天体的少年少女

「来年も一緒に月を見ようよ!葛葉とかも呼んでさ、おもちとかも用意しちゃって、なんか本格的になってきたな」本物の少年のようにはしゃいで話す君の横顔は月光に照らされていて、少し赤く染まっているのがよく見えた。
「いいね〜!」「うわ、いいな〜!!」
適当な相槌を打ちつつ、私はどこか覚めていた。もう、彼とこうして月を見るのはきっとこれが最後になる。約束が破られるのに大それた理由なんか要らないから。新作のゲームが出た、眠かった、そんな理由で私達はこれほど大切なことを忘れてしまう。
人生というものはそういうものだ。この短い人生で学んできたのだ。痛いほど。
「りりむちゃん、どうかしたの?」
「…え?あ、なんでもないよ!ちょっと眠くなってただけ」
そう、この寂しさは彼のせいではない。だから私の勝手な感傷で彼の無垢な喜びに水を差すわけには行かない。その喜びは朝ツリーの下に置かれていたクリスマスプレゼントのように、期限付きなのだから
「そ、そっか。もうだいぶ遅くなっちゃったし、帰ろっか。付き合ってくれてありがとう、送っていくよ」
「ありがと〜。りりむ、お姫様だから守ってね!」
「任せろ」
彼はキメ顔でそう言った。随分頼りない騎士さんだ。
私達はしばらく無言で歩いた。2人で一緒に遊んだ後、私達はよくこういう沈黙の時間を持つ。
今日見たこと感じたことを慎重に拾い上げ、見つめて愛せるようになるまで不器用な私達は幾分か時間を必要としたのだ。
静寂を破った声は白い息吹と共に発せられた。
「ねぇ、りりむちゃん」
「なに?コウ君」
「月、綺麗だったね」
「うん、そうだね、忘れられないね」
彼は私がこの言葉回しを知らないと思ってるのだろう。あるいは半信半疑だったのかもしれない。いずれにせよ、傷つくのが怖いから彼は言葉を濁らせる。彼のずるいところだ。そして知らないふりをする私はもっとずるい。だって変わるのが怖いから、仕方ないじゃない?
「よくさ、今見えてる星は死んでいるかもしれないっていうよね。遠いからわからないだけで」
「あーそなんだー」
「月は今のところは死んでないっぽいけど」
「月が死んじゃったら大変だね 夜が真っ暗になっちゃう」
「うーん、どうかな。新月と満月の暗さの違いを意識したことないけど、大変なのかな」
「だめだよ!新月と月がないのじゃせんさまんべつ!」
「せんさばんべつね。」
「月が死んだって誰も困らないなら悲しまないなら、なんで月が生まれたのかわかんなくなっちゃうよ・・・」
時間という物がもたらす結果は往々にして残酷だ。
どれだけ信じた物でさえ、時計の針と共に進み変わっていく。1は2になり、5は6になり、12は1になる。そして人間という生き物は12が1に戻る瞬間に立ち会うには命が短すぎる。隣にいる狡猾な少年だってきっとそうだ。彼の不器用な所は矯正され、上手く周りに馴染めるようになるだろう。彼の気持ち悪い所は覆い隠され、画面に向かって唾を飛ばす事なんて卒業できるはずだ。そして、同じように彼の優しい所は忘れられてしまい、誇り高き弱さは失われてしまうのだ。
それが正しさというものだ。とても真っ直ぐで整えられた正しさだ。気がまいる。
「意味なんてなくてもいいじゃん」
彼は地面を見ながら独り言のように呟いた。
「コウ君…?」
「誰にもみられてなくても、こいつは確かに光ってたんだから」
彼は今度はしっかりと夜空を見上げ、噛み締めるように語る。その瞳に光が反射していた。
「ちょっと臭すぎかな」
彼はそう言いながら苦笑する。
「ううん!臭くない!すごくいい匂い!めっちゃいい!あーーコウ君いい匂いだなーーー」
「はは、ごめん、ちょっとテンションおかしいかも。早く帰ろう」
「うん、そうだね」
言葉とは裏腹にこの帰り道が永遠に続けばいいのになんて私は思っていた。
学校になんて行ったことはないけれど、この感覚は私なりの放課後のイメージと似ている。脈絡のない話をしながら帰る2人。夕方の光に照らされて少し奥深い話までしてしまって、照れ臭くなってふざけてしまう。それの繰り返し。気がついたら2人は曲がり道に立っていて、惜しみながらも「また明日」と話して笑顔で手を振る。その言葉は一種の祈りのような物なのだろう。でも「また明日」でさえ不安なのに、「また来年」なんて誰が信じられるのだろうか。


彼が長針ならば私は短針だ。
私が少し進む間に彼は何周もしている。
彼の隣に立つには私の命は緩やかすぎて、いつも置いて行かれてしまう。ほら、今もこうやって。私は彼の背中を見ることしか出来ない。

「置いていかないでっ!」
考えるより先に言葉が出ていた。
彼は驚いた様子でこちらを振り向く。
