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解釈あらため、私にだけの、意味と価値。【Banksy展Review】

横浜はアソビルで開催中の「バンクシー展〜天才か反逆者か〜」に行きましたので、それを受けて膨らんだ思考をしたためてみようかと。そもそもこの展覧会の正当性に疑問がある、という方は、後書きに私が参加するのを是とした理由(私見)を載せておきますので、そちらをご覧くださいませ。

1.) そもそもBanksyって・・・?

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Banksyを全く知らない人(がこの記事を読むことはないけど念)のために少しだけ基本情報を。
といっても、情報がないと言うのがBanksyの特徴、というのさえ知ってれば良いのではないかな。ざっくり言うと、覆面ストリートアーティスト。ストリートアート、は街中の壁にある落書きをおしゃれに言ったかんじ(というとそのカルチャーの只中にいる人たちに怒られそうだけど・・・あえてシンプルに知らない人向けに、ということでお許しください)。作品の特徴としては、政治的メッセージや世相を切るニヒリズムといったところでしょうか。風刺画、と言ってもいいかもしれない。変に知識を入れて蘊蓄をこねるほうが寒くなると思うので、予備知識はこのくらいでOK。

Banksy作品で一番有名なものといえば、Girl with Ballon(女の子がハート型の風船に向かって手をのばしているやつ) だろう。次点でLove Is in the Airかな(見るからにテロリストかレジスタンスかと思われる人物が、火炎瓶の代わりに花を投げようとしているやつ)。

今回の展覧会では、どちらも見られるし、ミーハーと言われようがこの2作品は本当に、心から見たいと思っていた。このnoteをしたためようと思ったのは、前者を見て少し、何かが腹落ちしたから。

2.) 好き、という単語にまつわる後ろめたさの話。

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そもそも今まで、アーティスト(表現する側の人)では全くない人間(=私)が、アートを好きである、ということは何か矛盾を孕んでいる気がしていた。特に人生でアート(音楽や文学など、様々な形態のものを含めて)を勉強したこともなければ、「私の趣味は絵画鑑賞です」と言えるほどそういった場に足を運んだこともない。好きの度合いも教養も、「全くない」わけではなくとも、「きちんとある」と言えるほどでもない。ので、Banksyが好き、とかストリートアートが好き、とか、あるいは芸術が好き、なんて言葉は、本当に好きな人々に引け目を感じておいそれとは口にできないのが私である。だから、Banksy作品に纏わりつきがちな「意味の解釈」なんてできた立場ではない。それが鑑賞における醍醐味のように扱われているアーティストなのに、その解釈をするほどの知識も教養も思慮深さもない、って、本当に鑑賞している、とは言えないのでは、なんて思ったりして。ましてや今(どこかの知事が路上で見つかったBanksyっぽい作品を保護なんかしちゃってニュースになった今)Banksyが好きなんて言ったら、ミーハー認定確実じゃん。私5年ほど前の映画「Banksy Does New York」がきっかけなんですけど。後追いみたいじゃん。って本当はそんなことどうでもいいはずなんだけど、なんだかこそばゆく考えちゃうし。

だけど見たいものは見たいし、ということで足を運んでみたのだが、この靄か霧のようなものが、一番最後の額縁に入ったGirl with Ballon(のプリント)の前に立ち尽している間に、すっと消えて、好きな気持ちが腹落ちしたのである。

少し、不思議な体験だった。

3.) 解釈、言葉、そして風船と少女

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人は、特に意味ありげな作品を見ると、何らか正解の解釈というのを見つけようとしてしまうものだ。ややもするとそれを確かめたくて、あるいは自分の解釈を正当化したくて、それを人に話してみたりする。よく、「芸術作品に対する解釈は鑑賞者の自由」なんて言葉を聞くけど、そしてBanksyだってそう言っている(らしい)けど、「どう解釈するのが正しいんだろう」って、評論家の講釈を探したり、それが音楽であれば歌詞の意味をググったり、映画であればネタバレサイトを覗いたりして。インタビューなどで表現者側の発信があれば答え合わせができてしまうこともあるし、そういった探求心は人として正常な衝動だ。ご多分に漏れず、私だってそういった経験はもちろんある。

