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連載小説『絵の描いてあるTシャツ6/7』

     六

 私の自信の無さはそれだけではなく、思いがけず長引いた。朝、会社へ行けない日があったり、眠れない夜が続いたりした。私の家系はうつ病が多い。父方の祖父は自殺しているし、父にも長いうつの時期があったと聞いた。私の母方の叔母にもうつ病の経験のある人がいるらしい。祖父は私の生まれる前に亡くなったし、叔母は地方に住んでいて、会ったことがない。
 父も母も私のことを過剰に心配してくれた。会社には休職届を出した。私は自分の住んでいるマンションから、実家へ移った。私は母の家事の手伝いなどしてあげたいと思ったが、身体がだるくて、廃人のように布団の上に座ったきりだった。私には兄がいるが、結婚して家を出ていた。

 それでも私は仕事をしようと思って、デザインを描いたりしたが、今はなにをしても自信が無いから、全く形になっていかない。潤一がよく連絡をくれて、君のブランドは大丈夫だから、よく休むように言ってくれる。

 私は初めて父から祖父のことを聞いた。彼は今で言うグラフィックデザイナーだった。デパートのポスターや、本の装丁、有名菓子店のパッケージ等が有名だったそうだ。奇しくも同じ職業だということで、私は自分の暗い未来を教えられたような気がした。
 私の父母は二人共公務員で、母は高校の美術の先生をしている。私の父や、叔母、つまり母の妹を長年見てきて、彼女はこの病気をよく知っていた。だから、私を病院に入れるタイミングが分かっていた。

 入院した時、私は死、ということしか考えられなかった。一日中集中して、死について考えた。母は、入院している間は安心だから、と言いながらも、その晩は私と一緒の部屋に寝てくれた。そこは個室で、ナースステーションに近い部屋だった。
 本格的な薬物療法が始まった。しかし、容態はすぐには変化しなかった。毎日死ぬことを考えて、食欲もなかった。誰にも会いたくなかったから、医者に面会謝絶にしてもらった。父と母にしか会わなかった。
 一週間程すると、自分でももう助からないと思って周りの事物に、「さようなら」を言い始めた。外の木や、空気や、鳥や、風に。

 そしてまた一週間が過ぎると、後悔、ということを考えるようになった。生涯で起こったこと全てに後悔した。母は、そういう私の言うことを反論せずに、黙って微笑んで聞いてくれた。
 とにかく頭の中が静かだった。医者が冗談を言って、静かでいいじゃないか、と言ったが、それは耐えられない寂しい静けさ、だった。
 シャワーを浴びるのだけは熱心で、憑かれたように毎朝、身体を洗って、長い髪を洗って乾かした。他のことはなにもする気がしないのに、それは異常だった。あまり口も利けないのに、お湯が出ないといって、ナースステーションに文句を言ったりした。

 シャワーを浴びている時、シャワーカーテンを上手くねじって、お湯の出る所に掛けたら首を吊れるんじゃないかと思った。
 私は入院していてもデザイナーだから、患者用の服を着るのは嫌で、パジャマも嫌だったから、少なくともお洒落なジャージくらいを着ていた。
 全部脱いだあと、そのシャワーカーテンをいじっているうちに、別に裸で死ななくてもいいな、と思ってもう一度脱いだ服を全部着た。私はデザイナーだから、布をどっちの方向に引っ張ると一番伸びがいいのか知っている。私はカーテンを全部外した。
 やってみて、意外と生地が硬くて、すっかり疲れてしまって、シャワー室の床に体育座りで縮こまってしまった。
 
 結局私がシャワーカーテンを外したのがバレて、ナースステーションの側の、今までの部屋の隣に移された。そこは前の所と違って、全面がガラス張りの部屋だ。居心地が悪いと思ったり、どうせ死んでしまうんだから同じだ、と考えたりした。
 いつものシャワー室は使えなくなって、代わりにガッチリしたドアと、大きな浴槽の付いている身障者用が使えるようになった。そこには鏡があって、私は飽きずに自分の姿を眺めた。死にたい、と思っている私は、まるで他人のように見えた。顔が青白くて、現実のものには見えなかった。

 ガラス張りの部屋に移ったのと同時に、薬の量も種類も増えた。当然自殺願望が原因だと思う。自殺未遂という程じゃない。大したことじゃない、と本人は思っていた。
 その薬は強くて、私はほとんど身動きができなくなった。そして喋るのもままならなかった。母が来て食べさせてくれて、母が来られない時は、看護師さんが食べさせてくれた。でも本当はなにも食べたくなかった。

 今朝起きたら外に薄っすらと雪が積もっていた。私は唖然とした。私はどれだけ長くここにいるのだろう? 身体は薬に慣れてきて、もう普通に動けるし、食べたくないけど、食べることもできる。
 まだ死ぬことは考える。頭にこびり付いているように。ファッションデザイナーという、華やかな仕事をしていたのが嘘のように思える。入院してから絵も描いてない。悲観的で、いつか仕事に戻れるとは、全く思ってなかった。

