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我々は悠長に隠れミッキーを探している場合ではない


昨今、ディズニーランドといえばまさに多様なオタクが存在しているとこで知られています。

・アトラクションオタク
・キャラクターオタク
・グッズオタク
・バックヒストリーオタク
・ショーパレードオタク
・グリーディングオタク
・ダンサーオタク
・キャストオタク
・隠れミッキーオタク


などなど…これでも一部にすぎず、ディズニーリゾートが提供するありとあらゆるコンテンツを網羅せんとばかりの勢いで枚挙にいとまがありません。

しかし、灯台下暗しとでも言ったらいいのでしょうか…最も肝心な、そもそもディズニーランドがディズニーランド足り得る根幹を担う根本的に重大なコンテンツが驚くべき巨大な盲点として見逃されているということにお気付きですか?!?!


それは


「オーディオアニマトロニクス」


です。えっ聞いた事がないですか?あり得ない

オーディオアニマトロニクスとは、世界のディズニーテーマパークで使用されているロボットの名称です。しかし、ロボット自体というよりはそれらを動かすための技術、演出方法などを指して使われることが多い言葉です。

大雑把に成り立ちを説明すると、1949年にウォルトディズニー氏が時計仕掛けの鳥のおもちゃに興味を持ったことから開発が始まり、「生きているような動き・演出」を目的として開発され1964年に特許が取得された独自技術です。

テーマパークに演出目的で機械仕掛けの人形が配置されているということはしばしばありますが、ディズニーパークだけクオリティ、表現力が群を抜いているのはこの特許技術によるものなのです。

ですが…


全然注目をされていない

なぜ?!


すみません、偉そうに語っていますが、私自身ディズニーパークは東京ディズニーシーに1回行ったことがあるだけのニワカ以前の初心者未満です。誰も注目していない事態がショックすぎてつい筆を取ってしまいました。


・何がすごいのか


私が東京ディズニーシーに行ったのは、年間で最も利用者が少ない4月の半ば、水曜日、曇天、ディズニーランドで記念イベントが開催されているという絶好の条件だった為に一般的に目玉アトラクションと認知されることの多いタワーズオブテラーですら15分待ちでした。しかしながら、それを差し引いても「シンドバットの冒険」の閑散としたムードは見るに耐えないものがありました。

ここは豊島園か?と疑う人気のなさ。従業員の暇そうな感じ。当然、並んでいる人間は全くいません。気のせいか、施設もわびしいものに感じられます。


そのような状況だったので当初は全く期待をしていませんでした。アトラクションの内容は、シンドバットの冒険を下敷きにしたオリジナルストーリーを元に、船の形のゴンドラに乗車し施設内に設置された機械人形によって再現されたストーリーの場面を追体験していくというオーソドックスなものです。

なるほど、閑散としている理由も分からないではありません。

原作となる映画作品がないオリジナルストーリーで、しかも乗客が参加する要素がない観覧型のアトラクションとなれば、優先順位としては下位に置かれるのもやむなし。私も当日が「ディズニーシーが一年で最も空いている一日」でなければ特に乗車することもなかったでしょう。

事前の下調べでも


「公式の休憩所」


などの無味乾燥としたレビューが目立ちます。先行者の意見を鑑みてちょっとたのしい休憩くらいの心構えででリラックスしてなんの期待もせずゴンドラに乗車したのですが、

圧倒。脳が揺さぶられるディズニーシー最大の衝撃。


目を疑いました。着ぐるみのようなトラや人間が、熟練の技術者が演じる人形浄瑠璃かと思うほどの情感にあふれた信じられない精度の演技をしているのです。休憩をしている場合ではなかった。


川本喜八郎という伝説の人形アニメーション作家が、NHK人形劇「三国志」にてわずかな顔の傾きや首をかしげる仕草などで見るものの胸を打つ衝撃的な人形演出をしています。私はこの人形アニメーションが、恐らくは最高峰の人形による感情表現の一つだろうと考えていたのですが、同レベルの、いや目の前で繰り広げられているという意味ではそれを上回る感動を味わってしまいました。繰り返しますが、これを操っているのは熟練の芸術家や表現者ではありません。全て機械。

例えばペッパー君に代表されるようなロボットらしい情緒や味わいを帯びた動きというものがあります。

それは、「人間を模倣するロボットのぎこちない動作」と「鑑賞者が投影した人間の動き」の間にあるズレが想像力の余白を生じされる為に「見立て」つまりはメタファーとして人間らしさが描画される作用によって生じた情緒です。


しかし「シンドバットの冒険」に見られる情感は、上記のものとは全く性質が異なりました。


むしろ鑑賞者の身体にアニメーションが投影される現実拡張体験というか、圧倒的なイマジネーションの滝壺に引き釣り込まれてしまった感覚。同時になぜウォルト氏がすでに評価が確立されていたアニメーションではなく「オーディオアニマトロニクス」という新技術を開発してまでこんなものを実装したがったのかということもよく分かりました。