では、Girl with Ballonは何を表しているのだろう。

この作品が最初に世に出たのは、ロンドンにある橋の階段だった。つまり、ウォールアートあるいはストリートアートと呼ばれるものとして(今回展示されているのは、その後本人の手によって作成されたプリント作品であるが)。
その後、誰かがこの絵に「There Is Always Hope」という一言を書き加えたのは有名なストーリー。その人は(あるいは作者本人なのか?)、そのようにこの作品を解釈したのだろうか。飛んでいくハート型の風船に手を伸ばす少女の横に書き加えるにはぴったりの一言ではないか。いつだって希望はある。私はこの一言がとても気に入った。風船を飛ばしてしまった少女を、兄か、あるいは少女自身が、元気付けているような気がする。いや、気がする気がしている。本当のところ、自分がどう感じているかなんて、今日までは自分でも気づいていなかった。

その後、この作品は希望と言う言葉と結びついてイギリスいち人気の現代アート作品となり、ロンドンのトラファルガー広場でインスタレーションとして再登場した時には(たぶんこちらはBanksy公認だろうが)「Give Hope」という一言が添えられた。戦火に苦しむシリアの子供たちへの祈りをこめて。

この絵はシンプルな分、様々に解釈できるだろう。「There Is Always Hope」と書いた人には、少し微笑んでいるように見える少女の表情に、何か予感めいたものを感じたのかもしれない。また、人によっては、喪失感を覚える作品かもしれない。子供の時に風船を飛ばしてしまったときの絶望感を想起させられて。小さかったころは、そんな些細な事がこの世の終わりにも感じられて、大きな声をあげて泣いたものだ。ほんの少し、他のことが気になって手が緩んでしまっただけなのに、もう取り返しがつかないなんてフェアじゃない、と地団駄を踏んで。大人になった今は、チクリと胸が痛んでも、諦めて歩き出すことができるし、3日経てば記憶の彼方だろうけど。

では、この作品の正しい(もしくは、一番理にかなっていそうな)解釈とはどういうものだろう。風船は飛んでいってしまったのか。あるいは故意に飛ばされたのか。本物の作品の中にヒントがあるだろうか。もしあの言葉が付け足されない状態で今この作品が目の前にあり、私の手にはブラシとペンキがあったとして、代わりに自分は何を記すだろうか。

そんな疑問は、この作品の前に立って30秒もしたころには、消え去っていた。イヤホンから流れ出すオーディオガイドは何やら一般的な解釈や蘊蓄を伝えてはいるものの、立っているうちにちょっとどうでもよくなってしまった(失礼。来歴を知るには非常に役に立つので、ぜひご利用ください)。


4.) 存在するものとしないもの

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当たり前、なのだけど、絵の前に立ちすくんで思ったこと、それは、そもそも解釈なんて、ましてや正解なんて、どうでもいい、本当は存在しないってこと。

もちろん、表現する側には何かしら、表現するに至らしめた理由や衝動があるのだろう。それを意味や前提と呼ぶとする。だけど、見る側にとっては、殊初めて見る時にはそんなものは存在しない。ゼロの状態、前提なんてない状態で作品に出会い、後付けで「意味」を見出し、それがその人にとっての、その作品の価値となる。

では、その「意味」はどこに見出されるのか。筆先の運びなのか、構図なのか、色使いか。あるいは、誰かがあの一言を書き足す前の空白か。小説でいえば行間ってやつか。知識さえあれば、そこに何かしら説明のつく言葉が浮かぶものではないか。

この作品を見るまでは何となくそんな風に思っていた。アートってそういう高尚なものでしょう、この絶妙な配色が・・・とか、筆の使い方が・・・とかわかっていないと、理解はできないものでしょう?私にはハードル高い、って。

だけど、この作品を見て、私がその「意味」を見つけたのは、意外なことに、それがどう作られたものだとか、どんなインクが使われているとか、時代背景がどうとかでは全くなく、自分の中にであった。「その作品が作られた意図」という意味ではなく、その作品の、自分にとっての意味として。不意打ちで見せられてしまった。
日常の中で言葉にすらならない体の奥の方に常にある感情を、すっ、とタンスでも開けるみたいに引っ張り出された気がした。視線は作品に注いでいるけど、自分が見ているのは、自分の心の抽斗の中だった。正解は、常に自分の中にしか存在しない。それに気づかされてしまった。私が何を感じてこの作品に惹かれたのか、その理由を。


5.) (私だけにとっての)意味と価値

私にとってこの作品は、「惜別と解放」だった。

思い当たる節があった。音楽や小説など、今まで自分が、「この作品が今の私を形成した」と言えるものの多くに、ノスタルジーや惜別の切なさを感じていた。というとそんな作品いっぱいあるよ、と言われてしまいそうだが、私が惹かれるのは、自分から別れを選んだ、あるいは別れる事になったが潔くその時を、まるで最初からそうすべきとわかっていたかのように迎える作品だ。今まで大切に握りしめていたその手を、その時が来た瞬間にパッと開いてみせる潔さが伴う別れ。それも、恋愛以外の。小説だと「青の炎」、児童書だと「青空のむこう」、音楽だとGreen Dayの「Good Riddance」。そういったものに感じた感情を、自分では気づかないまま、この作品にも感じていたのである。