「ごめん、もうちょっとで家だから最後にかけっこでもしよっかって言ったんだけど…もしかして聞こえてなかった?」
しまった、自分の失態に気がつく。
妄想の世界に浸り過ぎてしまうことはよくあることだった。だから気をつけていたのに。
でも砂時計のように、私の身体は見えない力に押されてもう止まれなかった。
私は彼に駆け寄って胸に顔を疼くめる。
子供のように駄々をこねる。
「置いていかれるかと思った、、怖かった、、」
「置いていくわけないじゃん。ほら、もうすぐお家だから今日はもう早く入って寝たほうがいいよ」
「やだ、帰りたくない、、コウ君と離れたくない」
その言葉を口に出すと明確に意識された。
私はコウ君と離れたくないのだ。
「どうしたの…また明日会えるからさ」
「嫌だ…明日じゃ嫌なの…。コウ君はわかってないよ!」
だめだ、これ以上喋ったら取り返しがつかないことになる。だめだ、だめだ、隠さなきゃいけないのに。せめて彼の前だけでは可愛い女の子でいたいのに。
どこかから醜い生き物の声がする「今しかない」「最後のチャンスだ」「コウ君ならわかってくれる」私はその声に抵抗すらできない。私はどこまでも醜い生き物なのだから。
「だって、わかんないじゃん!明日なんてくるかわかんないし!ずっとずーっと暗い暗い夜のままかもしれないし!コウ君だって目を離したらどこか行っちゃいそうだし、りりむだってどっか行っちゃうかもしれないんだよ!心配じゃないの!コウ君は!」
言ってしまった。
あぁ、こんな事で困らせるつもりなんてなかったのになぁ。本当に月が綺麗だったのに、私はいつも台無しにしてしまう。そうわかっていても、溢れ出る感情の止め方を私はまだ知らなかったし知りたくなかったのだ、
「・・・りりむちゃん」
彼は言うべき言葉を迷っていた。優しい彼は大人が子供を諌める時のように適当な慰めをするのを嫌った。真剣に向き合おうとしてくれていた。これは本当に今なのかもしれない。私はここを逃したら、きっと一生後悔する。
出来る限りの猫撫で声を出した。
「ねえコウ君、りりむと一緒に逃げない?」
「え?」
「家族も学校も未来も全部捨てて、りりむと行こ?何も悩まなくていいし子供のままでいいんだよ。」
目がピンク色に染まっていくのを感じる。
彼の好きそうな言葉を思いつく限り並べた。それは半分本音でもあった。
「勿論2人だけで暮らすのは大変だろうけどコウ君となら乗り越えられる気がするの。暮らすのは夏になったらザリガニとか釣りに行けるような場所がいいな。あと縁側でスイカ食べながらラムネ飲みたい!あ、勿論ギャルゲーもできるとこだよ。2人でおじいちやおばあちゃんになってもぶひぶひしようよ。なんなら畑で野菜とかも育てちゃったりしてさ、あ、コウ君苦手な野菜あったっけ?大丈夫りりむがちゃんと食べてあげる。りりむちゃんと支えるからね。りりむちゃんとできるから、りりむ」
「りりむちゃん!!!!」
突然両肩を掴まれ目を強制的に合わせられた。目を合わせるのは苦手なのに、なんだかそらせなかった。彼の目は飴玉みたいで綺麗だ。その中に少しだけピンクが見えて、浮かんで消えた気がした。私の瞳は赤く淀んでいた。
「だめだよりりむちゃん、そんなこと言っちゃ、言っちゃダメなんだよ…」
彼は震えていた。疼くまり、生まれたての子鹿のように体を震わせていた。とても傷ついていたのだ。
醜い声はもう聞こえていなかった。
代わりにあるのは私は本当に最低な女であるという事実と、深く傷ついた綺麗な少年だけだった。
コウ君も辛いに決まってるのに。子供でいたいのに、大人になんてなりたくないのに、時間は無情にも進んでいく。そんな世界で1人戦って葛藤して、ぐちゃぐちゃになっていたのだ。私だけはそれをわかってあげて、守ってあげるべきだった。けれど、私は自分のためだけに表面上の言葉で取り繕って、そんな蛹みたいな彼の中身を傷つけてしまった。
月が暗雲に飲み込まれ、光がその存在を失う。
私は背を向けて走り出した。もう、何も考えたく無かった。食べ物は美味しかったし、パパに怒られるかもしれないけど早めに魔界に帰ろう。そうしよう。そしたらもう誰も傷つかない。
彼の呼ぶ声が聞こえるが、少し滲んだそれに応える資格も勇気も私には無かった。
思えば私は昔から何をやってもダメだったのだ。1人で人間界にくるなんて最初から無理があった。
人間界に来た最初の日、道に迷って路地裏で泣いていたんだっけ。みんなに変な目で見られちゃってたな。本当に怖かった。あそこでコウ君に拾われてなかったらどうなってたことか。
コウ君の学校に勝手について行った時は盛大に怒られたな。それでもおどおどしててカッコ悪いコウ君は新鮮で面白かった。葛葉にもあそこで会ったんだっけ。住む場所もらえたのはコウ君と引き離されたしありがた迷惑だった。
