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春過秋闘、山月記

読書感想文です。
山月記を読みました。

冒頭の春過秋闘は、私なりの四季の表し方です。

春と秋はとてつもなく素敵な四季を過ごせるのですが、夏は愛おしいまでにすぐいなくなってしまい、冬は私の住むエリアにとって戦いになるからです。

全てが善い場所なのだけど、どこか都会にはない広大さと不便さ、少しの遠出で旅した気になれるこの街が大好きで、ちょっぴり人淋しい街です。

山月記に影響を受けたインスピレーションでした。

山月記は、トッポイ兄ちゃんの恥晒し回なわけなのだけど、順序がセルフィッシュそのもの。
良くないときの自分そのままなんです。

人として礼儀や環境において大事なことを優先すべきことなのに、自分の欲を最初に伝えてしまう気持ち。

たったの12ページと短いながら、人間の欲がギュッと詰まった名作です。

承認欲求が私はそれほどない方だったのですが、山月記を読んでさらに小さくなった気がします。

世間に認められる人なんて本当に数少ないです。
一握りの小さい世界でAさんよりBさん!そんな程度の知名度で舞い上がり勘違いしてしまうのはとても恥ずかしいことだな、と。

賛同するのは自由ですし知性そのものですが、他人から見たときの品性はどう映るでしょうか。おこがましいと思う気持ちは、人から教わらないと学習できないものでしたっけ。

あなたの周りの好きな人はそんなに有名ですか?
有名になろうと自分や周りを取り繕っている人でしょうか?

そんなわけがないです、私が好きな人たちは、自ら有名になりたいわけじゃなく、勝手に評価がついてきただけの人で人間として、あるべき姿だったりします。

だからこそ、惹かれるし、自分もそうなりたいと焦がれてしまうものです。

良くない自分わがままな自分、人を慮る気持ちがかけているときこそ、山月記をたびたびに読んで、自分の気持ちに寄り添っていきたいです。






これに投げ銭するなら地元の温浴施設でジュース買ってほしいレベル