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「川畑」(フィクション)

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件等には一切関係ありません。



 どうしたってやりきれない気持ちの時は、無心で部屋を片付けまくるのが最高だから、私の部屋はもう、誰がどう見たって手の施しようがないくらいに片付いている。今日は全部の靴を磨いた。どれもこれも、川畑のせいだ。川畑とは、友達の彼氏だが、別に川畑という名前ではない。というか正式な苗字を知らない。私の周りの人間は、誰も川畑に興味がない。ただ外見がケミストリーの川畑に似ているから便宜的に川畑と呼んでいるだけだ。最近はさーやまで川畑って呼ぶようになっているので、それはもう別れた方がいいというか、結論は既に克明になっていて、あとは何かしらタイミングが訪れるのを待っているだけの話なのに、いっこうにそうはならない。そういうことはある。あってしまう。分からなくはない。人生って、常に自分一人で行動や、考えや、出来事の結果全てを受け入れることができるほど生易しいものではないから、誰かがそばにいてくれないと無理なタイミングもあるのは分かる。仮に一人で生きていけるという人が居たって、それはそれで偶々恵まれているだけなんだという側面は、どうしたって否めない。だからといって。だからといって川畑はない。ありえないと思う。川畑は不要である。夏草みたいに、突然流れていってくれればいいのにな。

 川畑は弁当が好きらしい。私はこれがどうも分からない。弁当ったってものによるだろう。箱にさえ入っていたらなんだって弁当なんだから、好きと言われてもよく分からない。大盛りの弁当が特に好きだそうだが、それは「量が多い食事が好き」と、感覚的にどう違うのだろうか。運んでいる時に、いつでもこれが食べられると思うと、うれしいのかな、とか想像してあげる。なんで川畑に想像力を使ってあげるのか。よく分からない。川畑自体も何も考えずに生きている典型例のような人生を謳歌しているので、自分のことを省みたことなんて一度もないだろうに。本人ですら考えたことがないことをどうして私が考えているのだろうか。分からない。川畑に関しては、このような意味のない消耗が多い。こういうくだらない精神の消耗だって、好意のある相手だったらすごく楽しいんだけど、川畑の場合そうはならない。川畑はなぜか常に尊大である。さーやから聞いたが、親が地方議員をやっているらしい。家系も大体早稲田とか慶應とか行く感じなのに、川畑は美大に進学したから、弁当が好きなくせに地元で「風雲児」と呼ばれているらしい。「風雲児」は馬鹿にされているだろう。例え言った側に変な他意がないにしろ、流石に馬鹿にしている気持ちは滲んでいるだろうと思う。
  わかんない。政治家の家ってわかんないから、そういう感じなのかもしれない。だったら日本が長年経済成長しないのは当然なんだよ。小泉孝太郎だって、おうちではクールな秀才扱いをされているのかもしれないし。というか、実際にされているのだろう。されているから、あの感じで、あの感じのまま、あの感じでいつづけられているのだろうね。川畑にもそういうところがある。見た目は川畑のくせに、ずっとそういう感じ、具体的には「僕は風雲児なんだな~☆」という気持ちを抱いたままの感じであり続けている。美大なんて、クラスで一番性格の悪いやつの集まりみたいなところがあるから、素直さってある意味で面白くてクラスではおもしろの扱いをされているけど、それだって、本人の人格形成にはよくないよ。実際キツイ。おもしろってことにして放置しているのは、実質無視と同じだ。このままでは、川畑はますます風雲児になってしまう。なのにさーやは一向に別れようとはしない。もう結論は、出てるってのに。


 学校行く前に、さーやの家に寄ったら、さーやの家の玄関に巨大な羊頭があって心底うんざりした。羊頭っていってももちろん本物ではない。一年が学部を問わずに受講する彫刻の授業で作った羊頭である。さーやは木彫りのメザシを作り、私は反抗心からmacに最初から入ってるソフトでアンビエントミュージックを作って提出した(今では反省している)。羊頭は川畑の作だ。いかにも川畑らしい、誇張された尊大なツノのうねり。そのわりに顔がしょぼくれていて尻切れとんぼな感じだ。途中で飽きたんだろうなってことがありありと分かる。途中で飽きてるんだったらもう捨てたらいいのに、川畑は自分が貴重な存在だと思っているから作ったものを捨てない。川畑は赤坂に住んでいるからさーやの家に羊頭を置いていったんだろう。人間性が最低。人の家に置いておくなら、まだせめて最後まで気合を入れて作れよと思う。自己愛だけが強い人間には、こういうところがある。絵が好きなんじゃなくて、絵を描いている自分が好きなだけ。ファッションが好きなんじゃなくて、おしゃれをしている自分が好きなだけ。そういうことに、当の本人は気がついてないから、本当は飽きていることにも気がついてない。リアクションがもらえなくなると、そこで手が止まる。

 やめて欲しい。自己愛だけじゃあ何事も続かないってことに、一刻も早く気がついて欲しい。それかもう政治家になった方がいい。画家は無理だろう。半端な夢のひとカケラが、いつも誰かを傷つけている。さーやは受験のデッサン頑張って、北海道から東京に出て、こんなにしょうもない川畑とかいう男を無責任な言葉で喜ばせ続けて、一体何がしたいのだろうか。私もさーやと友達でいることをやめた方がいいのだろうか。本気で悩む。これさえなかったら、さーやは本当にいい子だから、ただただ川畑のせいでこんなどうしようもないことを悩むはめになって心底納得がいかない。

 川畑は、本当に政治家に向いていると思う。自分を肯定する意見を聞くためならば、地の果てまで行くし、批判意見は絶対に耳に入らない。常に自分が太陽だと思っているフシがあり、当然自分がモテるだろうと考えている。確かに、川畑は金持ちだからいい家に住んでるし、家のテレビがでかいし、大学生のくせに車で通学してるからなんやかんやチヤホヤはされている。全く身の丈に合わない、空虚な自尊心に、俗人の矮小な、もはや侮蔑に近いほど程度の低い甘言を並々と注ぎ続けている。川畑はなんかちょっと変な匂いがする。バタースコッチみたいな。香水なのか、川畑の甘えきった精神性が発酵しフレーバーを漂わせているのか。実際は両義的であり本質は後者に宿っている。さーやはいい子なんだけど自分に自信がないから川畑が付き合ってくれている自分を手放せないでいる。そういう意味ではお似合いのカップルなんだろうか。私がさーやに甘すぎて、仲良くし続けているだけで。そう思うと、目の前が文字通り真っ暗になった。さーやは許せる。なんでも許せてしまう。でも、川畑のことは、なにもかもが許せない。さーやは水出しのアイスコーヒーにコンビニの氷を入れて出してくれる。

「玄関狭くてごめん~」

だってさーやの、せいじゃないじゃん。どうして謝るの。なんで。

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