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信用をなくす「記憶」の使い方

記憶の使い方で、
「別名保存の人」と
「上書き保存の人」と
「保存しない人」がいるようだ。


別名保存の人は
自分の記憶も保存しつつ、
他人の記憶も一緒に保存しているので割と
線で出来事がつながっている。 
一つの出来事に対して多角的な視点を持っている
可能性が高い。  


いろんなことを覚えているので
話も繋がりやすい。が、いろんな記憶に邪魔されることも
あるかもしれない。


上書き保存の人は
つねに最新の記憶に塗り替えられてて
なぜ今その現実が起きているのか?を
すっかりなかったことになっていることもある。


例えば、なぜそれが起きたのか?とか
そもそもの話や原点を忘れていて
単一的な物の見方をしている可能性が高い。
が、ポジティブに書き換える才能もある。
物事の最善を常に持っている可能性が高い。


保存しない人は
完全にその場で消化(昇華)できているか
全て忘れてしまっているか
興味がないか、記憶にとどめないのかわからないけど
何にも囚われない可能性が高い。
挑戦や冒険野郎だったりも。


どれがよくてどうっていう話ではないけど
価値観と一緒で
記憶の使い方が違う人と関わると
とんでもなくいろんな現実が交錯するのではないだろうか。
あと、話が通じなかったり。
別名保存型の人からすると
上書き保存の言動が全く理解できなかったり


え。なんであんなことがあったのに
そんなことができるの?とか
これとこれって、こんな風に繋がるけど
こんなことしたらマジで整合性が取れずに
信頼なくすよ?とか


保存しない人からすると
別名保存の人が「考えすぎ」「保存しすぎ」
「メモリ使いすぎ」「データありすぎてややこしい」
ってことにもなるんだろう。


ここで思うことは
やはり自分のことを知り、
信念に沿った環境づくりと
自分の純度を上げていく作業が必要だなと。

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