邪魔する予定だったシェアハウスの同居人と話して、しばらくは二拠点でいくことに決めた。なんならそこの住人たちとこっちの部屋もシェアすることになったので、宝石箱がもっと賑やかになりそう。嬉しいな。


自分が暮らしていく家は、己が最高に好きと思える空間であるべきで、それが人生の幸福度に繋がる。家も仕事も人間関係も、自分とそこに携わる人みんなが、居心地の良い空間を創っていける人でありたいなと思う。


「ときをためて」

あとひとつ、この映画の中でとても好きな表現がある。

修一さんが紡ぐ言葉たちはどれも穏やかで自然への愛と敬意で溢れているが、特にいいなぁと思ったのは、修一さんは時間が過ぎていく様を「ときをためる」と表現する。 

なんとも気の利いた表現なのだろう。意識せずとも、誰にでも平等に時間は流れ、そして消費していく。けれども明日や未来のことを思い、その日にできることをゆっくりコツコツと重ねていく時間は決して無くなったり消えたりすることはない、「たまって」いくのだ。

(ちなみにこの『ためる』という表現が『貯める』なのか『溜める』なのかちょっと気になったり。基本はお金は『貯める』それ以外は『溜める』なのらしいが、豊かさの指標がお金でないと考えさせてくれるこの話だとどちらもしっくり来るなと。お金の代わりにコツコツためて積み上げてきた「とき」を「貯める」のも、人生という大きな宝石箱に丁寧に過ごした「とき」を「溜める」のもどっちも良い。そういうのを考えるのも好きだったりする。)

この、ためた時間を振り返ることができるように、将来わたしが暮らす家の周りにも何か木を植えたいなと思った。映画には、津幡夫妻が植えた様々なフルーツの木がたくさん出てくる。過ごした年月に比例して、すくすくと大きくなっていく木たち。最初は小さな苗木でも、何十年後には大きな幹を構えたくさんの果実を実らせる。この大きく、そしてたくましく成長した木々を見たとき、その年月と共に自分がためてきた時間について、そっと思いを忍ばせるのだろう。


今度の年末で今までやってきた仕事をひと段落させて、2020年からは「今」自分がやりたいことと平行して「これから」長い時間をかけてやっていきたい、豊かな暮らし作りも少しずつ始めて行こうと決意したところだったので、とても良きタイミングで人生の教科書となるような映画に出会えてよかった。

ゆっくりコツコツ、大切な仲間と共にときをためて、宝石箱を好きなものでいっぱいにしていこう。


そういえば、昔はよく「将来の夢は、可愛いおばあちゃんになること。」って言ってたなぁ。秀子さんみたいな可愛いおばあちゃん、なれるのかなぁ。



おわり。


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