そう、自分は心のどこかで、この作品に、「何物にも変えがたい大切なモノとの別れが来た時を知り、悲しみに蓋をして笑顔を作り目を細め、それが旅立つのを引き止めもせず無言で送り出す少女」を見ていたのである。風船というよりは、怪我をした鳥を保護したあと、回復までの間にできた絆を断ち切って、前途の光を祈りながら野生へと送り出すような、そんな瞬間。手を離す刹那は永遠にも感じられただろう。そんな風に自分の中にその少女像を創り上げ、共感しさえしている。もし許されるならずっと握っていたかったはずのその手のひらを広げて空へと伸ばすその瞬間に、思いを馳せている。ほんの少し、鼻の奥が熱くなる。

それでも、やはり、「Sadness」でも「Farewell」でもなく、「Hope」と名付けたくなってしまう、それほどにこの少女と風船に受ける印象は軽やかだ。きっと、ひと処に止まれないことを、諦め、赦し、受け入れること、それが成長や次の一歩に繋がるということを人生の中で学んできたからこそ、そう感じられるのかもしれない。何かを手に入れるには、それを掴むための準備が必要だ。誰かに別れを告げることは、新しい出会いへの可能性を開くということだ。相手も自分も、解放される瞬間。空っぽになった手で、今度は何が掴めるだろう。

手放すということ。
それは、解放されるということ。

だから、この作品の「希望」とは、自分にとっては、「風船にもう一度手が届くということ」ではなくて、「風船の旅立ちと、少女の成長と、そしてその開いた手が新しく掴む何か」だ、というところまで思い至り、満足してこの作品に背を向けた。別れの瞬間にさえ、希望がある。There is always hope。


これが答え。
それでいいや。


みんなが自分の中で答えを見つける。それは個々の人生を反映して、時に大きく、時に僅かに異なるものになる。解釈なんて言葉を使うから、正解があるように感じていたけど、そんなものは初めからなく、「自分にとっての意味」だけが存在する。もしかしたら私にとっての意味は、あながち大衆の最大公約数からずれていないのかもしれないし、その逆の場合立ってあるだろうけど、それはそれで一人一人が胸の中に持つ真実であることに変わりはない。

そんな当たり前に気づけた今やっと、今までよりももっと自信を持って、
「自分にとっての価値」がある作品として、
「好きなものは好き」と言える。


これからはちゃんと言おう。
私、Banksy好きです、って。

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**因みに。

**

今回は一作品に絞って感想を書きましたが、この展覧会自体には、他にも70点ほどの作品があります。
新たなお気に入りも見つけました。オズの魔法使いのドロシーとトトが出てくる「Stop and Search」。有名なものでもちろん知ってはいたけど「Rude Copper」「Grin Reaper」「Wrong War」は改めて好きになったし、Ratシリーズは何点かあるので、どれが好きかな?って考えたり。
サラッと通り過ぎるように見ていけば1時間もあれば終わるけど、無料のオーディオガイドアプリをダウンロードして、イヤホンで聴きながらゆっくり周れば3時間くらい余裕で使ってしまいます。各作品の来歴を簡単にまとめてくれているので、上記に書いたこととちょっと矛盾しますが、一般的な解釈を聴きながらフムフム、と楽しむのもおすすめです。出口で結構しっかりしたパンフレットが売っておりますので、写真撮らなくても思い出は残せます(私はほぼ全部とってしまった上にパンフも買ったけど)。
この規模の展覧会はもちろん初で(もっと小規模な販売会を兼ねているものは見たことあるけど、先に挙げた有名作品はほぼ無し)なかなか貴重な機会かと思いました。


【お役立ちリンク】

イベント公式 https://banksyexhibition.jp/
公式オーディオ・ガイド(アプリ) https://izi.travel/en/app
アソビル https://asobuild.com/

【おすすめ関連作品】
「Wall and Piece」 :唯一の公式画集/2007 
https://www.amazon.co.jp/Wall-Piece-BANKSY/dp/1844137872
「Banksy Does New York」:ドキュメンタリー ※出演はありませんよ
https://www.amazon.co.jp/Banksy-Does-New-York-DVD/dp/B00YQTD54E

後書き

長くなりますが、この展覧会は、バンクシー本人サイドから「まがい物(Fake)」との指摘があるので、そもそもどーなのよこの展覧会、って方もいるかと思い私見を載せておきます・・・。引用機能を使っていますが、本編と切り分ける為でであって、私の筆によるものです。

