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ずっと、言葉を追いかけてる


机の中のどこを探しても、ハサミが見つかりませんでした。

図工の時間。紙粘土に色んな物をくっつけて動物を作るそうです。隣の席のコは、さっそく持ってきた毛糸をチョキチョキ切り始めています。
──きれいな色の毛糸、たくさんくっつけたら素敵な毛皮になるなあ。
机の引き出しを引っ張り出すけど、やっぱりありません。お道具袋を開けてみます。ありません。
──私も切りたいなあ。きのう、おかあさんとじゅんびした折り紙、切りたいなあ。

ハトちゃんは困ってしまって、どうしていいか分からなくなって机に突っ伏します。

私の娘、ハトちゃんは、ヘルプが出せない人です。
「ハサミを貸してください」ってどう伝えたらいいのか分からないのです。「ありません」と言ったらいいのか「忘れました」と言ったらいいのか、判断がつきません。“ハサミを使いたいのに、ない“という現実を切り拓くのに何をどう相手に伝えたら良いのか思い浮かばないのです。

ハトちゃんは、心の中の困り感を外に発信できなくて、困ったあげくに机に突っ伏すしかありませんでした。ハトちゃん本人の体の中には、焦りと恐怖が渦巻いています。でも、周りからは見えないのです。「居眠りしているのかな?」そう思われてしまうかもしれません。ですが、居眠り姫はハサミがないよどうしよう、とぐるぐる考えているのです。

ハトちゃんや、どうしたらみんなに伝えられるんだろうねえ?

🐎


我が家を訪れたお客様は気が付くだろう。
ありとあらゆるものに、テプラシールが貼られている。
リビングのテレビには「てれび」のシール、テーブルには「てーぶる」のシール、洗面所の鏡には「かがみ」のシール。
小学生のハトちゃんが専門の療育機関で言語のトレーニングを受けていたときに、そういう取り組みをやったのだ。ひらがなを覚えられなかったハトちゃんに「物には名前があって、それを文字が表している」ということを生活の中で獲得してほしかった。
ハトちゃんが好きなアニメ「クレヨンしんちゃん」のキャラクターのカードを大量生産したこともある。カードの真ん中にしんちゃんの顔のイラストを描き、その横に大きく「しんちゃん」と書いた。他にも「ひろし」「みさえ」「ひまわり」「シロ」「かざまくん」「ぼーちゃん」などのカードも作った。
カードを見せると、ハトちゃんは嬉しそうに指さしながら「しんちゃん」と言った。そして、何度も見せるうちに、文字だけ書かれたカード「しんちゃん」を見て「しんちゃん」と言うようになっていった。カルタのように私がキャラクターの絵をみせると文字のカードを取るようになっていった。

そこが、始まりだった。

中1の今でも、テレビにはそのテプラシールは貼られたままだし、カードも取ってある。
ハトちゃんと言葉を探す旅に出発した記念だからだ。
その、遠い遠い先に『自分の言葉で表現する』というエベレスト級の高い目標がある。

私は、ヘレン・ケラーが言葉を意識し始めたとされる瞬間のエピソードを折に触れて思い出す。
家庭教師のサリバン先生は、ヘレンにコップを持たせ、井戸水を汲む。冷たい水はコップから溢れてヘレンの手を濡らす。それでも水を出すのを止めないサリバン先生。冷たい水がヘレンの手をつたい肘を濡らす。
──この気持ちいい手触りのこれは?コレって?
すかさずサリバン先生は手話で『ウォーター』と伝える。
──このひんやりした気持ちいいものは、『ウォーター』なの?
それまでにサリバン先生は、何度も手話で単語を教えていたけれど、ヘレンはそれをただ手真似で返すだけで、理解していなかったそうだ。
でも、その日、コップからこぼれ落ちる水を体験している最中に、初めて、
『冷たい感覚』=『ウォーター』
だとヘレンは意識したのだ。
その瞬間にヘレンの世界がガラリと変わる。
足元に広がるコレは『グラウンド』だし、私を優しく抱きしめるこの人は『先生』なんだ!
茫漠と広がっていた世界には、言葉があると知る。その先に概念があって、他者から情報が伝わってくるようになった。ヘレンは新しく世界を体験し始める。

なんて素晴らしい言葉との出会いだろうか。
ハトちゃんも出会って欲しい。

私はずっと考えている。
──ハトちゃんと世界が繋がるためにはどうしたらいいんだろう。
そんなある日、俳句の夏井いつきさんが、NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』で、こうおっしゃっているのを見た。

(教師として仕事をしているときに、問題児を受け持って)
子供たちと話しているとまず言葉を知らない、だから自分の内心の気持ちが知覚もできず、表すことがない。だからこそ「言葉を教える」行為の重要性に気づき、「これはたいへんなことだ」と思った。

2021年12月7日 NHK総合

自分が考えたことを、自分の伝えたい意味で、伝えたい熱量で、ちゃんと相手につたえることができる「言葉の技術」を子供たちに教えてやらないとならない。と、奮闘しておられた。

