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100分de名著 『砂の女』で触れられていなかった設定

砂の女は既に読んだことあったのでこの物語を100分に凝縮するスタッフの要約力に驚きました。
砂の村から脱出するハラハラドキドキのサスペンス要素しか記憶に残っていませんでしたが、流動性の象徴としての砂や、砂穴の外にいる自分たちは自由なのかというテーマを聞くと俄然面白くなり思わず再読しました。
番組で紹介されていなかったけどより想像が膨らむ設定を挙げてみます。完成度の高い物語です。

村人たちの恐れと葛藤

仁木が最初に村人に遭遇した場面です。

「なにか、この辺の調査でも、あるんですか?」
「いや、調査でなけりゃ、かまわないんだがね・・・」
<中略>
やがて、老人を加えた四人は、何事か相談をしはじめる。交互に、足もとの砂をひっかくような仕種で、かなり激しいやりとりが行われている様子だった。
<中略>
「すると、あんた、本当に県庁の人じゃないんですね?」
「県庁?・・・とんだ人違いだよ・・・」

安部公房『砂の女』

村人は仁木が県庁から調査に来た人間ではないかと疑うことから、自分たちの生活に対する後ろめたさはあるようです。本来なら行政の支援を得るべき人たちかもしれませんが、行政と何からの折り合いをつけて今の距離感に落ち着いていることが伺えます。村人たちは積極的に今の生活を維持しているのです。
また村人の間でも仁木の扱いを決める過程でも葛藤があったことが伺えます。村人にとって新しい人間を招き入れるということは、労働力が増えるというメリットだけではないようです。もしかすると罪の意識もあるのかもしれません。

仁木の他の囚われたひとたち

囚われて一週間後の女との会話です。

「ぼくのほかにも、誰か、捕まっているやつがいるわけなんだね?」
「はい、去年の秋口のころでしたか、たしか絵葉書屋さんが・・・」
「絵葉書屋?」
「なんでも、観光用の絵葉書をこさえる会社の、セールスマンとかいう人が、組合の支部長さんのところに、たずねて見えられましてねえ・・・宣伝さえすれば、都会人むきの、けっこうな景色だとかで・・・」
「つかまったのか?」
「ちょうど、人手に困っていた、並びの家がありましてね・・・」

安部公房『砂の女』

この他にも帰郷運動の学生が本を売りに来て捕まっています。いずれも都会から来た人間が村で何かを得ようとして痛い目を見るという村の孤立を表すエピソードでもあります。

わずかこれだけの風景を守るために、海に面した十数軒が、どれいの生活に甘んじているわけなのだ。
どれいの穴は、いま、道の左側に並んでいる・・・ところどころに、モッコを引き込む溝の枝があり、その先に、すり切れた俵が埋め込まれて、穴のありかを告げている・・・目をやるだけでさえ、苦痛だった。俵には、縄梯子を取り付けていないところもあったが、つけてある方が多いようだった。すでに脱出の意欲さえなくした連中も、すくなくはないということだろうか?

安部公房『砂の女』

半数以上が縄梯子を付けた状態で生活しており、砂穴の生活に順応する確度は高いと分かります。

女が集落に来る前

女が仁木になぜ外を歩きたくないのか問いただされる場面です。

「本当に、さんざん、歩かされたものですよ・・・ここに来るまで・・・子供をかかえて、ながいこと・・・もう、ほとほと、歩きくたびれてしまいました・・・」

安部公房『砂の女』

「歩かされた」という表現に安部公房のセンスが光ります。仁木が切望している自由は女にとっては押し付けられていたものになっています。子供を抱えているという点もフラッと昆虫探しに行ける身軽な仁木と事情が違います。
終盤で仁木が砂穴から出ていかない理由を再度問い詰める場面もあります。

あげくに、ここを離れられない理由は、ほかでもない、以前台風の日に、家畜小屋と一緒に埋められてしまった、亭主と子供の、骨のせいだなどと言い出す。なるほど、それならば、納得もいく。

安部公房『砂の女』

仁木は骨を掘り返そうとしますが結局何も出てこず再度問い詰めると、どうやら嘘だったことが分かります。

骨も、要するに、口実にすぎなかったのだ。

安部公房『砂の女』

子供がいた事までが嘘だったとも思えませんが、女が積極的に個人的な動機によって砂穴に残っているのだということを決定づける場面です。仁木は「なぜ」を問いますが女にとってはあまり触れて欲しくない考えたくない事柄なようです。この辺も生き物としての現実に忠実な女と理屈っぽい仁木とのスタンスの差が出ています。

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