自認の水風呂

ミニシアターに行ったら、受付でチケットを売ってくれる人が明らかに意図的に、冷たく攻撃的なのであった。この冷たさの感触は、知っている。偶然ではない。


店員の人の機嫌が単に悪かった、忙しくてピリピリしていたのであれば割とすぐ忘れるし自転車で蚊柱に突っ込んで不快になったくらいの、要するに密です。人間というものが都市空間に密集しすぎている。物の哀れっていうか情感の主体でありながら決して作用することのない透明な、大いなるままならなさに包まれた大気はマイクポップコーンに心を奪われた瞬間に脳内から消失するんだけれども。

この場合はもっと深刻な、関係への欲求を脅かす概ね全ての人間全土に渡る、救いようがない、救われようがない攻撃性であって傍迷惑で真剣な愛情の渇望という地平が場違いなくらいに狂い咲いて溢れ出している。


これは人生がうまく行っていないからマイナー趣向に走ったものの未だ何一つ救われてない人の冷たさであって、美大で沢山見た。マイナーな趣味を持つ自分に救いを求める試みが何一つうまくいかない人物の暴力的な自閉と甘えが、本人の自覚がないままに目の前の人間に対して洪水のように溢れ出してしまっているただただ救いのない現象である。わかるけども。単に接客しているだけなのに承認のされなさ、剥奪感、濃度の高い甘えがむき出しになってしまっている実情は、かなり辛い。辛すぎるよ。

だってこちらとしても今から映画を見ようとしている訳だから。全国で、ここでしかやっていないような誰も知らない映画を。だからと言ってバルト9のスクリーンと値段は変わらない映画を。少しばかりワクワクして自宅から最寄りではないこちらの映画館まで来た訳なのですから堪える。この世って隅から隅まで地獄なの?知ってたというムード、地獄と一つも楽しめないお楽しみ会ではどっちの方がより地獄ですか?というムードによる宗教戦争が開催されているっぽいけどそんなの初めから比較する必要が無いと思う。客だからこちらは。

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