夏休みなんて人間の生活してなかったよ。しぬほーーどゲームやった。
モンハンでしょ、スプラでしょ、色んなバカゲーもやったし、やっぱり忘れられないのはギャルゲー!コウ君の家にはたくさんあって新しい世界を見れたんだ。
本当にどれも鮮明に残る大切な思い出たちで、どれもダメダメな私だった。何やっても上手くいかなかったし。迷惑かけてばっかの私、我儘な私、下品な私。
でも、コウ君はそんな私を大切にしてくれた。だから私も私を好きでいられた。
それも今日で終わりだけれど。
私は羽を出す。飛ぶのは久しぶりだけど上手くいくかな。まぁ落ちたら落ちたで、相応しい結末なのかもしれない。深呼吸をして背筋に近しい部分に力を入れる。動いた。なんとか飛べそうだ。私は無重力の宇宙を想像して、地面を蹴る。
その刹那、体重が2倍になった感覚がした。
振り向くと揺らぐ金の髪の毛が見えた。
彼がしがみついたようだ。
驚いた私は思わず力んでしまって天高く飛び立つ。
「う、うわーー!!!」
「なにしてんのコウ君!危ないから降りて!」
「降りれねーよ!死ぬから!!普通に死ぬから!」
なんとか体勢を安定させる。
しかし困ったことに着地点に人がいないと言う保証がないと迂闊に降りられない。どこか真夜中の山奥に中学生の人間を置いていくわけにもいかないし、困り果てた私はしばらく彼を抱えてゆらゆら飛んでいた。
2人の間に沈黙が訪れた。
先ほどの沈黙とは違う種のものだったが、言葉を選んでいたという点では同じだった。
その静寂を切り裂いた声は、やはり白い息吹と共にやってきた。
「なんでついてきたの」
「りりむちゃんが羽生やしたのが見えたから、思わずと言いますか」
「帰るだけなんだけど」
「嘘でしょ、りりむちゃんが羽を生やすの一回も見たことないもん」
「…えっち」
「え?」
女の子の羽が生える瞬間を覗き見するなんて変態の所業だ。
「だけど、ごめんね、コウ君」
「私、酷いこと言っちゃった」
「あーーうん」
「うん、ごめんね。だからーーー」
魔界に帰るよとは言えなかった。優しい彼はきっと止めようとする。もう、彼を巻き込むのはやめにしよう。
「だから、なに?」
「ううん、なんでもないの。あっ、そろそろ降りられそうかな」
彼の家の周辺で降りられそうなところを探していると、ちょうどいい空き地を発見できた。慎重に高度を下す。
「はい、そろそろ降りてね」
「りりむちゃん」
彼が少しにやつきながら話しかけてきた。
「なに?」
なんだか悪い予感がする。
「くらえっ!ムーンライトアタック!」
ただのこちょこちょだ。しかしそれは私の弱いところをピンポイントで狙ってきて、とても耐えられなかった。
「ちょ、やめて!おちちゃう!!おちちゃうから!」
「やめてほしければ高度をあげるんだな!早く!」
私は要求に従って高度をあげた。
「よし、よくやった。解放してやろう」
「どういうこと!?」
私は肩で息をしながら問い詰める。
「いや、だって、会えない気がして」
「え?」
「りりむちゃん、どっか行っちゃいそうで怖かったから」
「なにそれ!適当すぎでそ!」
「いや、りりむちゃんも同じこと言ってたじゃん」
「いや、それは!」
「同じだよりりむちゃん、俺も同じ。」
適当に飛んでいたらいつの間にか知らない街まで来たようだ。明かりが消えきった街は寂れていて、まるでこの世界に2人だけのようだった。
「俺もね、怖いよ。不安だよ。大人になるのが。何より、大人になった時りりむちゃんは隣にいないんだってどこかでわかってたから」
声は広大な空に吸い込まれ消えていく。
大人という言葉の残響だけが私の頭の中で響き渡って、胸に痛みを感じる。
「でもねりりむちゃん。こんな思いをするならいっそ最初から…なんて思ったことないんだよ。だってりりむちゃんのおかげだから。だめな自分をちょっとでも好きになれたのは、リリムちゃんのおかげなんだ」
「リリムちゃんが俺で笑ってくれて、一緒に考えて泣いたり怒ったりしてくれてさ、なんていうかその、あれだ、救われたんだよ。
こんな人がいるなんて思ってなかった。自分や世界の弱さについて、少なくとも俺はりりむちゃんと共有して分かち合えたと思う。それはきっと奇跡みたいなことなんだよ。共依存なんてものじゃなくて、俺は本当にお互いへの優しさが無きゃ成立しないんじゃないかと思ってるんだ。だってそうだろ?真夜中に月の下を飛んでいる中学生と小学生なんてこの世のどこを探してもいないぜ。俺ら漫画みたいでしょ!」
彼は興奮して何かを語る時頬を赤く染める、私はそれを見るたびにどこかで少年少女に夢を運ぶサンタクロースの帽子を思い浮かべる。彼も同じ月明かりに照らされているのだろうか?
