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消えてなくなっちゃいけないんだ、誰もが。

差別の話、って、あまりおもしろくもないだろうし、私も楽しくはないけど、書いておこうと思う。

なぜなら、今回、イタリアの新型コロナで、今まで優しかったミラノの街が違う顔を見せたので、いろいろ考えたのだ。

ミラノの新型コロナのパニックが起きるさなかに、私はいた。

帰る2日前は戒厳令とも言える報道であふれ、街が観光時期から静かになっていく様子を肌で感じた。で、差別って、あーこういうことだったな、と思い出した。

正直、差別される側でも、なんてことないと思っていた。無視するときもあった。日本では、海外に比べたら、命の危険はないのだから。

日本だと、そんな人はあんまりいないけれど、女性軽視や沖縄というカテゴリーで見てくる人は、ある意味、差別の一種かなとも思っている。

でも、その言い方は、女性でもなく沖縄でもなく、私個人に向かってるかもしれず、その線引は微妙なので、できるだけ悪いようにとらないようにと思っていた。

でも、そういうことじゃないな、と思い始めた。やっぱり嫌だって言わなきゃいけない。

普段から、そういうのは嫌いだって言わなきゃいけない、と。うやむやにしないで「そう聞こえるんだけど、どうなの?」と聞いてもいいかな、と。

日本にいると、差別は見えづらいけど、確実にあるな、と思う。海外ならさらに思う。

アメリカに住んでいたとき、まだ18歳だった私は、田舎道をてくてく歩いていた。バス停からホームステイ先まで。1989年のことだ。

アメリカは経済的に落ち込んでいて(今思えば、ITへの変換点でもあったとは思うけど)国際情勢もベルリンの壁とか、いろいろあって、アメリカ人がナイーブになっていた頃だと思う。

日本バッシングは、なんとなく感じていた。でも、まぁ、どこに行っても言う人は言うし、差別されたからといって命をとられるわけでもない、と思っていた。

「ジャップ!ジャップ!ゴーバックトゥジャパン!」

あえて、カタカナ、笑。

ピカップ(勿論TOYOTA)に箱乗りしていた、ティーンエイジャーの白人の男の子たちが通りすがりに叫びだした。多分、5人くらいいた。

スピードをゆるめて近づいてきた時は、絶体絶命だと思った。変な音がした。多分、私に向かってツバをはいたんだと思う。見てはいない。

数秒、身を固くしていると、通り過ぎて行った。殺されるかと思った。

実は、その数ヶ月前に、私はバスを乗り過ごし、ティーンエイジャーの女の子たちにホームステイ先まで送ってもらったことがあるくらい安全な地域だった。

でも、何があったのかわからないが、その男の子たちは叫んだのだ。

「ジャップ!ジャップ!ゴーバックトゥジャパン!」

当時、私が聞き取れたのはそれくらい。もっといろんなことは言っていたと思うけど、英語力なさすぎてわからなかった、笑。

それから私は、当時のボーイフレンドに送り迎えしてもらうようになった。前から申し出ていてはくれたのだけど、遠いし、悪いからと断っていた。

甘えたりするのは苦手なので、恥ずかしかった。でも、さすがに恐怖には勝てなかった。もしくは、バスに乗る時はそばに住む留学生の友人といっしょ。

長くなったけど、今回、イタリアで似たようなことがあった。

レストランに向かおうと、ホテルから出て、数秒たったとき、(馬鹿な)ティーンエイジャーの女の子3人に「コロナ!」と路上で叫ばれ、指をさされ、マフラーで口をおおって逃げられた。私たちが先に進むと、口を押さえたまま、店に入っていった。

そして、最後に「コロナ!」とまた叫んだ。

いっしょにいた人は、ハートが強いのか、完全無視だった。

私は、レストランまで200メートルくらいだったが生きた心地がしなかった。ひとりじゃないから良かったけど。

他にも、いろいろあるけど、これが一番わかりやすい例だと思うので、書いた。他にも、いろいろあった、ほんとに。

こういうことに、怒りじゃなくて、恐怖を感じる。

人は集団になったとき、自分が多数派の意見を弁明していると思っているとき、自分が正しいから相手を罰しようとしたとき、相手を遠くに追いやりたいとき、極端になる。

怒りをあらわにするといえばいいのか。

そういう相手に怒って、その理不尽さをはねのけることができる人はいいと思う。「失礼な、お前は馬鹿か」と言えるなら。

でも、私は恐怖に硬直してしまう。目の前で起こっていることから逃げようとしても、心理的に逃げられない。

正直なところ、ただただ身がすくんでしまう。消えてなくなりたくなる。

仕事であるワークショップに出たのだけど、職場環境という項目で「安全な職場」という項目で、私は高得点をマークした。

私は無意識にそこに高得点が入るような設問の答え方だったようだ。

そんな人はほとんどいなく、まわりのみんなは「どうしたの!」と笑ったが、自分自身も不思議だった。

でも、今ならわかる。私は海外での経験だけじゃなくて、日本での同調圧力すら、集団的な暴力の匂いを敏感に感じているのだ。

それって、今は微細な感じだけど、いずれ大きくなると安全じゃない、と。

それは、島に住んでいたときも同じだったかもしれない。高校を卒業してアメリカに行くときに、なぜかホッとした。

それは、いろんな人の思いのバランサーとしての役割があったからのように思う。なにせ、小学校から中学校まで400人という大きなクラスターだったからだ。高校に入ったとしても200人以上だったと思う。

