シスターズ

私たち沖縄女性は、ジャンヌ・ダルクにならなくてもいい。歌って踊って生き抜こう。

沖縄という土地はジャンヌ・ダルクを作りやすい、と思う。
日本人、沖縄本島人、宮古人を巡って考えてみた。

この投稿を見て、思うところがたくさんあった。思わず熱が入って書いています。

さて、沖縄では、主義主張が合わなければ叩き潰す、というようなことはいくらでも見てきた。女性はなおさらだ。沖縄は先進な部分も多いけれど、極めて保守的なところもあり、日本から見れば、極彩色に見えるだろうと思う。

そして、その深さは、げに恐ろしきで、理解を越えていると思う。
なぜなら、沖縄というところは、一般の人の生活にまで、政治がどっしりと根ざしているからだ。日本と比べて、という意味で。

わたくしごとになりますが、どういう立脚点で書いているかと言えば、宮古島出身で、東京に住んでいて、ネット上ではどちらにも住所があるような交流をしていると言ったらいいだろうか。

都会で、女性が自分の意見を展開することは、ネット上では生活に支障は出ない。よっぽど有名人ではない限り、目の前で罵倒されるってことはないだろう。

ある種のリアルの日本的有名人である女性たちは、覚悟があって前に出てきている。はたからどう見えようとも、男性社会のなかで歯を食いしばって、自分の仕事をしてきた女性は大勢いる。

見ている人は見ているので、きちんと対価は支払われたりもする。男性社会の中での肩書だけど、それでもそれをバネにして、女性らしい活躍や言論展開をする人も多い。

私は、その女性の先人たちの恩恵を東京で受けていると言っても良いかもしれない。そして、沖縄の女性たちからも同じだ。おばぁたちが伝えてきた「かぎさ(宮古方言で美しさ、美意識と訳しても良い)」を幼少期から自然に受けてきた。

そんな私が思うことだ。

現在の沖縄の言論強者の女性たちは、あまりにもぬかるみにいる。日本語で戦うからこそかもしれないけれど。(先のおばぁたちは、ぬかるみに奮闘しながら、日々の暮らしを成り立たせ、ついにはぬかるみで遊びだすという境地にまで達していると思う)。

現代の沖縄という土地で「はっきりものを言うこと」が出来るのは、守られているからだったり、実績がともなう場合だ。(一般の女性が表立って言うときは、信念があるときかもしれない)。

言論強者という意味では、私自身もそうだと思う。
私には親川さんのように地位も学歴もない。でも、言いたいことが言える。

それは多分、今までにない離島出身の女性の形だと思う。何を言っても物理的に叩かれないって素晴らしい。

東京にいること、ネットの普及があったこと。この2つが、今までの宮古の女性と大きく違う。


そして、大きな要因は「時代」だ。

東京で活躍している宮古女性に「宮国さん、気をつけなさい。出過ぎないように」と何度か注意された。50年ほど前は、東京でも宮古出身ということをかくして生きている女性も多かったと思う。差別に合わないように。

でも、世の中のリテラシーが上がってきて、東京であからさまに沖縄差別する人はバカ扱いされるので、多分、私は昔の沖縄出身の女性より痛い目にあってはいない。

それどころか、私は助けてもらったりすることのほうが多い。

ひるがえって、じゃぁ、私が宮古にいたら、と考える。まわりに気を使って、書けなくないだろう。書いたとしても、反応が直接的で疲弊するだろうと思う。本気で、殴られそうになったことも何度かある。

まぁ、何が言いたいかと言うと、親川さんは私にとって非常にリトマス的に興味深い女性だということだ。

私はこの親川さんと数年前、ネット上でやりとりをした。あぁ、頭のいい子が沖縄もでてきたなぁ、新しい世代が頑張っているなぁ、という印象でずっと書き込みを見ていた。

でも、彼女が「フールーという移住者のパン屋が沖縄にできた。トイレという意味なのに誰も教えない。私も教えない」というザマアミロ的なことを書いたからだ。

えっ!と思った。私もフールーという言葉は知らない。なぜなら宮古出身だからだ。方言がまるで違うのでまったくわからないのだ。

その時、私は、「直接、教えてあげてください」と書いた。そこからやりとりが始まった。

多分、彼女は、ある種の層の人たちの代弁したんだろうと思う。その時は、結局、沖縄がいかに日本に蹂躙されているかということをお書きになっていた。

私にとっては、それとこれは別なのだ。

「基地を押し付けられて日本から被害にあっていると思うこと」と「身近な日本出身者を責めること」は雲泥の差がある。


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い発想に思える。経歴を見ると頭いいはずのに、なぜこんな意地の悪いことを書くのか、理解不能だった。