 潤一は時々連絡をくれた。私は余り返事を出さなかった。彼は私に会いたがったが、私はまだ両親以外には誰にも会いたくなかった。
 病院に入院しているところを見られるのが嫌だった。死相の出ているような、私の青白い顔。潤一には何度も素顔を見られている。泊ったあとの、次の朝の、寝ぐせの付いたボーっとしてる顔も見られている。
 彼のことを懐かしく思い出すこともある。彼はいつも私の保護者みたいだった。もうこの世で会うこともないだろう。そう考えたら、彼の家庭のことを思い出した。二号の息子が本妻の息子を差し置いて社長になる。でも潤一本人が現場を離れたくないんだから、スキャンダルも終わりだろう。久し振りに、そんな世間のことを思い出した。

 死ぬことを考えてない時は、私は「色」のことを考える。綺麗な色達が床を這って転がって行く。医者はうつの幻想だよ、と言って、余り心配そうではない。病棟の中庭の日当たりのいい所に座っていると、「色」はもっとたくさん見える。そしてもっと早く転がって行く。
 私はそれを目で追って、綺麗だな、と思っている。傍から見ると、私は立派な狂人に見えるだろう。私達の創ったあの、絵の描いてあるTシャツはどうなったのだろう? もう春物が出来上がることだろう。
 潤一はまた吉岡啓二のことを使うのだろうか? 早咲子は? 彼女はもうカナダに帰ってしまったのだろうか? 久し振りにそんな人達のことが頭に浮かんだ。私は携帯で早咲子のエージェンシーのサイトへ行ってみる。彼女のポートフォリオの写真が増えている。つまらないのもあるな。彼女と一緒に仕事をしてみたい。

 私は初めてそんなことを思った。潤一にメールしてみようか? 彼はもう新しいデザイナーを雇ったのだろうか? その人は私よりブルー・シトロンに相応しいのだろうか? だとしたら、私はどうなるのだろうか?
 一つのことにこだわり出したら、そのことについて一日中考えてしまう。私よりいいデザイナーが私の服をデザインしている。あの絵の描いてあるTシャツは、どうなったんだろう? 同じイラストレーターを使ったのかな? それとも別の人を採用したのかな? それとも絵の描いてあるTシャツ自体、止めてしまったのかな?
 
 その時当り前のことだけど、ブルー・シトロンのサイトへ行ってみることを思い付いた。今までも考えてはいたけど、本当に見てみようと思ったのは初めてだった。恐る恐るキーを叩く。やっぱり止そうかと思って、手を止める。
 「色」が私の側を飛んで行く。今までは床を転がって、そのまま消えてしまったのに。飛んで行って、壁や床や天井にぶつかって飛び散る。とても綺麗で面白い。活動的で、生きている色達。ブルーやレモン色はもちろん、ピンクやグリーンやオレンジもある。
 私はとうとうブルー・シトロンのサイトを開けてみる。

 最初に、いかにも吉岡が撮ったらしい写真が来る。彼はこのブランドの顔になってる。たくさんの色が洪水のようになって画面を彩る。男の子らしいデザイン。私がやるとどうしても中性的になるから。女性のモデルはいない。少し寂しい。価格帯が少し上がった。物価が上がってるのかな? 私はそういうことに無頓着だけど。少なくとも、若い子達が買えるような値段にしたい。
 ああ、よかった。絵の描いてあるTシャツがある。イラストレーターは違う。よく見たらそれは吉岡の描いた絵だった。私がいない間に潤一を懐柔したんだな。若い男性から観ると、この絵はどういう風に観えるのだろう? 深刻な色を使った、芸術的な抽象画。

 中庭の壁に屋根の影ができる。強い太陽の光にくっきりと明暗ができる。丁度、吉岡の撮った建築物の写真のようになる。それを見ていると懐かしいことを色々思い出す。
 「色」が飛んで行く。私がそれを目で追って、時々壁にぶつかって、飛沫が私の身体にかかる。それを避けようとしている私を看護師達に見られている。
 医者は私の抗うつ剤に、抗精神病薬を加えることにした。私はそれで「色」が見えなくなるのは寂しいと思ったけど、いつまでも狂人の行動をとるのにも恐怖があった。
 
 母の学校が冬休みに入って、私の所へよく顔を出してくれるようになった。私は時々母と笑い合ったりするようになっていて、少しずつでも良くなっているようで、周りの皆も安心し始めていた。部屋も普通の四人部屋に変わった。
 私は他の入院患者にも興味を示すようになってきた。ブルー・シトロンのターゲットに入っている若い男性を捕まえて、吉岡の絵の描いてあるTシャツを見せた。その子は高校生で、それを凄くクールだと言った。もっと安かったら欲しいそうだ。
 そんなものか。あんな難解な抽象画、カッコいいの一言で片付けられるんだな。

 私は潤一にメールでそのTシャツを送ってくれるように頼んだ。お礼にその子に上げたいと思ったから。
「香穂。俺が明日届けに行くから」
そういう返事が来た。
 私はバスルームに走って行き、鏡を覗き込んだ。やっぱりまだ誰にも会いたくない。死相は消えかけたけど、十才以上老けた様な気がする。潤一とはもともと付き合ってるわけじゃないし。でも男性だし。ガッカリはさせたくない。
 でもその時、私は、それとは全然関係ない、あることを思い付いた。

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小説書き。生きづらかった日本を脱出して単身カナダへ。恵まれた自然の中でプロを目指して執筆中! 書いた作品は70作以上。短編はマガジンにまとめました。長編はこちらから⇒ https://ehappy888175296.wordpress.com/
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