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「自分に優しく」の意味を勘違いしていたかもしれない

こんばんは、うたたねです🪻
わたしは適応障害になって休職した経験があるのですが、復職してから現在で一年半になります。
いままではほぼリハビリのような形で、仕事というより雑用をこなしながら会社で過ごすだけの働き方をしてきました。
わたしの企業は大手なこともあり、普通に働けない事情がある人がとりあえずの居場所としていられる場所があるのですが、そこにいたんです。

そんな中、わたしは異動が決まり、適応障害明け初めて(!)普通に働くことになったのです。
感慨深い気持ちと、クリエイター活動に活かせそうな部署に異動できる喜びと、病気明け初めての普通の仕事でのドキドキとで変な気分で異動初日を迎えたのですが、今日は異動してからの一週間を振り返ってみたいと思います。

異動についての話はこんな感じです↓

この記事はあくまで、「わたしにとっては」という視点で書いています!
これが全部正しい、みんなもそうしたほうが良い!とは全く思っていないので、参考になる人だけ参考にして頂けたら嬉しいです。
そして気づきが多すぎてすごい長さになってしまいました
🍃

環境の変化について

まず、異動したことで環境が大きく変わりました。
そもそも出勤するビルが変わったし、当たり前だけど関わる人が全員変わったし、仕事内容も全く違うものになりました。
わたしはHSPの気質があって環境の変化にすごく弱いんです。

だから正直やっぱり疲れましたね。
どれだけ希望しているような職種であっても、疲れるものは疲れるよね。

いままで専門職についていたので、いわゆるOLさん的な仕事をした経験がないわたしなのですが、世の中のOLさんって本当にすごいんだなと思いました。
まず、おしゃれ、というかすごく身綺麗。
わたしの以前の職場ではすっぴんの人もいらっしゃる環境だったため、綺麗さのレベルに驚いています。

それから本気で気が利く。(どんな言い方?)
嫌な表現になってしまいますが、接待上手な方が多いですね。
専門職に就いているとどうしても職人気質になりがちで、お互いに気を遣う人が少ないのですが、オフィスで総合的な仕事をしている人たちはみんな気遣い上手。
当たり前のことだけど驚いてしまいました。

以前の職場で、空気を全く読まない人たちを厄介に感じてきたくせに、空気を読みすぎてお互いに気を使い合いすぎている場所も疲れるんだなと、わがままな感想を持ってしまいました。😣

いままで女性がかなり少ない職場にいたので、女子トイレにいけばほぼ一人になれたのですが、それができなくなったのもちょっと苦しく感じます。
どこか一人になれる逃げ場を、職場にも作っておかなければな~。
やっぱり一人になれるってだけで安心感が違いますもんね。

疲労に恐怖を感じてしまう

実はわたし、仕事内容が納得いくものでも、職場の雰囲気が良くても、それでも疲れてしまって今週末は大号泣しました。
なんか、いい大人なのに恥ずかしいと思うし、ハッピークリエイターを名乗って明るい投稿を心がけているくせにこんなこと書きたくないのだけど、うーん、暗い面を隠すのも自分の中で違うなって思って、いま記事にしています。

適応障害になったときは、職場の雰囲気の悪さに対して不満が募り、毎日疲労の限界で、そこにアルコールハラスメントが重なって体調を崩しました。

だから、その第一歩目の「疲れた~」って感覚だけでもすごく怖いです。
疲労の感覚が怖くて、うつ状態やパニック状態、立ち上がれないほどの体調不良が怖くて、涙が出ました。

月曜日から木曜日まではよかったの。
やっぱり頑張りたい気持ちがあるからね、一生懸命頑張れるんです。
カラ元気でも何でも良いから精一杯頑張って、普通に働けるようになったぞ~!って感じたいですしね!

