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家族はどこから来たのか、家族とは何者か、家族はどこへ行くのか

家族はしばしば最も小さな社会単位であり、社会は家族を基盤にして成り立っている、という言辞は今日さほどの違和感なく受け入れられるところであろう。ジョージ・マードックが初めて核家族という概念を打ち出した1949年以来、家族のあり方は社会のあり方と密接に関係していることが様々なアプローチによって明らかにされてきた。前史としてのバッハオーフェンやフレイザーの仕事に始まり、伝播主義の先駆者といえるボアズとその門人ローウィの国家観、ル・プレイによる類型化、マリノフスキやラドクリフ=ブラウンによる先住民への丹念なフィールドワークによる規則性の発見、レヴィ=ストロースとブルバキによる数学的な裏付け、マードックによる大家族から核家族への進化論、そしてこれを覆す発見となったラスレットによる核家族の古態性、そのラスレットの弟子筋であるトッドのマードック主義の逆転、そのトッドによる家族論の政治学・歴史学などへの拡張を経て、「家族」は改めて我々の前に立ちはだかる謎となっている。

本稿では社会学・文化人類学・歴史人口学における「家族学史」を明らかにすると同時に、その現在地を自覚し、今後学際的に展開されるであろう家族論の展望を明らかにするものである。

 

1.家族の発見

 社会学の父であるオーギュスト・コント亡き後、しばらく沈滞気味だったフランス社会学に再度息を吹き込んだのはエミール・デュルケームであった。この系統はデュルケームの甥マルセル・モースを通じてクロード・レヴィ=ストロースの構造主義へと続くが、そのレヴィ=ストロースがデュルケームとともに批判的に継承したのがルイス・ヘンリー・モーガンである。モーガンは母権制で有名な法学者ヨハン・ヤーコプ・バッハオーフェンとともにダーウィニズムを社会学に適用した初期の学者であり、同時代アメリカのハーバート・スペンサーとともに進化主義の提唱者として知られている。このスペンサーの流れを汲むのが冒頭のジョージ・マードックである。

 進化主義を痛烈に批判したのがジェームズ・フレイザーの影響を受けたブロニスワフ・マリノフスキやアルフレッド・ラドクリフ=ブラウンであり、彼らは丹念なフィールドワークをもとに「その行為には何の役割があるのか?」を追求した。これが機能主義である。前述のレヴィ=ストロースもそのフィールドワークの技法に影響を受けている。

 これとは別にアメリカで研究生活を送ったフランツ・ボアズはモーガンを論敵とし、文化相対主義を提唱した。その門下生には『菊と刀』で知られるルース・ベネディクトや「サピア=ウォーフの仮説」を生み出したエドワード・サピアなど優秀な人材が多く、やがて進化主義と論壇を二分する伝播主義を生み出すことになるが、その中でも特に取り上げたいのはロバート・ローウィである。彼は優れた文化が劣った文化を征服して国家が誕生したという国家征服説に反対する論陣を張り、国家内的発生説を唱え、先述のマードックにも影響を与えた。

 進化主義・伝播主義・機能主義・構造主義という四大潮流が発生する前、社会工学を掲げて家族類型の切り分けを行ったのがフレデリック・ル=プレイである。彼の理論は独自の学派を形成することなく、社会学の中ではどちらかといえば傍流であったが、後に取り上げるピーター・ラスレットが着目したことで部分的に復活する。

 時代は下って20世紀へと入り、ルイ・アンリとピエール・グベールの手によって切り開かれたのが歴史人口学である。この学派では同時代に同じような発想を持ったケンブリッジ大学のピーター・ラスレットが重要人物である。マードックはかつて「家族は大家族から核家族へと進化する」と考えていたが、ラスレットはイングランドの過去の資料を丹念に分析することで、「イングランドには大家族時代はなかった」ことを証明した。その弟子であるエマニュエル・トッドはさらに一歩進み、「家族は核家族から大家族へと進化した」と考えた。トッドは最初の時点では家族を構造主義的に考えていたが、言語学者ローラン・サガールの指摘を受け、後に(より動的な)伝播主義に立場を改めている。このトッドの主張が本稿の骨子である。

 しかし産業社会では現に核家族化が進行しつつあり、脱工業化を迎えた一部の先進国ではポスト核家族への試みがすでに始まっている。これらはトッドによる分析より先へ進んでいる感なきにしもあらず、このことについては項を改めて考えてゆきたい。