はっきりとした、いじめは暴れてよけることもできる。小学生男子なんて、いつもいじめっ子がいるし。

でも、高学年になった頃からの女子同士のどろりとした感じは、私は中立という立場をとって距離を置いていた。誰の味方とか、そういうの関係ない感じ。

意地悪は、そいつの問題なので、関係ないかな、と。まだ子どもだから、自分がやってることも覚えていないんだろうと思うし。

でも、俄然、誰かをのけものにしようという話が出てきたとき、胸の中でメラッとした。

のけものの方と、いっしょにいることにした。実際、私はのけものといるほうが気が楽だったんだと思う。

そうしているうちに、みんなのけもにしていることを忘れる。

その理由が「みんなとちがう」という、すごーーーーく幼稚な理由だからだと思う。みんなが慣れれば、それもなくなる。

私は意外としっかり覚えているので、いつかその人たちに聞いてみたい気もする。いや、聞かないな。今はもうみんな大人になってるから。

いじめという言葉を使うと、センセーショナルなニュースしか思い浮かばないけど、私はその「集団的な何か」や「私をコントロールしようとする意図」が見えたときにいじめの萌芽のようなものを感じていた。

だから、女子のパワーゲームにはのらないようにした。でも、のせられた時は、体がかたまったし、逃げ出した。

日本に来てからは、マウンティングや陰口の多さにびっくりしたので、沖縄の比ではないと思うけど。種類がちがうので、気づかないことも多いし。

今は大人なので、ある程度のことは言えるし、他人と線引もできる。

でも、今も友だちが冷酷に集団的な言葉を使ったと思ったとき、ビリビリする。そして、なぜ私がそう思うか、説明する。

でも、それは被害者意識とも捉えられることもあるし、言葉をいちいち揚げ足をとっているとも思われる。もしくは、その人の無意識の差別意識やコンプレックスに火をつけることもある。

それが誤解ならそれいいのだ。相手が別の言葉を探してくれることもあるし。とことん話し合った相手とは、もっと仲良くなる。

やりすぎると、人に嫌われることもあるだろうし、ある程度はいい人でいたいと思っている。

でも、これは話さなきゃ前に進めない。

その言葉を出した人がそのトピックについて話そうとしないのなら、それはもう私のなかでは話す価値のない人かもしれない。というか、私もその人にとって価値がないように思う。

もっとわかってくれる人、もっと同じ考えの人と話したほうが幸せだと思う。

当たり前だけど、自分も相手もパーフェクトではない。たいしたことないことにいろいろ突っ込むのは時間の無駄。

ただ、譲れる部分と譲れない部分がある。

今回、ずっと考えていて、その結論とまではいかないけど、よくわかった。人の話を聞かない人を相手にすることほど悲しいことはない。時間がかかっても話をしたほうがいい。

自分の都合ばかり押し付けてくる相手にきちんと話そう。

最近は、自分に説明をする能力が著しく欠けているのかもしれないと思い、議論はやめていた。そして、相手を傷つけるかもと思うことは言ったり書いたりしなかった。

でも、そうじゃないのかもしれない。

友だちは、間違ったら怒ってくれる。間違いを、だ。

私自身を怒ったり、なじったりしない、理由をきかなかったりもしない。当たり前のことだけど、忘れてた。

私はその間違いに気づいて、軌道修正もできる。

お互い、アホで馬鹿で間違いがあって当たり前だし、自分と違う決断をしたからとてがっかりもしない。それを応援する。

これが島の感覚で何度も書いているけれど「うわがどぅししゅう(あんたがわかるさー)」という島の言葉の意味だ。

話が飛びまくっているけど、本音を言わない付き合いは悲しい。でも実は、私こそが言わないことも多いのではないか、と思った。なぜなら、硬直して言うチャンスがない、ショックで思考停止するからだ。

そういうとき、昔は、みじめな気分になって消えてなくなりたいと思った。今は、速攻、逃げようと、身を固くして、逃げるチャンスをうかがう。

驚くくらい臆病者なんだな、と自覚した。でも、やってることは昔と変わらない。

アメリカでもミラノでも身を固くした。30年だってもそんなもんなんだな。

こうやっていろいろ考えた末に、アメリカでもミラノでも違う対応したかといえば、よくわからない。きっと、できるのは身を固くして、自分を守るのが精一杯だろうと思う。

でも、暴力以外のことは、逃げないでいよう。そう思った。勇気を持っていろんなことを表現しよう。

消えてなくなりたい、とまでは思っちゃいけない。相手の思うツボだ。

消えてなくなっちゃいけないんだ、誰もが。

そして、誰かをそんな気持ちにさせちゃいけないんだ、と自戒を込めて。

差別のこと、考え続けたい。そして、行動したい。



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