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正しくなくてOK!(グリフィンドール徹底批判)

 私が小学生の時に『ハリー・ポッターと賢者の石』の邦訳が発売された。同時代の小学生が大抵そうだったように、私も生絞りサワーにおける果実になったくらいの猛烈なのめり込み方をした。リアタイならではののめり込み方っていうのが、ある。世界中で発生した熱狂の渦に呼応するように、ひたすら落ちるように没入する体験はえも言われぬものだった。特に、最初のページをめくった直後に、主人公を保護する義理の家族に対するどうしようもないボロクソな悪口(とにかくリアルに性格が悪い)が綴られている点が、ファンタジー小説としてはエポックメイキングな印象であった。白雪姫に出てくる継母みたいなあくまで役割としての性格の悪さではなくて、噂話に目がなく覗きに熱中していたり、芝刈りコンテストのこと以外何も考えていないといった、今見たのかと思う臨場感のある性格の悪さ。初期のサザエさんみたいな小市民的矮小さが克明に語られているのがすごい。読んだ時期が良かったのかもしれない。小学校って、誇張しすぎてハリウッドザコシショウがお花畑のモノマネをやってるみたいな「性善説」教育を執拗に受けさせられるから、とにかくそういうリアルさに対するカタルシスがすごかった。魔法学校から手紙が届いてハリーの運命が一変する流れもかなりドラマティックではあるけど、その地点始まっている物語だったらここまでの没入感はなかったと思う。なんなら、巨大モンスターに襲われる描写よりも「ダドリー夫妻の絶対に一緒に旅行とかしたくない親戚感」について書かれているシーンの方が、なにかずっと克明な感じがある。日本語訳の全体的に執拗な書き味もこの克明さを助長している。

 とにかく冒頭の嫌な人間性についての描写が一歩踏み込んでいるので、物語が自分に対して訴えかけてくる真実味に対して、一歩踏み込んだところにある深刻さを感じた。子供が深刻に追い込まれているが誰もわざわざ語らない閉塞感ってマジでこれ。ハリーの受けている待遇(個室が押入れ、雑巾みたいな制服を着せられる等)は、常に虐待と言えるのかどうか判断がつかないギリギリの領域で義理の養育という巧妙さのプリズムに彩られている。育ててくれてはいるから、悪い人ではない。かといって、絶対にいい人ではない。死んで欲しいかっていうと、ギリギリ死んでは欲しくない。無人島くらいには流されてほしいが。そういう領域から始まるので主人公が背負っている「疎外感」の説得力がすごい。セオリーから考えたら「悲惨」でいいのに、ギリギリ「気の毒の最上級」を描くので、読んでる方も必死にならざるを得ない。物語だからってすまないレベルの話をされている。


 「子供が人間性を緩やかに疎外されている環境下でいかに尊厳を獲得するか」というテーマ自体は児童文学のセオリーではあるから、これ自体が目新しいわけではないが、それまでの児童文学で描かれる疎外って「大人から見た比較的微笑ましい通過儀礼の範囲内」だったと思うし、その背景には子供って結局大人支配されるべき未熟で自然に近い存在という二元論的な発想がうっすらあったようにも思える。そうじゃないよね。現実。通過儀礼を経た先にある大人の世界は、極めてバカバカしく愚劣で滑稽で、なんにも正しくはない。わざわざドラゴンなどを倒してまで目指す価値はないんだよ、ということに、子供はうっすら気づいてはいる。うっすらというか、結構しっかりと気がついてはいる。食事とか泊まりとか、全部おごりでやって頂いているから、そんなことは流石に言い出せないだけで。こういった苦労のフレーバー、10代前半にして背負ってしまっているなまめかしいサラリーマン的悲哀としては、藤子・F・不二雄漫画のようなアイロニー的色彩すら放っている。子供の視点によって相対化される「大人」のどうにもならなさ、社会というものの愚劣さ、嘘みたいなしょうもなさ。

 ここが出発点で魔法が使えるようになってしまうんだからヤバイ。冒頭で、ハリーが「大人の世界」という正しいとされる社会秩序の中に回帰していかないであろうことは示唆されていたので、じゃあいったいどのような秩序に着地するのだろうか、という興奮もあった。魔法というと、やぱり言ってしまえばキリスト教圏からすると反秩序的な能力なので、疎外された人間が疎外されたまま成熟するということがあり得るのかもしれないと期待した。当時はここまで理解していたわけではないが、小学生なりの熱中の原理を噛み砕くとこうなるとは思う。

 ところが、上記の私の熱中はかなり序盤の段階で粉々に打ち砕かれたのであった。ハリー・ポッターが組分け帽子を被って

「グリフィンドォォォォーーーーーーーーーール」


と喝采を浴びるシーン(映画版ではさらにこの喝采が誇張される)。

 私は失望して、一旦本を閉じ、寝た。なんでだよ。どうしてそうなるんだ。せっかく魔法の世界に加入したのに、よりによってその瞬間がW杯で日本がゴールを決めた時のジョン・カビラみたいになってしまっている。こんなのって、ないよ。真の悲惨とはこれだ。

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