それを見て私は、心の底から「本当にそれです!」という気持ちがマグマのように湧き出してしまって、その火山は大爆発したのだった。うちのハトちゃんも、語彙を獲得して欲しい。そして、伝えたいという熱量を失うことなく外に出し切って欲しい。ああ。

──言葉を得ることで、世界と繋がって欲しい。
そのささやかな願いは祈りのようなものだ。
茫漠と広がっているこの世界には、言葉があって、概念がある。他者から新しい情報が伝わってくることで、私のヘレンは世界を体験し始める。
外の誰かさんと話さなければ、新しいことを知らないままで生きることになると思う。

一方で、私の中には拭い去れない疑問もあった。
親のエゴなのかもしれない。押しつけなのかもしれない。
自閉スペクトラム症のハトちゃんは世界と繋がりたいなんて思ってないのかもしれない。
だのに、母親の私がどんどん言葉を投げつけて吸収しろと強いているだけでは?

私は考えれば考えるほどよく分からなくなって、学習を進め続けるのか決めかねて日々を過ごしてきた。


🐎


そのメモ帳は、リビングにずっと、放置されていた。リング式のメモ帳で、テーブルの上に雑多な手紙類などと一緒に広げた状態のまま置かれていた。
そこには私の字で『海馬』とボールペンで書かれていた。

このところ私は、おジイ(私の父、ハトちゃんの祖父)のことでバタバタしていた。介護認定の期限が到来するので、更新する必要があったのだ。認知症が進んだおジイは、主治医の診察を受けて意見書を書いてもらわないとならない。電話でおジイが入所している施設の職員さんと打ち合わせしながら、私は暗澹たる気持ちでメモに『海馬』と書きつけたのだった。
脳の記憶をつかさどる部位、海馬が痩せて萎縮していくさまを文字の向こうに感じながら書きつけた。目を窓へ向けると外には雨が降っていて、この先ずっと日光が差し込んでくることなんてないかのようだった。

私が海馬と書いてずいぶん経ったある日、ハトちゃんは夕飯を食べながら愉快そうに聞いてきた。
大好物のハンバーグを切り取り、口に頬張りながら。
「それで、メモの、うみうまってどんな生き物なの?」
「へ?」
「かっこいいんだろうねえ。水の上を走れるんじゃないの?」
「何のこと?」
私はあっけにとられた。

ハトちゃんはリビングで犬と遊びながらメモのうみうまを見ていた。おやつを食べながらうみうまを見ていた。なんとなく視界の隅に入っていた。
そして、何度も考えたのだ、たぶん。
──これはどういう意味なのだろ。海、馬?うみ、うま?海にいる馬なのかなあ?かっこいいなあ…。
支援クラスの先生が特訓してくれたおかげで、今ハトちゃんは小2くらいまでの漢字は書いて読めるようになっている。

私をじっと見る瞳はしっとりと濡れている。見開かれた目蓋にはカールしたまつ毛。くもりのない凪いだ目をしている。テーブルのメモに「海馬」の文字。ハトちゃんは「どんないきものですか?それは」と夢想している。

私は、その目の中に虹を見た。

『違国日記』の扉絵で見た朝ちゃんの目みたいだった。虹彩に文字通り虹が見えた。その強い力に心を奪われた。知らないことへの不安などない。この世界の莫大な情報を吸収しなければならないという気負いもない。

ハトちゃんの思う『うみうま』がどんなやつかは分からないけれど、もうそれが正解だと思った。
海上を水平線までつっ走る馬のようなもの。
柔らかそうな立て髪は風に舞ってばらけて、日の光にきらめく。白く立つ波頭をものともせずに蹴散らしてゆく。

おジイの痩せてゆく海馬ではなくて、新しく爆誕したうみうまは、私を背に乗せ、世界の向こう側まで連れ去っていった。

ハトちゃんは定義しない。はっきりと正確な意味を求めていない。
私は、ハトちゃんには伸びしろしかないと悟った。
ハトちゃんにとってなんだか恰好良い生き物。

海馬のようなサムシング

これから、ハトちゃんの前に、海馬のようなサムシングは何度でも現れるだろう。何だか分からないものとして現れては、別の意味をもらって違うものに変身して去ってゆく。ハトちゃんは「まだ名のない、なんだか良い気持ち」を体内に沢山持っている。その気持ちをうみうまとして世界にドンドン放っていって欲しい。
私は、その様子を目撃するだろう。何度も何度も。彼女が一つ一つを彼女の世界に取り込んで行く様を見るだろう。ハトちゃんは、そういう過程を経て世界と繋がっていくはずだ。ささやかな日常で、途方もない言葉の出会いを積み重ねて。

それにしても、なんで脳の一部位にシーホースを当てはめたのだろうか?記憶を司るのに。ウイキペディアでも調べたが理由は分からないそうだ。

答えは風に吹かれている。

私だって、ずっと、言葉を追いかけている。
海馬のようなサムシングを追いかけている。








(了)

ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。