慣れるはずのない気持ち

喪失は想像したままに訪れると思っていた。悲しくて、寂しくて、「心に穴が開いたような」という表現ができるものだと思っていた。

土曜の朝、不意にやってきたそれは、もっと複雑な感情をもたらした。
別れは小さな死だと思って生きているけれど、それよりも確実な別れに対して実感がわかないことに罪悪感すら覚える。いつもは安易な同意は嫌いだけれど、自分の経験から同意してくれる人がいることが救い。

自分は薄情なんだろうか、血も涙もない人間なのか、もっと甘えられていたら、堂々と涙を流すことができたのか。国立劇場から四ツ谷へ歩く道中、そんなことを泣きながら話した。

残された人間は生きていかなきゃいけないことはわかっているけれど、翌日、ふつうにバイトに行く自分を憎らしく思った。わたしの大好きな人たちが、わたしより先にいなくなってしまうことが怖くて仕方がない。「順番を守れた」と言う父が、羨ましくさえ見えてしまった。

去年の初夏、部活の講師を見送ったときも、今も、感情が思うように出てこないのは事実。純粋な感情より、理性が先立ってしまう。「わたしが泣くのはどうなんだろう」とか「悲しいと思う権利はあるのかなぁ」ということを、頭でぐるぐる考えてしまう。

この間まで触れることのできた人間が、骨灰になってしまうこと。そのときを想像するだけで叫びそうになる。あのひとも、あのひともみんな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?