掌編小説『香水と男』

 モデルは私と一人の男だった。ラテンの血が濃そうな浅黒い顔。胸板は厚い。シャツのボタンを二つ外した所からは、男臭い胸毛が見えている。そこから強いじゃ香の匂いがしている。彼は自分の名前はアラン。ブラジリアンだと自己紹介した。完璧に近い整った顔。日本語は片言だ。
 高輪の古い高層マンション。剥げかけた壁紙。強風に窓がガタガタ鳴る。アンティークな金属枠のベッドに、本格的なライティングがしてある。スタッフはカメラマンとヘアスタイリスト。それからアート・ディレクターだと名乗る気取った男が、私と彼に早口で撮影の説明をする。
「ファッションブランドの広告。秋物。動画。5分」
ハンス・ベルメールの球体人形とエゴン・シーレの少女の絵がイメージだという。私はどちらの名前も聞いたことはあったが、はっきりしたイメージが浮かばない。ディレクターは大きなノートパソコンで、二人のアーティストの作品を我々に見せた。
 アランはスクリーンをのぞき込んで苦笑している。ジャパニーズのロリータコンプレックスがどうのと言っている。日本のアニメのこともなにか言っている。片言だからよく理解できない。日本の男のロリコンぶりは海外でも有名だ。きっとそういうことを言っている。
 私の身体にはどこにも球体なんてない。ファッションとアートはいつでもお互いにアイディアを盗み合う。私はシーレの描いた少女達を見る。思っていたより痩せこけてはいない。でも、彼の拒食症気味の自画像には身体中に骨が突き出ている。私が選ばれた理由がそれで分かった。

 先週、私はモデルエージェンシーの社長に呼ばれた。
「優香里、デザイナーの鷹崎雄一郎知ってるだろ? アイツのビデオクリップだそうだ」
「男物でしょう? なんで私?」
「それは知らない。下半身の痩せたモデルがいるそうだ。ちょっと見せて」
下半身を見せろと言っているのか? 私はジーンズを穿いている。それを脱げと言うのか? 社長は椅子を立って私の側に来る。香水がまた変わっている。この男は寝るたびに違う匂いがする。いつものより爽やかな、フルーツの香りがする。
 私は声を上げて笑う。
「なんだ?」
「アンタに似合わない、そのフレグランス」
「そうか? 売り場で勧められたんだけどな」
ヤツは私のベルトを外して、一気にジーンズを下ろす。
「……いいな。丁度いい。こういう尖った腰骨と痩せた腿が欲しいそうだ」
 社長はついでに私の腰に手を回してケツを撫でる。私はその手をどけて、ジーンズを穿く。
「優香里、今夜、付き合え」
「イヤです。その匂いとはやれない」
「どんなのがいい?」
「もっと悪ぶった……。スパイシーなのとか」
「家に来れば色々あるから、お前が好きなのを俺に振りかけろ」

 簡単な食事をして、少し飲んで、私達は社長のマンションへ行った。バスルームのキャビネットを開けて、私は感嘆の声を上げる。50種類以上はあるだろうか? 大小のフレグランスのボトルが並んでいる。道楽にもほどがある。この中からどうやって選べばいいんだろう?
「スパイシーなのがいいんだったら、これなんかどうだ?」
ヤツはいくつか私に匂いを嗅がせる。私はシャネルの香水、『エゴイスト』を選ぶ。コイツにはピッタリだ。
 ベッドの中で、私はこの香水とセックスをする。男は、どうでもいい。いくつもの重いスパイスの香りが、私のやりたい気持ちに火を点ける。それがフローラルな香りと絡み合う。そしてそれが時間と共に変化していく……。