FBの親川さんのウォールには、親川さんシンパが多い。そんななか、私は、親川さんのところに書き込みを続けた。かなりビクビクしたし、独立関連の人の「お前は学問的にわかってない」という上から目線も浴びた。でも、書いてよかった。わかってなくても、自分の言葉を獲得するチャンスができたからだ。

その後、私は東京で親川さんに会った。可憐な女の人だった。当時は、良くも悪くも幼いと感じた。全然、意地悪じゃなくて、普通の沖縄のいいとこのお嬢さんなんだろうなぁと思った。

幼いということは、悪いことではない。私は娘が三人いるが、その沖縄的な幼さ故に、東京では覚悟が必要そうな子どもを生むということができた。東京出身の女性たちは、東京での結婚や子育ての厳しさを知っていたからこそ、私のように三人も何も考えずに生んだりはしない。

話を戻そう。

親川さん本人が望むか望まないか別として、そういう人を沖縄はジャンヌ・ダルクに仕立て上げる。その時、私は、彼女が政治活動というか、沖縄に影響を大きく与える人になるだろうと書いた。5年後、こうして国連に出るようになる。もてはやされて、表舞台に立つのだ。

なので、いろいろ考える。

弱者(と思う人も含む)は弱者のままでいるべきだ、とは思わない。
だけど、弱者から強者になったときは、特に、弱者の存在を忘れてはならない。

なんの躊躇もなく、人に接することは、オープンマインドではある。それが沖縄のいいところだ。それは、狡猾な人からは幼くも見えるだろう。

だからこそ、故意に傷つける相手に猛然と戦う強さももちろん必要。それは、生まれや育ちは関係ない。言ってしまえば、日本人、沖縄本島人、宮古人など関係ない。

親川さんの見ている日本人の後ろにはたくさんの一般庶民がいる。私は、満員電車に揺られて、たくさんの税金を払っている東京のサラリーマンをたくさん知っている。沖縄に心を寄せながらも、理解できずに、口を閉ざしてしまう人も知っている。彼らは、沖縄の報道に罪悪感を持つほど優しいのだ。だから、軽々しく意見をしたりしない。

そういう人たちを傷つける発言は、私は了解できないのだ。なぜなら、沖縄は被害者と言いながら、ムチをふるっているように見えるからだ。

もしくは、その人たちを傷つけていることに想像力がいかないことがあるとしたら、沖縄の人には伝えたいと思う。

そして「日本人はフールーという言葉も知らない」という言葉は、沖縄本島中心主義すぎる。私のような離島の人は、その言葉を知らない。ならば、私も知らないということで、バカにされてもいいわけではないからだ。

ご活躍のめでたい席に、水を差す発言になのはわかっているけれど、書いておかなければと強く思った。

何度も書いて恐縮だけど、

弱者は弱者のままでいるべきだ、とは思わない。
だけど、弱者から強者になったときは、特に、弱者の存在を忘れてはならない。

親川さんは、沖縄の社会で、どんどん強者になるだろうと思う。傷をおいながらも。
沖縄の普通の女の人は、国連に言って、主張などしない。
親川さんが正義感にかられてすることに、私は応援をしている。それは変わらない。

そして、ここは私の一番大事なことだが、今回の親川さんの国連の主張には「消滅の危機に瀕する琉球諸語」もある。
だからこそ、こうして、熱を持って書けるのかもしれない。

宮古島はまだ話者は多いが、これから加速度的に減っていく。だからこそ、いま、東京で自分ができることをしている。

離島の人はどう考えるか、できるだけわかってほしいのだ。この文章は、批判ではなく、歩み寄りです。

私たちは、いかなる相手でも食い物にされてはならない。
政争の具になってもならない。
責める相手の表面だけではなく、見えない部分にも想像力を働かせたほうがいい。

もし、沖縄出身の女性として、友好があるとすれば、通底した沖縄的な義理と人情があるとすれば、彼女に声をかけたい。

私たちはジャンヌ・ダルクにならなくてもいい。

上から目線に思えるかもしれないけれど、ほんとに、誰かが死ぬのは嫌なのよ。打ちひしがれて満身創痍になるのを見るのもつらいのよ。

そこには、沖縄のおばぁたちがいう「かぎさ」はないからだと思う。

「かぎさ」は、冒頭の絵のように、苦難の道でも、仲間と歌って踊って、生き抜くことなのだと思うのだ。

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