 なお家族学とは別に、生物学の側からのアプローチもある。鍵を握るのは「性的二型」と呼ばれる体の特徴の男女差である。動物たちの間ではオスがメスより大きいほど一夫多妻傾向が強く表れることがわかっており、これを自然状態の人間に適用すると軽度な一夫多妻傾向が見られるのではないかと考えられている。つまり今日一般的にみられる一夫一婦制は人間の本能ではなく、なんらかの文化的な制約の賜物であることが考えられるのである。トッドは一時的同居を伴う核家族を家族制度の最古層としており、生物学の成果と齟齬をきたしている。この点についても考えていく必要があるだろう。

 

2.家族の進化

 トッドは『家族システムの起源』で家族構造を15の類型に分けている(第1巻上p107表1-1)。ル=プレイの発見した共同体家族・直系家族・核家族の3類型をもとに、核家族を統合核家族と一時的同居を伴う核家族に分割し、この4種類に双処居住と父方居住と母方居住の別を加え、残った新処居住の核家族を絶対核家族と平等主義核家族に分け、最後に追加的な一時的同居を伴う直系家族を加えて合計15パターンである。

 核家族は親と子の最大二世代からなる家族であり、これより成員が少なくなると家族としての役割を果たせなくなるという意味でニュークリアな家族である。

 直系家族は親と相続人と相続人の子という三世代を中核とする拡大家族で、相続人のきょうだいは相続から排除されるという特徴を持つ。この非相続人は自分で仕事を見つけるか、婚姻相手を見つけるかしない限り相続人に寄生して生活するしかない。

 共同体家族は親と全ての子、全ての孫が一つの大家族を形成する拡大家族である。

 統合核家族は共同体家族と見分けがつかないほどに密集した核家族だが、煮炊きをする竈が家族の数だけあるという点で区別できる。竈が一つしかない家族は共同体家族である。

 一時的同居を伴う核家族は結婚してから独立するまでの間に任意の猶予期間を設けることができる。期間が非常に短い場合は新処居住核家族と、期間が長い場合には拡大家族と見分けがつきにくい。

 以上4つの型は夫婦どちらの出身家族に身を寄せるかによって父方居住と母方居住に分かれ、どちらともつかない場合には双処居住となる。マードックはおおよそエスニック・グループ内で2/3を占めるかどうかを分岐の目安としており、トッドもこれを踏襲している。

 どちらにも身を寄せない新処居住には2つの類型がある。

 ひとつは絶対核家族であり、相続財産は生前贈与と遺言によって被相続人が自由に処分できる。

 もうひとつは平等主義核家族であり、相続財産は全相続人に平等に分配される。生前贈与があった場合は持ち戻されて改めて相続の対象に算入される。

 最後の追加的な一時的同居を伴う直系家族は、直系家族の特徴を持ちつつも、相続人のきょうだいが結婚したときに両親と同居することを許容する。

 ユーラシア大陸のエスニック・グループに以上の15パターンを振り分けていくと、中国・ロシア・中央ユーラシア諸国に共同体家族が見られ、その辺縁部に直系家族があり、外側に核家族のバリエーションが存在する地図を見ることができる。そして外側の更に外側、島嶼部などにおいて「一時的双処居住を伴う核家族」が現れる。このことからトッドは、初めに一時的双処居住を伴う核家族が存在し、その後発生した核家族のバリエーション、直系家族のバリエーションが先の家族型を順次外側へ押し出し、最後に共同体家族のバリエーションが大陸の中央部を占めるに至ったとする説を唱えた。また双系制から父系制へと中央部へ向けて男性優位が高まっていく傾向も見られる。ちなみに共同体家族も父系制も「戦争に強い家族形態」であるという点で共通しており、古代から中世にかけての家族には大きな軍事的圧力がかかっていたことが伺える。

 より具体的には、中国の春秋時代に遡ることで進化の過程の一部を確認することができる。この時代にはまだ周が生き残っており、封建制によって国同士の地位が定まっていた。西周を理想国家とする儒教は平等より秩序を重視する不平等なイデオロギーであり、その教義は修身・斉家・治国・平天下を士大夫の目標として掲げる直系家族を示唆している。この国家群のなかで秦は最も西部に位置し、北方遊牧民に影響を与えかつ受けやすい地理にあった。そして秦から遊牧民へは権威主義が伝わり、逆に遊牧民からは兄弟の平等が伝えられ、両者が混合されることで共同体家族が誕生したと考えられている。遊牧民側の共同体家族は西側のステップを通じてユーラシア大陸を席巻し、定住民側の共同体家族は中国全土を征服する空前の帝国を生み出した。共同体家族が拡大したために行き場を失った直系家族はチベットや朝鮮半島で命脈を保ち、ヨーロッパ側ではドイツで生き延びた、といった具合である。戦士として活動するのは基本的に男であり、男性の地位の上昇を招いた。また戦士たりうる成人男性を複数人確保することのできた大家族(特に共同体家族)も戦争に有利だった。

