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プリクラの自己生産文化とわたし

プリクラを手作りしていた時代があった。撮ったプリクラをカラーコピーして増やすのだ。100均に売っている透明のビニールテープを上から貼り付け、プリクラっぽく加工する。裏に両面テープを貼り付ければプリクラの完成だ。

このカラーコピーで作られたプリクラは通称”カラコ”と呼ばれていたらしい。らしい、と言うのは自分がそのように呼んでいた記憶があまりないからだ。ただ、カラーコピーではない、コピーの元になるプリクラの事は”生プリ”と呼んでいた。生写真と同じ様に生のプリクラだから”生プリ”だ。呼び名で大元のプリクラとコピーのプリクラを区別していた。




私がこのカラコを初めて見たのは高校に入学して、新しい友達からプリクラをもらった時だ。2003年頃のことになる。最初は何て頭がいいんだろうと思った。成る程、カラーコピーすれば好きなだけプリクラが作れる!と興奮した。今まで交換の為に沢山撮っていたプリクラに使うお金も節約できるし、以前よりも手軽に多くの人とプリクラを交換できると思ったからだ。

その思惑通り、プリクラを以前よりも撮る回数を減らし、撮ったプリクラを大量に生産した。このプリクラ生産も個性が出るものだった。私は几帳面なので自己生産のプリクラも綺麗に仕上げることにこだわっていた。

カラーコピーしたプリクラの表面に透明テープをいかに気泡を入れずに綺麗に貼るか、裏面の両面テープをいかにまっすぐ隙間なく貼るかを大事にしていた。よりプリクラの質感に近い透明テープを求め、文具店や100均をハシゴしたりもした。カッターでのカットも定規を使い、綺麗に切ることをかなり真剣に行なっていた。こんな事よりも大事にする事はいっぱいあったはずだけど、性分なので仕方ない。

友達から貰うカラコの中には、両面テープが貼りきれてないものとか、プリっぽさを出す透明テープを貼らない人もいて、カラコも様々だった。こだわりが強すぎて人からサラでもらって自分で加工したいとすら思っていた。なんかすごい嫌味な文面だな、けど、そう、こだわりが強かったのだよね。

他にも自宅のプリンターで作られたカラコもあり、厚めの紙に印刷されて普通とは違う質感で綺麗なものもあった。




カラコの到来で、私のプリクラライフは充実していたが、困ったことが一つあった。今までプリ帳に、機種ごとに分けてプリクラを敷き詰めるようにして貼っていたのが出来なくなったからだ。

機種ごとに分けて貼るのは、プリ自体のツヤや質感が統一されていると綺麗に見えるからそうしていた。カラコだと、プリクラの元々の質感はないので、機種ごとに分けて貼るのは意味が無くなる。

普通のプリクラよりも大きく拡大して作られたカラコもあり、大きさもバラバラだった。透明テープも貼ってあったり、なかったり、そして生プリもあったりで、ただでさえ機種ごとに分けるのも大変だったが、ここに来て、もう統一して貼る事は出来ないと諦めて、2003年はもらった順番に貼っていった。

でも内心はそれでは満足していなかった。中学の頃に作った生プリだけのプリ帳の方が個人的には好きだった。その後、落書き帳などに好きな切り抜きを貼ったり、文字を書いたりするプリ帳の存在を知り、2004年頃から好きなイラストを貼ったり、文字を書いた(友達の名前やその日の出来事など)プリ帳を作るようになった。

このスタイルは当時好きだったものやコトも一緒に思い出せるので良い。当時作っている時は楽しくもあったけど、自分のこだわりが強くて作るのを少し面倒にも感じていた部分もあった。人に見せる事を意識していたのもあり、意外と手間だった為、2005年頃には、切り抜きや文字を無くして少し空白を開けて大きさごとに揃えて貼るスタイルになった。これが私が高校生の頃のプリクラ事情だ。プリ帳事情と言うべきか。




現在はSNSに載せるのがメインで、プリクラ自体は思い出用として保管用として取っておくらしい。だから昔の様に何枚も同じものが出てくる訳ではなく、名刺サイズのもが二枚セットになってプリクラがデザインされて出てくる。カード見たいな感じだ。

おまけでちょこっと付いてくるプリクラも別で取っておいて、友達の誕生日カードとかに貼ったりして使うらしい。昔とは楽しみ方が似ている様で違うけど、根本は変わっていない気もする。特別なときにプリクラを使うのもなんともアナログな感じで、昔と繋がっている気もする。

このプリクラを増やす文化もまた来そうな気もするんだけど、来ないかな。写ルンですが再熱したりするのもそうだけど、また、その良さを見出した人が広めると流行りそうな気もする。


ELIE


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