要するに、アニメーションはサイズはどうあれ四角い平らな平面上に描画される訳だから、常に四方は黒いフレームに囲われています。さらには奥行きがなく、制約の中で編み出された誇張表現や立体表現はあるものの肌感覚の現実味が得られるものではない。そこで得られる迫力は、あくまで一旦脳内で三次元的認識に置き換えた実在しないバーチャル空間に発生しているものだからです。空間の置き換えという映像鑑賞におけるお約束事を把握している観客は安心して、あるいは油断して体験できる。

これがオーディオアニマトロニクスになると、精度の高いイマジネーションが、全く空間的な置き換えの処理なしで私の首根っこを丸ごと引きづり込むような勢いで私の身体にイマジネーションを投影しにかかってくるのです。


もうね、こわい。


なぜなら、安全な仮想空間への置き換えなしにイマジネーションが発生してしまったものだから私自身の肉体の所在が曖昧になってしまったのです。没入したイマジネーションの渦中で私の身体はイマジネーションを投影するための媒体となり、通常主体と考えられていた私自身の管理下のものではなくなってしまいました。

また、イマジネーションの渦中に置いて感じられる身体感覚は非常に身軽であり、あたかもティンカーベルであるかのように制約のない動作をするものでありました。

これは身体が単なる媒体になった為に媒体の渦中のイマジネーションに没入している人物の身体性はほとんど精神的な性質だった為です。ここに2つの引き裂かれている身体性があります。


⑴イマジネーションが投影されている身体性

⑵イマジネーションの渦中で意識的に反応をする身体性


ここで⑴は実態としてはあるものの意識的には消えています。

また⑵は実態としては存在していないものの意識的な身体性のほとんどを占めている。

身体感覚には連続性がある為に、完全⑴の身体感覚が消失しているわけではなく、例えば手すりを握る身体感覚の連続性の中に、幽体であるかのように曖昧に存在しているのですが、手すりをふと離した瞬間に連続性が断ち切られ、物理的な身体性が消失してしてしまうのではないかという錯覚にも陥りました。なまじ、わずかに物理的な身体の感覚が地続きになったままでいる為に地に足の付かない不安的な感覚が誇張されているとも感じました。

以上が私がアトラクションの体験中に体感した「こわさ」の原因と思われるものですが、一方で大きな疑問が生じました。


なぜ、こんなにも日常生活の中に存在していない圧倒的な未知の体験をもたらすアトラクションが、「公式の休憩所」などといった扱いをされているのか

実際のところ、私自身もこの経験をした直後は上記の疑問点については深く考えずにいました。ディズニーパークがすごいという言説はよく耳にするのでこれもまた初体験のエンターテイメント施設による感動の一端なのかと大雑把な捉え方をしていたのです。

そのまま5〜6年ほどが経過したのですが、ある時何気なく友人にディズニーパークの人形アトラクションのクオリティー、体験レベルが常軌を逸しているのではないかと話したところ、友人も私と全く同様の疑問、即ち

なぜこんなにも圧倒的に迫力のあるコンテンツが注目されていないのか

という考えを持っていることが分かりました。
やはり、不思議に思っているのは私だけではなかったようです。

この段階で、改めてディズニーパークのマニアについて調べて見ると、冒頭でも述べたようにパークのコンテンツを総ざらいするかのように詳細な分類でマニアが存在するにも関わらず、そもそも「オーディオアニマトロニクス」というジャンル自体がそもそもさほど認知されていない、少なくとも愛好するクラスタがわかりやすくは不在であるということが分かりました。

また、オーディオアニマトロニクスについて関心を抱いている人も機械工学的な興味が優位であるように見られました。

ジャンルとして存在している以上は、私がリーチしていないレイヤーに関心の強いファン層があると信じてはいますが、前述したようにアトラクションの持つ体験レベルと関心を持つ人口が全く比例していないように思われます。


我々は悠長に隠れミッキーを探している場合ではないのではないか?

そんなことより一刻も早く明示されているものを見たほうがいい。目を皿のようにして網膜が破れる勢いで。


この大いなる疑問については、端的に答えが出るものではありませんが、現段階で推測をしてみました。本来は、仮説を提示する前にもっと自分で色々調べたり観察したりするべきなのですが、時間がない…

なぜなら、オーディオアニマトロニクス(以下OA)は衰退しつつある技術だからです。まだ私が体験していない東京ディズニーランド内のOA技術が強く打ち出されている「イッツアスモールワールド」についても、私の認識が及ばなかったばかりに建造当初の状態を見ないまま改装されてしまいました。また、「イッツアスモールワールド」自体そこまで人気のあるアトラクションではない為、いつなくなってしまうのかも分かりません。荒削りの意見でも構わないので、一刻も早くこの現状一石を投じる必要があります。


【仮説】鑑賞体験が成立していないのではないか


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