前々から聞こう聞こうと思ってたんやけど、そもそも空道ってなに?
「羽島くん、2位やったのに全然嬉しそうやなかったな‼︎」
朝、職場の先輩に声を掛けられた。
「なんか空道の大会の閉会式の場面をYouTubeで見たんやけど、羽島くんも表彰されとったのにめっちゃブスッとしてたやん」
あー、おととしの西日本大会か。
「優勝以外は、2位も1回戦負けも一緒ですからね〜」
多分、トーナメントという試合形式が発明された時から使われて来たであろう、自嘲のセリフを吐く。
先輩は、キョトンとしていた。
2位の選手というのは、その日いちばん最後に負けた人のことを指す。
閉会式の時点で、まだ負けたてホヤホヤである。
閉会式の時点で、まだいちばん悔しいのが2位なんですぜ、先輩。
これがその閉会式の様子。
先頭で満面の笑みの優勝者。
その後ろでうなだれる坊主が、2位の僕。
決勝戦で勝って終わるのと負けて終わるのとでは、これだけのテンションの違いがある。
閉会式で笑って大会を終えられるのは、各カテゴリーに1人しかいない。
僕が笑って閉会式を終えられたのは、一度しかない(ワンマッチを除く)。
それ以外は、いつも悔しい閉会式を迎えているということだ。
悔しい閉会式を迎えないための方法が、2つある。
1つは、「最後まで勝つこと」。
もう1つは、「戦うことをやめること」
戦うことをやめてしまえば、楽になることはわかっている。
でも、四十半ばにしてまだ戦っている。
昔は応援してくれていた人から、だんだん引退を勧められるようになって来た。
「(その年で)出てるだけでリスペクトですよ‼︎」
もはや勝敗に関係ない次元で褒められたりもする。
そして、毎度悔しい閉会式を迎える。
Mなのか?
否定しきれない部分もあるが、結局は「空道」というコンテンツが面白いから、やめられないのだ。
まず「空道」という競技を説明しなければならない。
「いい体してますね。なにか格闘技とかされてるんですか?」
「空道という武道をやってます」
「……くうどう……?」
こんなやり取りを、もう一万回ぐらいしている。
かように空道とはマイナースポーツであり、世間一般に浸透しているとは言いづらい。
こんなに面白いのに。
「道着を着て面をかぶった総合格闘技です」
「空手と柔道を合わせたような競技です」
「21世紀の総合武道です‼︎」
「まー、空手みたいなもんです」(疲れてる時)
いろんなバージョンで説明をして来た。
もう説明に疲れた。
「こんなに面白い競技を、マイナースポーツにしておくのはもったいない‼︎」
初めて観た人には、よく言われる。
「日本ではマイナーですが、ロシアではゴールデンタイムに中継されるようなメジャースポーツです‼︎」
聞かれてもないのに、この辺も付け加える。
空道とは、′77年極真空手全日本チャンピオンであった東孝先生が創設した総合武道。
一般的な打撃技、投げ技、寝技に加え、頭部にプロテクターを着けることにより頭突きや肘打ちも認められる。
道着を着用していることにより、打投極全ての局面において、技のバリエーションは無限に広がる。
空道ができて40年近くたつが、いまだに新しい技術が誕生し続けている。
過去には「ルールブックで禁止されていなかったから」という理由で、帯で相手を絞め落とした選手もいた(翌年から正式に反則となった)。
過激さをアピールしたいのではない。
頭部へのプロテクター着用やルールの整備により、過激に見えるルールをより安全に行えることを強調したいのだ。
頭突き有り肘有りのルールを素顔で行えば、勝っても顔は無事で済まない。
空道はアマチュア競技であり、大多数の選手は、試合の翌日も仕事である。
腫れたり切れたりした顔で、得意先に赴いたり接客をしたりするわけにはいかない。
人に会う仕事でなくても、いい顔はされないだろう。
空道なら頭部のプロテクターのおかげで、見た目のダメージはほぼゼロである。
もちろん身体のダメージはあるだろうが、その辺は本人が隠せばいいだけのことだ。
空道が、ただの過激な格闘技ではないという証明がある。
2025年の青森国体において、デモ競技として空道が選ばれたのだ。
その日を境に、空道もメジャースポーツになるはず。
空道がマイナースポーツである唯一の理由は、露出が少ないことだ。
たくさんの人に見てもらえば、その面白さが広まるに違いない。
その頃、僕は51歳。
「羽島さんが昔選手やった空道っていうスポーツ、めっちゃ面白いですね‼︎」
「だから言っただろ」
僕は白髪混じりの顎ヒゲなど撫でながら、標準語で答える。
さすがにその頃は、試合には出てないだろう。
自分自身は一流選手にはなれなかったが、強い選手を育てられたらと思う。
もし万が一、まだ選手だったとしたら。
想像しただけで震える。
怖くて震えているのか。
ワクワクして震えているのか。