 一時的双処居住を伴う核家族が最も古い層を形成しているという点については進化主義的な見方も可能である。一時的双処居住を伴う核家族は他のどの家族形態よりも未分化であり、どんな家族形態にも進化できる可能性を持っているからである。双処居住の中立性は新処居住の前提であったと考えられるし、父方居住を経由して直系家族へと変化する可能性がある。母方居住のグループは大抵の場合父方居住のグループに隣接しており、双処居住のまどろみの中にいたグループがアイデンティティを確立する際に隣人との違いを喚起した名残である(母系反転)と思われる。その他、即時独立の原則を加えると絶対核家族に、さらに平等原則を加えると平等主義核家族となる。一時的双処居住を伴う核家族はいわば家族界のⅰPS細胞なのである。

 残る問題は生物学との整合性である。自然状態では一夫多妻傾向のある現生人類がなぜ一夫一婦制に縛られているかだが、これは乱婚がもたらす性感染症を避けるためとする説(クリス・バウフ、リチャード・マケレス)がある。人類の進化のいずれかの段階で人間の生殖器に特化して感染する細菌が発生し、できるだけ多くのメスと子孫を残すことのベネフィットを感染症のリスクが上回ったためということである。またメスが少ない環境下ではオス側にとって乱婚よりも1匹のメスを囲い込む方が有利な戦略であるとの研究(ディーター・ルーカス、ティム・クラットン=ブロック)もある。一方トッドは『第三惑星』で「アフリカ・システム」という少々乱暴なカテゴリーを設けており、そこではサハラ以南のアフリカでは一夫多妻制が頻繁に見られることを指摘している。サル学の世界的権威である山極寿一も、著書『家族進化論』において、現生人類の進化過程で「一雄複雌の群れ」が存在したことを支持している。この点では生物学と社会学は決して断絶していない。むしろアフリカ人の家族形態には人類の祖先の出アフリカ以前の形態が残留している可能性があり、今後一段の研究が待たれるところである。

3.家族と国家

 トッド説の特異性は家族制度が社会を貫通して国家のありようにまで影響を与えているという点にあるが、これは自身も触れているようにローウィが国家内的発生説で主張した内容の焼き直しという側面がある。しかしトッドは軽率にローウィを踏襲したわけではなく、自説が「決定論」と呼ばれるのを回避するため、膨大な量のモノグラフから結論を帰納するという手法をとっており、結果として自ら「人類学的基底」と呼ぶほどの強固な下部構造を浮き彫りにすることに成功した。この経緯については『家族システムの起源』に記載があるが、同書は第一部にあたるユーラシア編しか邦訳が完成しておらず、南北アメリカやアフリカ、オセアニアについては後日を待たねばならない。

 家族と政治の関係について、現在手に入る書籍の中では、西ヨーロッパにターゲットを絞った『新ヨーロッパ大全』が最も詳しいと思われる。同書の中では家族を4類型(平等主義核家族、直系家族、共同体家族、絶対核家族)まで絞り込み、そこから生まれるイデオロギーを3種類(社会主義、民族主義、反動的宗教)に分けて地域ごとの投票行動と対比させており、全12種類の下位イデオロギーから存在しない2類型を引いた10種類の類型を得ている。

 a.平等主義核家族。基本的価値は自由と平等。社会主義イデオロギーは無政府社会主義として現れる。民族主義イデオロギーは自由軍国主義として現れる。反動的宗教イデオロギーはキリスト教共和主義として現れる。

b.直系家族。基本的価値は権威と不平等。社会主義イデオロギーは社会民主主義として現れる。民族主義イデオロギーは自民族中心主義として現れる。反動的宗教イデオロギーはキリスト教民主主義として現れる。

c.共同体家族。基本的価値は権威と平等。社会主義イデオロギーは共産主義として現れる。民族主義イデオロギーはファシズムとして現れる。反動的宗教イデオロギーは存在しない。

d.絶対核家族。基本的価値は自由。社会主義イデオロギーは労働党社会主義。民族主義イデオロギーは自由孤立主義。反動的宗教イデオロギーは存在しない。

社会主義イデオロギーを左派、民族主義イデオロギーを右派と置き換えてもほぼ通用するように思われるので、わかりやすさのためにここではそう表現する。

ところでここで現れた「基本的価値」こそは家族が国家を規定するための揺りかごであり、人間は生まれ育った家族から「権威=上位者からの圧力がどれほど強く感じられるか」と「平等=きょうだい間での扱いの差がどれほど大きいか」の価値について学習する。

