
エッセイ 私の小説の書き方53 ウマウマ、ウマヘタ、ヘタウマ、ヘタヘタな文章。
☆写真はカルガリーの古い銀行。
昔、行ってた学校で、イラストレーターのペーター佐藤の講義があった。彼が言うには、世の中には、ウマウマとウマヘタとヘタウマとヘタヘタの絵があると。だから文章にもきっとそれ等のような物が存在する。
私の文章には整合性と語彙が不足しているから、ウマウマは無理。
ウマヘタも基本的にウマウマが書けないと無理。
じゃあ、ヘタウマは? これはよく分からない。しかし、ウマウマが書けないとヘタウマも書けないような気がして仕方がない。
最後のヘタヘタは?
最近たくさん書いたり読んだりしているうちに、ヘタな文章が分かってきた。素人っぽい文章でも内容のある小説もある。あんまりないけど。文章はなるべくウマいに越したことがないと諦めて、上達に励むことだ。文章を揺らそう、などというヘタウマテクニックは、ウマウマの人にしか使えない。プロットが稚拙過ぎて文章がヘタに見えることもある。
出版されてる小説にも、ヘタウマではなく、ヘタヘタな文章はある。この間、ミステリーなのに、三分の一くらいバッサリ切って読んだ本があった。その部分の筋に興味が持てなかった。その一方、密度が濃くて一行も読み飛ばせない本もあった。前者は言わないけど、後者は米澤穂信という作家。有難い友達が日本から送ってくれた。こういうのがきっと上手い文章。一行も読み飛ばせない。テクニックがあるのだと思う。
だからといって私は、内容に傾倒しているわけでもないし、彼の様なウマウマな文章を書きたいとは思わない。書けるとも思えないけど。言いたいことがあって、それが読者に通じればいいわけだから。でも「個性」ということは考えない、それは昔、大好きな作家の山田太一が、「どんなに消してしまおうと努力してもなくならないのが、個性だ。」と言っていたから。私は今でもそれを信じている。
ウマい文章には一言一言に気合いがある。一文一文に気迫がある。どうしてもその言葉じゃなければいけなかった、という確信がある。最後まで読んだ時に拍手したくなる本がある。私は今のところ、そういう文章を目指そうと思っている。
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