エッセイ 私の小説の書き方60 講評を受けるタイミングと、プロを探す方法。
私は過去2年半ほどで、なんとアホみたいに約70編の小説を書き散らかした。最初の頃はバカみたいに2週間に一度長編を書いていた。
今はそういうマネはできません。その頃はプロットも創ってませんし、今とは全く書き方も違っていたと思います。
一番違うのは、今は以前のように一気に書けないところ。ちゃんとプロットという設計図がないと、書いているストーリーすら忘れてしまいます。不思議です。
もっと前にプロの方から講評を受けてたらどうだったかな? と考えました。
小説の基本、例えば、カッコ、句読点や、会話の書き方なども、まだよく分かっていませんでした。その頃講評をお願いしていたら、そこからチェックされたことでしょう。
もっと深い話にはならなかったような気がする。
そういう基本は自分で勉強できます。プロットやキャラクターの創り方なども、ネットでも調べられるし、本も出ています。
しかし、あの時点で講評をもらっていれば、時間の無駄をしなくて済んだような気はします。知らないまま70編も書いたというのは怖い事実。
愛着のある作品も多く、かなり手を入れて文学賞に出したりしていましたが、今はそんなことをしているより、新しく書き直した方がずっといいと思うようになりました。
随分進歩したと思います。
今回、初めて講評をしていただきました。
今までは、なにを聞いていいのかも分からなかったです。ある程度書いたからこそできる質問でした。
ネットで調べてみると、小説の書き方講座って意外と少ない。通信となるともっと少ないです。大学の講座、専門学校もありますね。「日本語の魅力」、「読書の仕方」なんかから学べるところもあります。でもそこまで理論から入る必要はあるのか? 授業料は、私には払える範囲ではありません。個人経営の創作講座でも料金は高いです。
私は手っ取り早く、今書きあげた小説を講評して、書くことについていくつか質問したかっただけです。私はカナダに住んでいて、仕事もしていません。ですから、ネットで講義を受けて、その後で講評、なんていうコースは無理でした。
目的もありますよね。カルチャーセンター的なところもありますが、マジでプロの作家を育てようとしているところは少ない気がします。
私の経験でいくと、「読んであげます」と言ってくれた人はいました。ネットで知り合った方々で、講評するのが好き、またはこれから講評を仕事にしたい、というありがたい方々でした。しかし、結局皆さん忙しいですから、不幸なことに、一度も読んでいただけませんでした。それで今回、プロの方にお願いしたわけです。
文学賞に応募して、講評をいただいたこともありました。でもこちらからは質問できなかったんですよね。感想も抽象的で大雑把ですし、なぜかあらすじだけを延々と書いてくれたり、参考にはなりませんでした。
先日、たまたま昔の作家の手記を読んだのですが、なんと、太宰治の家に突然お邪魔して、自分の作品の感想を聞いたそうです。凄い話ですよね。
昔からそういうことは行われていたわけです。太宰の紹介で、何度か作品が本に掲載されて稿料ももらったらしいです。
考えてみたら、「誰に講評してもらうか?」というのは大事ですよね。誰に見てもらっても指摘される部分は似通っているかもしれませんが、もっと深い部分になると、言うことは当然違ってくるはずです。どんな作家を目指しているかで、お願いする人も変わるでしょう。
今回、私は運がよかったです。川光俊哉さんの作品はいつもnoteで読んでいて、どんな作品を書く方なのか分かっていたし、プロフィールも納得できるものでしたし、他の方への講評もnoteで読んで知っていました。
手厳しいことも言ってくれる方だと思いました。それも望んでいたことです。
こちらから、作品のページ数と、どんな点にアドバイスをもらいたいか、ということを伝えて、見積もりを取っていただきました。
川光さんも、通信では本格的に講評をスタートされたところらしく、お互い、いいタイミングで出会えたことと思います。
私もこれからまた書いていって、また将来アドバイスが欲しくなることもあるでしょう。ネットもどんどん進化しているし、通信講座の形も変わっていくでしょう。
小説を書くのって、誰でもできることみたいですよね。わざわざ人の意見を聞かなくてもいいように思えます。
でもね、延々と一人で書いていても限界って訪れるものなんですよ。自分で自分の作品の欠点は、やっぱり分からないものなのでは? 時間は無駄にしない方がいいと思います。
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!