 ディレクターがカメラの位置を点検している。ドアが開いて、デザイナーの鷹崎雄一郎が入って来る。地味な色合いのアロハにボルサリーノ。よくファッション雑誌で見る顔だ。私を無視して、側を通り過ぎた時、真っ白に晒されたリネンの匂いがした。
 彼はアランに服を着せる。素肌の上に、ほとんど黒に近い濃紺のスーツ。靴下を穿かない足に磨かれた靴。私は白いレオタードに厚手の硬いコットンのスカートを穿かされる。そのスカートはオフホワイトで、たっぷりのギャザーで膨らんでいる。私の膝下くらいの長さだ。
 気が付くと、もうカメラは回っている。強風に、マンション全体が揺れているような感じがして怖い。ライトが熱い。室温がどんどん上がっている。デザイナーの指示で、アランがベッドの上の私を後ろから抱く。また彼のじゃ香の匂いがする。彼は人形にするように、私に腿の中ほどまであるハイソックスを穿かせる。くすぐったくて、しばらく笑いが止まらない。扇風機の風で舞うスカートの中は丸見えだ。

 社長室に呼ばれて、できたビデオを観た。主人公はアランだ。シャツを着ない身体にジャケットを羽織る。顔が何度かアップになる。高層ビルに当たる風の音。クラシックなフィルムの回る音が合成されている。各所に古いモンタージュの手法が使われている。
 私のスカートの中にガーベラみたいな花の映像が重なる。私の花芯に花の花芯が重なる。大きなミツバチがスカートの中に入って行って、私の一番奥に止まる。カメラがアランの全体像を映す。エゴン・シーレが生きた19世紀と20世紀初頭のシルエット。死人のようにベッドに寝かされている私。アランが私のスカートを捲り上げる。ハイソックスからはみ出た私の拒食症気味の腿と腰骨が映る。そこに軋むタイプライターで打ったようにブランド名が重なる。

 「社長、これだけですか? 私の顔、全然映ってない!」
顔どころか、映像に使われているのは私の下半身だけだ。あとは全部カットされているか、花やミツバチのモンタージュで隠されている。手や腕さえ入ってない。ヘアもメイクもあんなに上手くいったのに。屈辱を感じる。しかし、メッセージがシャープで、映像的に成功しているのは確かだ。雄一郎ブランドは世界で人気がある。これでは日本の男がみんなロリコンの変態だと思われてしまう。でもそれは私の知ったことではない。
「スチール写真にはちゃんと君の姿が入ってるよ」
社長がパソコンのスクリーンで見せてくれる。本当だ。フィルム撮りのあと、色んな写真を撮られたんだった。頭に付けられた大きなリボン。大袈裟な黒いアイラインで囲まれた私の人形の目。アランが私を後ろから抱いてハイソックスを穿かせているシーン。あの時の香りが蘇る。じゃ香の匂い。今夜はあれとセックスしたい。

 社長の家に行って、キャビネットの中を探る。アランに近い香りを探し当てた。聞いたことのないイタリア製のブランド。シャワーを浴びたばかりの社長の胸の上に振りかける。時間が経つにつれて、森の香りが絡まっていく。男の匂いだ。
 私は社長の上に乗って腰を動かす。次第に海の香りが立ち昇る。なんて複雑なの? 私はじゃ香臭さが欲しいだけなのに。彼の汗ばんだ胸にまた香水を振りかける。その胸に頬をよせる。彼の体臭が香水に溶ける。
 この遊びに終わりはない。


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小説書き。生きづらかった日本を脱出して単身カナダへ。恵まれた自然の中でプロを目指して執筆中! 書いた作品は80作以上。短編はマガジンにまとめました。長編はこちらから⇒ https://ehappy888175296.wordpress.com/

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コメント8件

クマキ様、読んでくださってありがとうございます。励みになります。私の妄想爆発でしたね。(笑)
かっこいいです!
今夜はあれとセックスしたい…洋服を選ぶようにいうのがまたいい
千本松さん、こんにちは。
香水は、本人の特徴を強調するものか、それともマスクするものなのか。
アランの香りに似た香水から得られるものは、アランなのかそれとも違うのか。
自分が感じるものは、対象それ自身が発するものなのか、それとも単に自分が感じたいと思うものなのか。
色々と考えながら、興味深く拝読しました。ありがとうございました。
くにんさん、お読みくださってありがとうございます! 主人公は自分の楽しみのことしか考えてないです。だから男のことはあまり眼中にないのです。
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