一度教え込まれた力関係は自分が親として教育する側になった時も踏襲され、再生産される。これは家族を学校や職場に置き換えても成立する。ブルデューがハビトゥスという概念を用いて説明したとおりであり、またフーコーが『監獄の誕生』で規律化を説明したとおりでもある。

話が逸れたが、つまるところ家族がどのような組織であったかはその人の行動を縛り付けるということである。それが選挙などの政治的決断の場に持ち込まれると一定のイデオロギーとして発露するという話なのだ。

さて、前提となる考え方が分かったところでとりあえず棚上げしておいた問題に取り掛かるとする。我々が知る家族類型は15個であり、『新ヨーロッパ大全』の4個からは大きく拡張しなければならない。とりあえず父系制・双系制・母系制の間に顕著な政治意識の違いはないと仮定すると、統合核家族と一時的同居を伴う核家族、それに追加的な一時的同居を伴う直系家族が持つ基本的価値を見定める必要性があろう。

統合核家族の場合、既知の家族形態の中で最も近いのは共同体家族である。その基本的価値は権威と平等であると考えられる。つまり左派はコミュニスト、右派はファシストとして活動すると考えられるが、統合核家族はもっぱら少数民族の中にのみ存在するため、歴史や投票行動などで裏付けることが難しい。ただしフィリピンのマギンダナオ族については少数派イスラム教徒として中央政府に対して長く執拗な反抗を続けており、そこにファシズムの影を感じることができないではない。

一時的同居を伴う核家族の場合、同居期間の長短によっては絶対核家族にも、共同体家族や末子相続の直系家族のようにも見えるが、相続上の縛りが緩い点で平等主義とは考えづらい。最も似通った類型は絶対核家族であるが、独立のタイミングを自由に設定できるという点ではより自由度が高いように見える。絶対核家族は極めて自由な基本的価値を持つ家族形態だが、結婚したら家を出「なければならない」という逆の縛りがあるからである。この家族形態は世界各地に見られるが、とりわけポーランド人はこの家族形態を持つ最も大きいエスニック・グループだと思われる。ヨーロッパ最古の憲法を持ち、中近世には選挙王政を敷いて絶対主義を退け(「君臨すれども統治せず」の語源)、左派においてはレフ・ワレサ(労働組合出身、反共)・右派においてはユゼフ・ピウスツキ(旧貴族、独立主義)という対照的なリーダーを輩出した点においても絶対核家族に近いものを感じることができる。ただし同居の期間によってさまざまな顔を見せる家族形態であるだけに、ケースバイケースであるという留保はつけておいた方がよさそうだ。

追加的な一時的同居を伴う直系家族はごくわずかなケースしか存在しない。一時的同居を伴う核家族のライフサイクルに直系家族を張り付けたような形態で、長子から順番に独立していく一時的同居を伴う核家族に対し、「兄は弟の結婚が安定したのちに初めて家を出るのだ。」(『家族システムの起源』上巻p244。)この場合直系家族と核家族のどちらに基本的価値が似てくるのかは分からない。しかし絶対核家族に近い一時的同居を伴う核家族と直系家族の間には平等原則がないという共通点があり、兄が父に代わり弟の庇護者として振舞っている点を鑑みると直系家族の特徴の方が強く出ているように思われる。サンプルはほとんどないが、仮に十分な規模を持っていたとしたら緩和された直系家族のような振る舞いを見せたのではないかと考える。

さて、一旦脇へ置いた父方居住・双処居住・母方居住だが、『家族システムの起源』上巻p124及びp144の地図を参照すると、双処居住は中西欧とフィリピン、母方居住は沖縄からインドシナ半島とインドの南端部であるケーララ・タミル及びヨーロッパの辺縁に限られ、残りの広大なエリアは父方居住が占めていることがわかる。双処居住はポーランドの項で見た通り基本的価値を自由寄りに変える特徴がある。母方居住はというと、自由を通り越して無原則なレベルまで基本的価値を連れて行ってしまう。トッドは『第三惑星』で東南アジアの家族制度を指して「アノミー」と名付けのちに撤回したが、無原則が原則という在り様を見るにそう間違った判断ではなかったように思われる。なお母方居住というとバッハオーフェンの母権制が連想されるが、実際のところ母方居住のグループ内で女性の地位が高いかというとそうでもないようである。バッハオーフェンらが依拠したギリシャ古典時代の家族は父方居住がスタンダードだったため、蛮族たちの双処居住が相対的に母権的に見えたというだけのようだ、というのがトッドの見立てである。