「りりむちゃん、だからさ、そのままでいいんだよ。変に強がんなくて良い、諦めなくて良い、ぶーぶー文句言いながらその癖理想だけ高くて妄想に耽ってるガキ供なんだよ俺らは。2人ならそれが出来ると思うんだ」
「でもコウ君、それは、きっともうすぐ終わっちゃう。ほら、今だって」
空は白み始めていて所々街にも明かりが灯ってきた。夜明けが近づいてきたのだ。
「どれだけコウ君とリリムが一緒にいても、楽しくても、コウ君が死んだらりりむは1人で生きていかなきゃいけないんだよ?いや、その前にコウ君が変わっちゃうかもしれない。リリムなんか目に入らなくなっちゃうかもしれない」
「変わらないよ」
「変わる」
「変わらない」
「変わるもん!」
押し問答を続けていると、鳥たちの囀りが聞こえてきた。多分こっちよりは中身のある会話をしているだろう。
「変わらない、約束する、ずっと子供のままでいるって」
「嘘だ、コウ君は人間だもん。そんなの無理だよ」
「もちろん体は大人になるよ。心だって大部分がそうなるかもしれない」
「ほら!」
「でもねりりむちゃん、りりむちゃんにとっての“コウ君”はいなくならないよ。今の俺がどれだけ変わっても、13歳の俺は、心の中にいるそれは絶対に変わらない。約束する」
「…ホント?」
「おおまじだよ。60歳になっても、100歳になってもギャルゲーやってやるよ」
「それはいらないかも、、、」
「でも、そっか、うん、、そこまでいうならちょっと信じてあげなくもなくもないかな、13歳じゃなくなるコウ君のことも」
既に太陽が空に我が物顔で居座っていて、人々が早足で駅に向かっているのが見えた。
コウ君は話した。
くたびれたスーツを着たサラリーマンのこと。その人はきっと黒髪で、ちゃんと3次元の人間の女性を愛して、人の目を見て話せる人だ。でもきっとそう、ポケットから時々子供が出てくる。「おい!なに大人やってるんだ!」って。その子供はサラリーマンを漫画やゲームだらけの部屋に閉じ込めてこういうんだ。「子供に戻るまで出れません!」って。
リリムちゃんは審査員でもやっておけばいい。カメラ越しでそいつを観察するんだ。そして時々ヒントをやって欲しい。そいつの好きだったもの、嫌いだったもの、思い出。忘れてるかもしれないから。
私は言った。難しくて出来るかわからないと。
すると彼は下を指差した。その先には前髪が退行済みの中年男性がいた。
「じゃー練習だ。あの人の好きなもの予想してみてよ!」
「わかるわけないでそ!」
「いーや俺にはわかるね。マサトシはゆゆ式が好きで、嫌いなのはTwitterだ」
「なにそれ、マサトシってだれ!」
「マサトシはマサトシだよ。」
「あーならりりむにもわかります。もーわかったもんねー。あーマサトシの嫌いなのはあーパンツ!パンツ!食べること」
「それはちょっとレギュレーション違反じゃない?…」

私は既にこの会話にも空中遊覧にも着地点を探すことを諦めていた。
体力が尽けば2人して落下死なのだがまぁなんとかなるだろう。
今はこの無為な時間が1秒でも長く続けばいいと、ただ願っていた。
「さようなら、また明日」は取っておこう。
あわよくば、月が死ぬその時まで。

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