でも、問題は金曜日の帰宅後からお休み中。
これを書いているのは22日の夜ですが、もうね、金曜日の夜から何度泣いたことか。🥲
疲れていること、今後の不安、そんなことで頭がいっぱいになって気づいたら泣いて、このままじゃだめだと思って夫や親と話すんだけど、泣いてるから向こうもよくわからなくて困らせるばかりで。

新しい上司も気を使って「一緒に頑張ろうね!最初は辛いかもだけど、歯食いしばってこ!」みたいなこと言ってくれるんですけど、いやわたし頑張りすぎたくないんだよ~と思ってしまっていました。

疲れないように、落ち込まないように、自分に優しく生きていきたいのに、なんか上手くいかずに苦しくなって、どうしようってもがいているような一週間だった気がします。

わたしは「自分に優しく」は合わないかもしれない

そんな一週間を過ごしていたのですが、実はもやもやを整理しているうちに気が付いたことがあります。
それは、「わたしには自分に優しくするというスタイルが合わないかもしれない」ということです。

メンタルを崩した経験がある人なら分かってくれると思うのですが、みんな、「もっと自分に優しくしてね!ゆっくり自分のペースで良いんだよ」みたいなことを言ってくれるじゃないですか。
でも、わたしにとってはこれがすごく窮屈に感じていたかもしれないと思ったんです。

もちろんこれを言った人が悪いなんて全く思わないです!
でも、わたしは自分で「自分に優しくする」というルールをまるで呪いかのように縛り付けてしまっていたように感じます。

なんかね、自分に優しく、と強く自分に唱えていると、少しでも疲れたり、落ち込んだり、メンタルの調子がおかしくなるとまるで悪いことのように思えるんです。
あ、わたし自分に優しくできてないからすごい疲れてる…みたいな感じ。

でもね、普通に仕事して、生きていたら疲れるの当たり前だし、落ち込むような出来事も起きるんです。
それにクリエイターとしての活動も、自分に優しくしようとしたら制限がかかりまくりで、思うように進まずストレスが溜まります。

だから、自分に優しくない日があっても良いの。
「自分に優しく」ということは言葉通りの意味だけでなく、もっと奥が深いんだろうと思います。
その意味が理解できてくるまでは、わたしにとっては厳しいルールにしかならないのかもしれません。
なんというか、むしろ自己否定のきっかけになっていたというかね。

「自分に優しく」をテーマにすることはわたしには合っていないのかもと気づいたため、自分の中でのテーマを変えてみることにしました。

新しいテーマは、丁寧に一生懸命に

「自分に優しく」というテーマは手放して、「丁寧に一生懸命に」を新しいテーマとして過ごしていこうと思います。

わたしは幼少期から生きづらさこそ感じていたものの、メンタルを崩してしまったのは社会人になってからです。
メンタルを崩してしまったことはわたしにとってとても大きな出来事で、あんな経験二度としたくないと怯えるあまり、疲れることにすら恐怖を感じ、自分に優しくしようと意識してきました。

しかしもともと、わたしは頑張ること、努力することが好きな性格です。
そんな性格の人間にとって自分に優しくすることは、サボっていることのように感じて苦しく感じます。
一生懸命やりたいのに、自分に優しくしなければ病むから、無理やりサボらなきゃいけない、みたいな感じです。

わたしが新しく入った部署は、出張や外出もあります。
HSPのわたしにとっては厳しい環境だけど、自分のHSS型の気質としては喜ばしい環境と捉えられることかもしれません。
最初この話を聞いたとき、異動前の上司からはそんな話聞いていなかったので驚くと同時に、「そんなの絶対に疲れる!頑張っちゃう!無理したら病気になるのになんで教えてくれなかったんだろう」とちょっと恨みました。😣

でも、気持ちを分析していくと自分に優しくしなければ、とか、メンタルを崩してはならない、とか、そういう想いの先にそんな怒りが湧いてきたのだろうと思います。

わたしはメンタルを崩すまでの頑張り屋さんの自分のことの方が好きで、いまのゆるゆるとなるべく会社の仕事をさぼっている自分が好きになれません。
それでメンタルを病まなかったとしても、「わたしは普通に働けない、配慮してもらわないといけない社会不適合者なんだ」と落ち込むことは続きます。
この思考って、本当は社会に適応するだけの能力を持っているのに、わざと適応しないように意識しているからこそ起きるのではないかと思ったんです。

もちろん、いま体調が悪い人は、こんな意見無視してね。
あくまで、いま寛解状態にあるわたしはっていうお話なので!!!