4.家族のこれから

工業化が初めて起こったのは絶対核家族のイングランドだったが、この画期的な成果はすぐに他国の模倣するところとなった。しかし本家イングランドを除いたフォロワーたちはすぐに労働力の捻出に頭を悩ませることになる。イングランドは早く独立して結婚したい労働者候補が都市にあふれていたが、核家族ではない国の場合余剰労働力は季節労働者として農村が握っていたからである。労働力を捻出するには農村から労働力を取り上げて工場に回さなくてはならない。こうして市場の要請は元々の家族形態を解体して核家族に編成し直すに至る。マードックが目の当たりにしていたのはこのように核家族化が進行しつつあったまさにその時のデータであり、既存の家族から核家族への進化と捉えても確かに不自然ではなかった。

この工業化が引き金を引いた家族の再編成については、もともと絶対核家族だったイングランドを主なフィールドとしたラスレットと、彼の周りに集まったケンブリッジ・グループにとっては大きな問題ではなかった。しかし全世界を射程に収めようとするトッドにとっては看過しうる問題ではなく、何らかの説明を与える義務があった。トッドは『シャルリとは誰か?』において、「ゾンビ・カトリシズム」という概念を持ち出している。カトリック主義が、形骸化した、実践を伴わない、しかし理念としては残っている状態を指し示す用語である。保守派が拠り所とする「古き良き時代」として、死骸にも拘らず生きているように見せかけられた昔からの伝統は、理念のみの存在となった現在でも活用され、理念のみの存在となったがゆえに純粋化され理想化されている、そんな状態である。「カトリシズム」の部分にはなにを代入してもよく、トッドは日本についても「ゾンビ・直系家族」が伸長しているという警告を発している。親と子、祖父母と孫が助け合い、身を寄せ合って暮らしを支える「美しい国」というフレーズはまさにこの線の上にあるといえる。それはかつて実在した直系家族ではなく、その上澄みだけを掬った「理想的な」家族であるのだが。

しかし、グローバリズムはゾンビを本当に蘇らせるかもしれない。時代はポスト産業時代に入っており、これに従って家族制度もポスト核家族に進化することが要請されているのである。核家族の崩壊に対する自衛措置として、日本ではすでに三世代同居が復活しつつある。無論農業を前提とするかつての直系家族とは似て非なるものではあるが、重要なのは危機に臨んで過去の成功体験を生かそうという動きが出始めたことである。グローバリズムの総本山であるアメリカですら、本来の自由孤立主義を蘇らせる「アメリカニズム」がトランプを大統領の座に押し上げるに至った。「アメリカ的な」と「グローバルな」がついに袂を分かったのである。同じく絶対核家族の国であるイギリスは、国民投票の結果、EUを脱退するに至った。トランプは2期目の大統領を務めることはできなかったが、バイデンも「トランプ票」を完全無視することができるほど大差をつけたわけではない。自国のかつてのあり方に寄せる関心は今後も高まってゆくだろう。トッドは家族制度についてはそこまで立ち入ってはいないが、経済に関してはコントロールされた保護貿易に立ち戻ってゆくことを提案している。グローバリズムはその最良の時期を終えつつあるのかもしれない。

5.終わりに

 ポスト核家族の時代に標準となる家族形態はまだはっきりとした姿を見せていない。しかし自分たちが辿ってきた道を、少し立ち止まって振り返ってみることは悪いことではないはずだ。最悪なのは家族が完全分解して人ひとりで社会に立ち向かわなくてはならない状態である。それはネグリが言うところの民衆のマルチチュード(有象無象)化と言い換えることもできよう。グローバリズムにはそれを支える消費者の存在が不可欠であるが、有権者は別に存在しなくてもよい。むしろグローバル企業とジャーナリズム、国際NPOの支配する<帝国>の中に、個別の国の民主主義は何の役割も持てないのである。トッドのインタビュー集に『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』というものものしいタイトルのものがあるが、社会がこのまま何一つ選択肢を提示できなければ、民主主義は本当に滅亡の淵に立たされることになる。一旦足を止めること、そして必要ならば引き返すことは決して後退ではない。立往生するまで惰性的に前進するよりはよほど勇敢な選択である。

家族を復活させるのではなく、新しい時代に沿った社会のあり方を考えるのもいい。ネグリの言う「マルチチュード」とは決してマイナスの意味ではなく、国境を越えて連携し<帝国>に反抗する者のイメージを含んでいる。SNSが世界中を繋げる今、それもまた一つの選択肢だろう。未来はまだ我々の手の中にある。

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