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水野いや伝 どこまでいっても、なんかやだ ⑵

水野いや伝「どこまでいっても、なんかやだ」はシリーズで1〜5まであります。「いや」にフォーカスを当てたライト自伝です。連続だとムードがよくないので不定期で続きを書いていきます。よろしくおねがいします。

どこまでいっても、なんかやだ  水野いや伝 ⑵ (小5~中2)


「なにか意見がある人と話がしたい」


物心が付いてから成人するまでの私の念願を一言でまとめるとこのような形であった。どうしてこれが叶わないのか。

平成の概ねが、言ってしまえば、大体嫌いだった。クラスを見渡せば歌広場のマスコットキャラクターの表情のような処世術が蔓延している。香取慎吾の様々なコスプレを見ても、自分だけが全く笑えない。お昼休みにウキウキウォッチングをするだけで、高級な犬に服を着せて喜んでいるセレブになれたような気がしてお値打ちなのかもしれないなという答えが脳裏をよぎったが、こんなことを発言してしまったら、駅前で通り魔に脇腹を刺されてぶっ殺されるような気がした。


Mr.Childrenや村上春樹の作品が「所詮人は愛欲にまみれて裏切り合い貪り合い求め合う幸せな奴隷」という、ひどく単純化されたうさんくさい解釈で流布され、半ば常識のような形で流通している。これが、なんでしょうか。いや、内容に対して異議があるというよりは本当につまらない。なにかこちらに意見が生じようがない前段階の工夫のない意見というか。大体の人がうっすら知っている雑学を得意げに話されている時間のような出口のない憂鬱さと言ったらいいのか。


生き方や考え方に工夫がない人物に、「気の利いた面白い視点を持っているぞ」とひけらかされる馬鹿馬鹿しさに巻き込まれるのが極度に不満。Mr.Childrenについてはグループ名も不快。なぜならば、大人とガキの悪い部分を悪魔合体させた最悪さが割と社会全般でデフォルトになっている節があり、大人の特権を利用する場合はMr.という形で個人になり、幼児性、攻撃性をむき出しにしたわがままさ、甘えを炸裂させる際はChildrenという形で複数形になるという、生涯年収を得ている渦中の人特有の脳内最悪ビュッフェがかなり正確に再現されているように思われた。


当時は『トリビアの泉』やら、『伊藤家の食卓』『発掘あるある大辞典』などの無駄知識系バラエティー番組が流行し、明日使える無駄知識として発表されたトリビアがクラスや職場のどこかで本当に発表されていた。気の利いた感じ黎明期というか、全員が一斉に半歩先の発言をしようとして全く同じ話をしている。つくづく足並みを揃えるのがうますぎるなと驚かされる。全員がちょっと気の利いたことを一斉に言おうとして同じ感じになっている。

クラスの内側には、テレビか深夜ラジオかネットのコピペと同じ話をしている人しかいないので、「意見」がある人が入り込む余地がない。じゃあなにか、部活動を熱心にやってる人は自分の世界をもっているのではないか、と考え吹奏楽部に体験入部したが、部活というのは無報酬で謎の苦労を頑張り続ける集まりなので自我があまりない人しか熱心に頑張っていない。お金がもらえないブラックバイトを号泣とかしながらやっている感じというか。全面的に損の大会が行われていた。なぜでしょう。全員が学校に残ることが許される限界までその場にいることになっているが、飽きたしそろそろ帰りたいと言うと、自称先輩が泣きながらまだこの場にいるように説得をしてくる。なんでだよ。全員頭がおかしい。筆箱にキラキラしたラメ入りのペンを入れておくくらいの極めて小さい報酬で、どうしてこんなにも頑張れるのか。昔からすぐに無くしそうな米粒程度のダイアモンドに三ヶ月分の給料を払って大喜びしている人を見て私はかなり心を痛めていたが、このような極めて小さな報酬に大喜びする度し難い精神訓練は部活動によって養われているのだなと察した。吹奏楽部はラメ入りのペンとかで喜んでいるのでまだマシで、ソフトボール部の方などは「水が飲める」とかの報酬で喜んでしまっている。もう、かける言葉がない。普通に考えて、「水の飲み」について指示をしてしまう人の言うことは何一つ聞かなくていいだろう。そうかと思えば、「水飲み百姓」という言葉で水を飲む行為がバカにされていたりもする。水に対して心を持ちすぎではないのだろうか。肝心の今ここで発生している事件に対する心は無なのに、なぜ、「水」が? 部活への加入が強制なのもひどい迷惑。迷惑というか、誰にも得が発生しない奴隷をやらされる立場って、正味奴隷以下ではと感じた。こういう受け取り方を「センシティブ」だとかもっとマシな場合「感受性が豊か」だとか言われる。我々に、感性の死より他は望まれていないのだろうか。しかもどの部活に入ったところで、勝手に学年が上の人間が「先輩」を一方的に名乗り出てくる。武士か。やめろ。「先輩ヅラ」っていう言葉自体、完全に悪い意味でしか使われていないのだから、現実に先輩であったとしても先輩らしき態度はやらない方がいいだろう。悪いことがバレているのに、何をしているんだコイツらは。お互いに、実力と無関係の遠慮と気遣いは徒労。

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