Banksy非公認展覧会
各国で開催されているこの展覧会"Banksy Genius or Vandal?"は、Banksyの公式認定団体Pest Controlのホームページで軒並みFakeとしてリストアップされている。https://www.banksy.co.uk/shows.asp(このリストアップの仕方は宣伝に見えるのは私だけ・・・?)
では、偽物やコピー作品ばかりなのかというとそうではない。というかサイン&ナンバー入りの本物+ストリート作品の写真、再現、解説がコンテンツになっている。どういうことかというと、所有者から借り受けた作品を展示しているが、展覧会自体はBanksyおよびPest Controlの許可も関与も一切受けていない、ということ。本展覧会のホームページにも堂々「Unauthorized(無許可)」の文字が踊る。そもそもBanksyは基本的に、自身では入場料有料の展示会などは行わない、と明言している(観覧車でもない限り、という一言つきで。もちろん、観覧車のある展覧会というのはディズマランドというインスタレーションのこと)。ストリートアートとしての芯をブラさないのは凄くかっこいいですね。例えば公認して商標を貸し出す代わりにロイヤリティをとる、ということもビジネスとしてはできたはずなのに、それはやらないっていう一貫した姿勢が。
著作権法などについて、違法にはならないのか?
個人的にも色々調べてみた結論から言うと、違法ではないだろう、と思います。Banksyの作品は概して「プリント(などのいわゆる額縁に入った作品)」「ストリートアート」「インスタレーション」があるが、プリントやペイント作品は、日本(だけでなく、実施されている国全てだろう)では、所有者の許可があれば一時的な展示は有料であっても認められている。ストリートアートやインスタレーションの著作権にはそもそも疑問符がつく部分もある。許可をとっている場合はのぞいて、人のものに落書きをする、という違法行為を行なっている、という前提がある。ストリートアートが芸術として認められつつある一方で(もちろん認めない、という人もまだまだいるだろうが)、その保護の根拠となる法律がない、というのが現状だろう。著作権の詳細は全部説明すると相当長くなるので、著作権法を参照ください(丸投げ笑)。読めば今回の展覧会が違反になりようがないと分かると思います。そんなに難しくないので。
道義的にはどうだろう?
これは、意見が分かれるところかな・・・。法律でOKならOK、という人もいるだろうし、本人が望まない形の展示を、しかも有料で行うのはいかがなものか、というのも正論。ただ、ホームページで「Fake」としながらも開催地やチケット代金を掲載しているのは(完全に邪推だが)「ここで見れるよ、見たいなら」と言っている気がしないでもない(都合よく解釈すれば、だ)。本当に嫌だったら、こんな周知の仕方しないのでは?と思ってしまう。「選ぶのは君らだ」ってことなら、それはそれでBanksyらしい気もする。人の作品でお金をとる、人のふんどしで相撲をとる、ということに対しては、うん、ちょっと良い気はしない。「本当のファンなら、アーティストが反対している展覧会に行って、アーティストが反対している団体にお金をおとすな」というご意見はごもっともだ。ぐうの音も出ない。
だけど、とあえて正当化するのであれば、私は、やはり、良いものを広め、一般の人々のアクセス可能な状態にするのにあたりある程度のビジネス化は止むを得ないと考えるのである。無料でできることは短命だ。どこかしらでコストを回収しなければもたない。アーティスト本人にとっては希少性に価値ががあるのは事実だが、見る側にとっては見れることそのものに価値がある。その価値があると思って、お金を払い、そのお金でアートは広がり、継承されていくのである。
それを否定してしまえば、ほとんどの美術館の運営はなりたたなくなるだろう。ダ・ヴィンチやミケ・ランジェロが許可を出すかどうか、展示を望むかどうかなんて、今や知る由もない。
そしてこれが、著作権法が、「作者の許可もしくは所有者の許可」があればOK、として太鼓判をおしている理由だ。そもそも著作権というのは、「文化の発展に寄与することを目的とする」法律なのである。個人の利益や尊厳を守るのは、それ自体が目的ではなく「文化が発展するから」である。素敵な作品が広く知れ渡ることが、次の世代の文化的な豊かさに繋がるよね、という理論は私は嫌いではない。

と長々書いたけど、ストリートカルチャー側からすれば「知らねーよ」だろうし興味もないだろう。ので、この展覧会に否を唱える人がいたとしてその心情も分かるのである。ただ、音楽でいえばベストアルバムのようなこの展覧会に行かないのは、もったいない、けど。。。

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