病気がぶり返すのが怖いから、ずっと半病気のふりをしている自分が嫌いだったのだと思います。

これからは、なにごともちゃんと頑張ろうと思います。

なにごとも、丁寧に、一生懸命やりたい。

わたしはそうすることで、自分のことが好きになれる気がします。
何も完璧を求めるわけではありません。
丁寧に一生懸命やった結果、できないことがあってもオッケーだし、疲れてもメンタルの調子を崩してもオッケー。
そうしたらまた自分に対して丁寧に接してあげて、一生懸命休んで、回復すれば良いような気がするんです。

ずっと、病気に怯えながら、自分に優しくしようと意識して生きていくよりも、わたしにとっては健全な生き方だと思います。

自分の生き方に花丸判定を付けたい

なんかね、ふと思ったんです。
自己肯定感が高い人って、自分の生き方に対してたくさん「はなまる!💮」って判定できる人なんだなと。

先ほど書いたように、最近のわたしは「自分に優しく」を基準に生きてきたのですが、これってかなり厳しい基準だよね、と気づきました。
もともとわたしは自分にも他人にも厳しい性格なのですが、自分を追いこむのは得意でも、自分に優しくするのは苦手なんです。
苦手なことを自分の生き方の判定基準にしていたらそりゃ「もっと頑張りましょう」みたいな判定ばっかり出て、自分ダメだなって思って、どんどん自分のこと嫌いになりますよね。

今回わたしがテーマにしたのは、自分の得意なことなんです。
そして自分の価値観にも合っています。

わたしは人や物に対して、丁寧な接し方がしたいと常に意識しています。
それから、一生懸命なにかを頑張ることが好きで、結果はどうであれ一生懸命やったことに対して強い達成感を感じることができるんです。

だから、これをテーマに生きていれば、自分に対して花丸がたくさんつけられるかもしれないと思っています。
うんうん、ある意味これは、自分に優しくしていることになるかもしれませんね。
だって、たくさん自分のこと褒められるもんね。

ものを丁寧に扱って、壊さないように、音を立てないようにする。
出社したら挨拶をし、仕事は丁寧に一生懸命取り組む。

これを意識して、生きていきたいと思います。

ただ、丁寧と偽善は違うと思っていて。
変にいい人ぶって本当は嫌なことを受け入れる必要はないと思うんです。
たとえばわたしは、仕事中の無駄な雑談の時間や飲み会が大の苦手なので、これからも無理に挑戦することはありません。
無理したり、拒絶することなく、丁寧にお断りし、自分を守ってあげようと思っています。

本当の意味で自分に優しくするために、わたしはこういった生き方をしていきたいなというお話でした。


うわ~本当に長い記事になってしまいました。
それくらい考えたことがたくさんあった休日でした。
これも、一生懸命考え込んで、丁寧に自分の感情を拾って、向き合って、そしてまた一生懸命記事に起こして、
わたしめちゃくちゃ最高ですね!
ばっちり生きれています。花丸です。💮

最後まで読んで下さったかたいるのかな…
この記事を読んだ方が、無理に頑張らなきゃいけないという風に捉えないでくれると嬉しいなと思います。
本当に自分に優しくするためには、どうしたらいいか、そういったスタイルを見つけるヒントになったら嬉しいです。

全部一生懸命やるから、今後もっと忙しくなると思うけど、クリエイター活動も頑張ります!
応援して下さる方を募集しているので、良かったらメンバーシップものぞいてみてください。

わたしの記事を読んでくださっている方はみんな本当に頑張り屋さんだと思うので、たくさん自分を褒めてあげてくださいね🥰
わたしもみんなも、今日も本当によくできました💮

うたたね🪻

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