エッセイ 私の小説の書き方58 思い切ってプロの方に、私の小説の講評をお願いした結果。
最近、人の作品を読んで、ああ、こうすればいいんだけどな、という残念な部分がとてもよく分かるようになってきました。しかし、自分の小説は、いいんだかなんなんだか、さっぱり見当がつきません。似たような作品を、量産ばっかりしているような気がして不安に陥り、思い余って、私が以前からnoteで作品を読ませていただいていた、作家の川光俊哉さんに新作の講評をお願いしました。
プロの方にお願いするなんて、身の程知らずのような気もしたし、今、私は精神的にヘロヘロなこともあって悩んだのですが、結果として、とてもよかったと思います。どっち道、私はいつも精神的に安定してないし、「なにを待ってるの?」と自分に言い聞かせたのです。ずっと不安に思っていたことも相談できて、料金もリーズナブルにしていただき、ありがたかったです。
まだ一通り講評を読んだところなのですが、一番思い当たることは、私が一人称の主人公になり切ってないな、ということです。誠という名の主人公が使いそうにない言葉、言いそうにない科白が書かれている、というご指摘が何度もありました。使う言葉を限定するより、もっと登場人物の設定に膨らみを持たせて、言いそうな言葉を増やしてあげたらどうかと思いました。こういうことは、自分では気付きにくい部分だと思います。
自分では目に浮かんでいる登場人物の動作が、読者には伝わっていない。そういうことを読者の立場に立って、もっと気を付けないといけないと反省しております。
微妙な言葉の選択に気を使ってないな、と反省しました。迷った挙句に、適当に書いた言葉を、そぐわないと指摘されて、バレている、と恥ずかしくなりました。
また、特に結末に疑問を投げかけられたのですが、それはこの作品を修正するより、次の作品に生かしたいと思います。
講評について、こちらから質問していいとおっしゃっていただいたので、他のご指摘についてもじっくり考えてみようと思います。
いやいや、まだまだ修行が足りない。
最後になりましたが、私が川光俊哉さんを選んだ理由を述べますと、
夏目漱石も学んだ二松學舎大学で、脚本の創作を教えていらっしゃるということ。
私は常に若い読者を設定して作品を書いているので、若い方にお願いしたかったということ。
私が川光さんの作品が好きだということ。
私も彼のようにいつの日か小説が、太宰治賞の最終候補作に選ばれたらいいな、という願望。
カナダに住んでいる私のために、便宜を図ってくださったこと。
等です。
あ、あとそれから、彼はメタルバンドのボーカルや俳優さんもやってらっしゃるそうで、そういうユニークな面もとても気に入っていました。
今、私の窓から虹の欠片が見えています。今度の作品でも重要なモチーフだった「虹」。いい予感。これからは、もうちょい楽しい小説も書いていきたいです。
この講評については、またご報告します。
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